星めぐりのうた

 

 年に一度だけでも、逢えるのならばいいじゃない。

 

 

「───っ……!!」

 自分の声にならない叫びを聞きながら、望美は覚醒した。
 悪夢にうなされて跳ね起き、その度に塗り重ねてきた過去を思い返す。二度とあんな運命を呼び寄せたりしない、その決意だけは固かったが、そのための方法は手探りで探していくしかなかった。
 不安は常に望美の内を絞り上げ、心の傷はいまだ癒えずに血を流し続ける。

「……もう……」

 隣で寝ている朔を起こさずに済んだのが、唯一の幸運と言ってよかった。
 いくら心配されているのが分かっても、こればかりは言えない。嘘をつくのはやはり心苦しいから、それなら最初から秘めておこう、と望美は思う。
 べたつく寝汗が気持ち悪かった。もとの世界なら気軽にシャワーでも浴びるところだが、この世界では湯を沸かすことすら一苦労だった。幸いにも現在の逗留先は熊野で、各地に温泉が楽しめる場所があったが、夜中にひとりで抜け出す訳にもいかない。

 望美は少し考えると、そっと局を抜け出した。
 汗を流すのは無理でも、少し、夜風にでも当たりたかった。このままの鬱々とした気分を抱えていたところで、到底眠れるとは思えなかった。

「───あっついなぁ……」

 局にも廊下にも、夏特有の熱気がこもっていて過ごしづらかった。そんなこともあり、庭を望める開けた場所に出ると、開放感だけでなく涼を得ることができて、望美の心は少し軽くなった。
 先日に譲から聞いた話では、今は多分、現代で言えば八月くらいなのだそうだ。星座の位置がどうだこうだ、旧暦と新暦が、という詳細なありがたい説話は、残念ながら望美には馬耳東風だったけれど。
 確かに八月は最も暑い季節だ。普通の学生ならば夏休みを謳歌している身分だというのに、自分ときたらこんな異世界で龍神の神子をやっている。そんなことをぼうっとしながら考えていた。

「眠れないのか」

 だから、いきなり声をかけられて、比喩ではなく望美は飛び上がった。

「っ!? ……く、ろう、……さん」

「なんだ、人を物の怪みたいに。失敬な」

「す、すみません……」

 失敬と口では言いながら、九郎はさほど気を悪くした様子もなかった。
 そんな九郎を見ていることができず、望美は虚空へと視線を逸らす。あんな夢を見て飛び起きたばかりの今、とてもではないが、普段どおりの態度で彼に接することなどできるはずがなかった。

 ───まさにこのひとを、喪った過去を、見ていたのに。

 夢。けれど、現実。
 悪夢を悪夢のままに終わらせることができるかどうかは、自分の判断ひとつ。

 じっとりと浮かんだ嫌な汗が、吹き抜けた風に冷えてぞくりと少女の身体を震わせた。

 

 

「まあ、寝苦しいのは分かるがな……。京の夏はさらに厳しい、熊野に来て正解だったな」

 そうひとりごちて、九郎はふと、夜空を見つめる望美の姿を見とがめた。
 望美としては九郎を正視できないがための仕草だったのだが、本人には当然そんなことは分からない。一心に空を見上げる様子は、むしろどこかいとけない童を連想させるもので、微笑ましいものだ、などと呑気な感想すら抱いていた。

「どうした、そんなに熱心に見上げて。空になにか面白いものでもあるのか?」

「えっ? あ、そ、そんなんじゃ、ないですけど……」

「謙遜するな。この前譲たちと、だいさんかくがどうとか、話していただろう」

 九郎は時折、望美たちの世界の話を乞うことがあった。今まで積み重ねてきた運命のうち、望美が敢えて消してしまった小さなひとときの中にも、その片鱗があったことを、白龍の神子だけは知っていた。
 時に驚きながら。時に感嘆しながら。
 そういうときの九郎は決して、望美の説明する世界の在りようを、疑うことはなかった。

「あ、あれは……夏に、特に明るくてよく見える星を三つ、そう呼んでるんです」

「そうか。今、見えるか? どれなんだ?」

「えっと……」

 夏の大三角を構成する星々はいずれも、天の川付近に集中している。望美のうろ覚えの知識でも、どうにかこうにか、その三つを探し当てることができた。

「天の川を挟んで、ふたつ。あとは天の川の中にひとつ、明るい星があるでしょう?」

「───なんだ、乞巧(きつこう)の風習が、お前たちの世界にもあるのか」

「はい?」

 九郎が何を言ったのか、望美にはさっぱり分からなかった。
 少し笑うと、天の川を挟むふたつの星ならば、こちらでも祭るんだ、と九郎は言った。

「昔、宋から伝えられた風習と聞くが。あの星を牽牛織女と呼びならわし、祭る儀式を宮中では執り行うそうだ」

「あ……七夕ですか、もしかして」

「お前たちはそう呼ぶのか」

「はい。おりひめと、ひこぼしが、年に一度だけ逢える日だって話があります」

「年に一度? やはり違うな、良ければその話、教えてくれないか」

 濡れ縁に座した九郎を見やって、望美もためらいがちに、その隣に腰を降ろした。
 見上げる夜空の星は、望美の知る限り、あちらもこちらもそう変わらない。もちろん、こちらは余計な明かりや大気の汚れがないだけ、一層美しい満天の星空を見せていたが。

「天の神様の娘が、ある牛飼いと結婚したんです。とっても仲の良い夫婦になって」

 けれど互いに溺れすぎて他のことを顧みなくなったふたりに、天帝は怒り、罰をくだす。別離を命じられたふたりは嘆き、以前にも増して課せられた勤めに身が入らない。仕方なく、天帝はふたりに、年に一度だけの逢瀬を許す。

「……でも、そのたった一日の夜に雨が降ると、ふたりは逢えなくなっちゃうんです」

「自業自得だろう、それは」

 呆れたような九郎の物言いに、望美は感傷的な気分をぶち壊されて、むっとした。

「ひどい。可哀相なお話じゃないですか」

「哀れむ必要があるか。そもそも己の職務を果たさなかったせいだろうに」

「だって年に一度、それも雨が降ればダメなんですよ!? それなのにっ」

 思わず噛みついた望美は、九郎の一言でびくりと固まった。

「年に一度だけだろうと、逢える希望があるならば幸せだろう」

 

 

「───え」

「一縷でも望みがあるのなら、それをよすがに堪えることもできる」

 牢屋越しのあなたは、そんなことを思って堪えていたの?

「ならばお前の話の彼らを哀れむことはない……むしろ幸せなんじゃないのか」

 あなたにもう二度と逢えないのだと。
 そう理解したとき、逆鱗があってさえ、狂ってしまいそうなほどに心は乱れた。

「巡り、まみえる希望が僅かでもあるのなら───きっと、それは」

 やわらかい身体が勢いよくしがみついてきたのを感じ、九郎は驚いて言葉を切った。

「───っ、望美っ!?」

「…………っ」

 咄嗟に振りほどこうとしたが、九郎は思いとどまった。
 自分の腕をがっちりと抱え込んでいる望美は、かたかたと震えていた。それを知った上で引き剥がすのは酷に思われ、しばらく迷った後で、そっと背中をさすってやる。

「九郎さんっ、くろ……さん……」

 上がる声すら涙混じりになっていくのを、望美は止められなかった。

「……どうした?」

 呼べば答えてくれる、たったそれだけのことが、望美にはひどく大切なことだった。
 あなたは生きている。私の目の前で、生きてくれている。

 ───たったそれだけのことが、なんて愛しい奇跡なんだろう。

「ごめんなさい……もう少しだけ、こうさせてください……」

「───構わんさ」

 自分はなにか、彼女の気に障るようなことを言ったのだろうか。
 そうも考えるが、今の九郎にとってより重要なのは、こんなにも不安に縮こまっている望美を、出来る限り見守ってやることだった。
 いつまでもこの娘と共にいられる訳ではない。そう分かっているから、せめて今は。

 ───お前は、去る者だ。

 年に一度の逢瀬か、と夜空を見上げながら、九郎は胸の内に苦味を噛みしめる。
 望美に答えた言葉は、ひた隠しにしてきた九郎の本音を、微かに滲ませたものだった。
 年に一度だろうが、逢える望みがあるならいいではないか。その日を心待ちにし、励むこともできるだろう。愛しい相手と無事に逢えたなら、想いを交わすことだってできるだろう。

 逢える望みが、あればこそ。

 ───お前はいつか必ず、お前の世界へと帰っていく。

 そうなれば、もう。
 二度と、このぬくもりは、この手から。

 背中に触れていたままの掌に、ぐっと力を込めて、華奢な身体を強く引き寄せてしっかりと腕を回した。己の胸に顔を伏せている小さい頭に、さらめく髪に、そっと顔を埋める。立ち昇る優しい薫りに、くらりとするほどの眩暈を覚えた。
 望美は抗わなかった。

 

 

 年に一度だけでも、逢えるのならばいいじゃない。
 永遠の別れに較べれば、それはとてもとても幸せなこと。

 ───そうでしょう?

 

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**反転コメンツ**
七夕ネタのつもりが、うっかり暗くなりかけて慌てて軌道修正(笑)。SSタイトルは宮沢賢治の詩より拝借。
短編の一話完結でビター系ってあまりやったことがなかったので、ちょうどいいやとチャレンジしてみた。
「時空跳躍でどこまで過去に戻るのか」はプレイヤーの自由なんで、腰越後、夏の熊野まで少し余計に戻りすぎている神子。
七夕の民間説話はバージョン多いので皆様ご存知のものとは食い違う可能性もありますが、ウチ仕様はこんな感じでお願いします。