| ありふれた幸せ。ありふれていると、思っていた、幸せ。 この手から失くしてみて初めて、それが得がたいものだったと知る。
奥州を巡る季節は、ぬくもりよりも寒さのほうが長い。旅に適した時節を選ぼうとすれば、それなりに気を遣わねばならない土地だった。 「……九郎殿、弁慶殿。どうかお元気で」 紅葉が美しく色づいた、平泉の地。 別れを惜しむ言葉を告げることはできるが、それは詮無いこと。 「道中気をつけてくれ」 「君もお元気で、朔殿」 朔は何も言わず……何も言えず、さらに深く頭を下げた。 「───これで少しは安心できるでしょう」 「……そうだな」 誰が、とわざわざ断る必要はない。 それでいいのだ。 「寂しくなりましたね」 弁慶の声に、九郎は少しだけ逡巡し、やがて頷いた。
鎌倉との戦が終わり、最初の春が訪れたとき。 『みんな、今までありがとう。元気でね』 そんな言葉だけを残して、神子は気まぐれな春風のように消えていった。 『じゃ、オレも帰るよ』 神子を見送りにきただけだ、と公言していたヒノエは、宣言どおりにさっさと熊野へ戻っていった。攫っていこうか、とも軽口を叩いていたのは、少しばかり本気の口調が混じっていたように、弁慶には聞こえた。 『力が満ちるよ───天からみなを見守り続ける……』 異界への道が完全に閉じたとき、白龍はそう告げた。その身がまばゆく輝いた刹那、白く光る鱗のつらなりをきらめかせ、神は在るべき場所に還っていった。 『五行が巡り始めたのだな。……ならば私の役目も終わったのだろう』 敦盛が静かに呟いた。その時にはその言葉の意味は分からなかったが、数日後、彼はいずことも知れずに姿を消した。残された書置きには、にわかに信じがたい事情が綴ってあったが、彼が偽りをかたるような者ではないことはよく知っていた。だからきっと、その書面にある通りなのだろう。 『集い、為し、終えた。流れは正された』 リズヴァーンがそう言った時、九郎は一瞬だけ、師を引き止めたい思いにかられた。けれどそうとは言えず、また口にしたところで、聞き入れられるとも思わなかった。黙って下げた九郎の頭に、大きな掌が乗る。その感触に驚いてがばりと顔を上げた時、すでに師の姿はどこにもなかった。 望美たちを見送り、高館に帰れば帰ったで、泰衡の姿が見えないと大騒ぎになっていた。程なくして事切れた彼のむくろを見つけたという知らせが入り、泡を食って駆けつけてみれば、無愛想で辛辣で、それでも行くあてのない九郎を受け入れてくれた旧知の男は、どこか安らかな表情を浮かべたまま、永遠の眠りについていた。 そして秋深まる今日、最後の仲間であった朔を家族の元へ送り出し、九郎の周囲には、あの神子を思わせるものは何ひとつ無くなっていた。 「寂しい、か。……そう言われれば、そうなのかもしれないな」 いつでも、望美がそばにいた。彼女によってもたらされた仲間たちが、そばにいた。 ───彼女がいなくなれば、これほど簡単に潰える絆と、知っていたはずなのに。 いつの間にか慣れていた。一人ではないという幸せに。 「だが、これで、いいんだ」 もう小さくなった朔の後姿を見やって、九郎は踵を返した。
諦めさえしなければ、やり直せることは、この世の中には意外と多い。それは事実だ。 望美がいない。 分かっているのに、分かっていたはずなのに、身の内に巣食った喪失感は、時を経て埋まるどころかますます大きくなる。 『君は本当に鈍い人ですね』 弁慶の言うことは、癪に障るが本当のことだった、と九郎は思う。 ───彼女はいないのだから。 居室の濡れ縁に座って独り酒を重ねながら、九郎は夜空を見上げた。 「……お前を、抱きしめたいと思ったら」 散る、紅葉。それを包む月光。共に眺めたのはひとつ前の同じ季節。 「───お前が、いなかった」 伝えたいことが、ある。 言えなかった想いを、せめて伝えることができたなら。 「馬鹿者だな、俺は……」 瞳を閉じて呟き、杯を傾けた。
続 |
**反転コメンツ**
十六夜の平泉帰還ED後を九望テイストで捏造。ま…まだ少し続きますコレ、すいません(爆)。
無印帰還と十六夜帰還を比較すると、鎌倉と決別が済んでる分、九郎にとっては十六夜の方が身の安全にはいいと思う。
神子がいなければ、あの集団はあっさり瓦解するんだよな、ということも、少し書いてみたかったんです。
次は神子視点の話になる予定〜。最後はハッピーエンドです、はい。