| あなたは何も言わなかった。私も何も言わなかった。 すごくずるい言い方だけど、もしも手を掴まれていたなら、振りほどける自信なんて、なかったんだよ。
風呂から上がり、翌日以降の予定を大雑把に確認しようと携帯を操作する。 「これ、期限が明日までだったんだっけ」 図書館から借りてきたはいいものの、結局一度も開かないまま机の片隅に追いやっていた本を、望美はじっと見つめた。読もうと思ったから借りてきたのは確かだが、まだそれだけの覚悟がつかない、というのが本音だった。 「───どうしよ?」 日本史の中世貴族文化から鎌倉時代までを網羅した、比較的詳細な歴史書。学校の社会科で学ぶような知識よりもさらに一歩踏み込み、豊富な資料写真と丁寧な年表が分かりやすいシリーズですよ───とは、歴史科目の苦手な望美に配慮した譲の言だった。 あの世界での歴史の流れが、どう流れていくのかが綴られているから。 今となっては幻のようにも思えるあの世界に放り込まれ、必死になって生き抜いてきた。そのために剣を習い覚え、怨霊を斬り人を斬った。尋常ならざる神の力の片鱗を受け取った代償はあまりに重く、仲間の命を救いたいと願って時をなぞり直した。とにかく彼ら全員が生きていることだけが望美の悲願であり、それが叶えられた今、こうして生まれ育った世界に戻ることはごく自然なことだった。 彼らは望美にとって、とても大切な人たちだった。 ───持て余すことになった心の痛みまでは、予測しきれていなかっただけ。 「一区切りつけば、そのうちおさまるのかな……」 あの世界から戻ってきて、約半年。 こんな本に書かれているような、遠い歴史にはできないほどの、鮮やかすぎる記憶。 望美はふるりと頭を振った。 「……ちゃんと、読まなきゃ」 彼らの生きざまを。
意を決してページをめくり始めても、さすが歴史書と言うべきか、歴史上の重要な業績を成した人物に焦点が絞られており、望美が知っている彼らの直接的な記述は、それほどなかった。あれだけの人が死に、焼け出され、あるいは戦い命を落とし、苦しみ哀しんで、それでも名を残すのはたった一握りの者だけ。輝かしい結果を残せたものだけ。 「───そうでしょ、九郎さん?」 信じていた兄に切り捨てられ、そのまま首を差し出すとまで言った、源氏の若武者。それを説得して平泉へと逃げ延びたあとも、自分のせいで戦火を呼び込むことで、誰よりひどく自分を責めていた、優しすぎるひと。 頼朝が九郎のことを切り捨てるかもしれない、ということは、望美には分かっていた。 「生きてればいい、か……」 望美はふと、苦笑した。 その時になってようやく、この地を離れたくないという自分の心に気がついた。 それは望美にとって、許せない感情だった。自分がいる限り、彼らは神子としての扱いをやめないだろう。だから必要がなくなればすぐに帰ろう、そう決めていたのに、どうして今更そんなことを考えるのかと自分自身にうろたえた。 ───それ、だけ? そう自分に問いかけてみれば、躊躇なく応と言えない心に気づく。 「戻ってきてから気づくなんて、どうかしてるよね、私も」 永遠に埋まらない距離を隔ててみれば、霧が晴れたように、自分の心を知った。 望美はそっとつぶやく。決して届かないと知りながら。 「───あなたのこと、好きでした、九郎さん」
やり直したいと思うことは、その気になれば数え切れないほどある。 あの世界で肌身離さず身につけていた白い鱗を、望美はいま、机の引き出しにしまい込んでいた。 「半年だよ、もう。……大丈夫、だよ」 想い出にするための時間。 ───恣意と衝動であの鱗を握り締めることの、ないように。
続 |
**反転コメンツ**
十六夜の平泉帰還ED後を九望テイストで捏造、今回は神子視点。神子もうだうだ悩んでます。
しかし今回は手こずった…何しろ神子には最終兵器・逆鱗があるから、それを使わせずに話を進めなきゃならんので。
ゲームでは簡単に時空跳躍してるけど、本当はそれって、剣を取って戦うことよりすごく怖いことだと思います。
気に入らないからやり直し、失敗したからもう一回。傲慢すぎる、まさに神の視点での力だ。