| もしもう一度、逢えたなら。 二度と離さないと、決めていた。
「なに、これ……」 望美は呆然と、手にしていた本を取り落とした。ページがばらばらとめくれ、今までどこを見ていたのか分からなくなるが、そんなことは気にならなかった。 「嘘……だって、私、もう大丈夫だと思ったのに……!!」 今ほど自分が歴史に疎かったのを呪ったことはない。 平泉は鎌倉に抗い通すことの不可能を悟り、義経を受け入れた藤原秀衡の病死後、後を継いだ泰衡が義経を討ったのだ、と。 歴史には疎くとも、あの世界で知り合った人々を忘れたことはない。 鎌倉は本当に、平泉と九郎のことを諦めたのか。 皮肉なことに、九郎も望美も、源氏の兵の中で名を知らぬ者はない存在だった。常に先陣を切る総大将は若き軍神と謳われ、厄介極まりない怨霊を封じる白龍の神子もまた、源氏の命運を左右する存在として誇張気味に喧伝された。平泉で切り結ぶはずだった鎌倉の兵たちの中に、九郎と望美の名を聞き、その姿を見て、戦意を喪失していった者たちが少なからずいたことを、後で弁慶から聞かされた。 だとしたら。 九郎は。 「───確かめなきゃ」 机の引き出しを開け、望美は逆鱗を取り出した。 それは九郎の命を案じるゆえか、それとも秘めきれない想いのせいか。 「お願い、導いて───あの人のところに!」
何が起こったのか、分からなかった。 「…………」 酒をあおった勢いで、寝てしまおうと思った。 なのに、今自分にしがみついているのは、一体誰なのか。 「───か、った……っ」 その、声。 「生きてた……九郎さんっ……」 その、ぬくもり。 「よか、た───」 「……のぞ、み?」 恐る恐る呼んだ声も、いきなりの燐光と共に九郎の目の前に現れてしがみついてきた少女には、聞こえていないようだった。 二の腕どころか肩も鎖骨もむき出しの、薄い一枚の着衣。 「おまっ、なんて格好をしている!?」 ひどく慌てた九郎の声に、望美は涙をこぼしたまま、笑った。 ───この人は、生きている。 「……お風呂上りでそのまま来たんで」 望美は素肌にキャミソール一枚、下はショートパンツという出で立ちだった。現代において、夏の自室内であれば、この程度の服装は珍しい訳ではない。ただ、九郎にそれを理解しろと言っても、到底無理であろうことは経験上知っていた。 「寒くないですかここ?」 「当たり前だろう、今がいつだと思っている!? 神無月だぞ!!」 神無月……ええと、ああそうそう、十月のことだっけ。 「怒んないでくださいよ、向こうじゃ夏だったんですから」 相変わらずな言い合いが嬉しく、怒られていても望美は幸せで、笑い続けた。 彼女が寒くないように。彼女が消えてしまわないように。 「───望美」 名を呼ぶ。腕の中で望美が顔を上げた。 「俺の傍に、居てほしい」 望美がその大きな瞳を見開いた。そこに映る己の姿すら、九郎に喜びを与える。 今だけは、溺れたい。全身を灼く熱情に。
「……九郎さんは、これからどうするの?」 気だるい余韻の中で語られる睦言は、望美にとっては真剣なものだった。 「どうするでもない。ただ、平泉を率いる跡目が決まらぬ限りは、ここにいるしかない」 秀衡も泰衡も亡い、まつろわぬ人々の豊かな黄金郷。 「でも───」 神子ではない自分になにができるだろう、と望美は思う。 だから望美は訊いた。九郎本人に、直接。 「……九郎さんは、やり直したいって思うこと、ありますか」 「なに?」 「あの時こうしてたら良かったとか、そう思うこと」 望美の言葉に、九郎は腕の力を強めた。 「───無い」 その返事は意外だったようで、望美が不満げに九郎を覗き込む。 「なんでもいいんです。本当に、ないの?」 我慢しきれず、九郎は低く笑った。 「あった、と言えばいいのか。でもそれは、もう叶えられたから、無いんだ」 神仏の奇跡など、信じたことはない。寺育ちのくせに、九郎は信仰心に薄かった。 「もし、もう一度だけでも逢えたなら、その時は二度と離さぬと誓った」 ゆっくりと、白い頬を撫でながら呟く。 「帰ると言ったお前の手を掴まなかったこと───どれほど悔やんだか」 「九郎さん……」 「お前が居てくれれば、それだけで、いいんだ」 言って九郎は、少しだけ眉を歪めた。 「……お前には帰る場所がある。だからあの時戻ったんだ、それは分かっている」 大きな掌が、少女の頬からはずされた。 「分かって、いるんだ。なのに俺は───お前に請わずにはいられない」 頭の両脇につかれた腕が、望美を甘い檻に閉じ込める。 「帰さない。ここに、居てくれ」 「……九郎、さん……」 あの時、言えなかった、一言。 望美の瞳から、声もなく涙が溢れた。横たわったままに流すそれは目じりからするするとこぼれ落ち、こめかみをつたって髪の中に吸い込まれていく。 ごめんなさい。 細い腕が伸び、九郎の首にそっと回された。 「───居させて、ください……」 どんな未来が待ち受けていようと、この人のそばに居たい。 九郎はひっそりと笑んだ。 そっと重ねられた唇は、苦く哀しく寂しく───そして、甘かった。
了 |
**反転コメンツ**
十六夜の平泉帰還ED後を九望テイストで捏造、ハッピーエンド。いずれモンゴル行きなのかな、これは。
現代に連れ帰るのはどうしてもさせたくなかったので、神子に故郷を捨ててもらいました(爽)。
いや、あの超絶オトコマエ神子なら、ゲットした男と一緒ならどこでだってたくましく生きていけるはず!
省略したシーンについては、別途会員制ページにて〜。まずは『沙羅』から注意書きをご覧ください。