| 水を汲んで戻ってきた望美が見たものは、弁慶の向こう側で不意に上体を折る九郎の姿だった。 「く、九郎さんっ!? 弁慶さん、何を……」 泡を食って駆けつけた少女に、振り向いた弁慶の笑顔は常より疲れた印象を与えた。理由は分からないながらも九郎のもとに迷いなく寄り添ったその姿に、ほんの少しだけ、弁慶のまなじりが柔らかさを増す。 ほら、九郎。 「───ああ、望美さん。できれば君には、こんなところを見られたくはなかったのに」 「そうじゃなくてっ……どうして、いきなり九郎さんを殴るなんて」 九郎は未だに鳩尾をかばって膝をついている。かろうじて呻き声こそ堪えているものの、衝撃から立ち直れていないところを見ると、手加減なしの拳を見舞われたらしい。 「訳ならその馬鹿者に訊いてください」 では僕はこれで、と背を向けた弁慶を、望美は困ったように見送った。信頼している仲間だとは言え、弁慶の胸中を読みきれるような者はそうはいない。 「……九郎、さん? 大丈夫……?」 「───ああ、少々きつかったが……。あいつ、手加減なしだったな」 ようやく顔を上げた九郎にほっとする。それと同時に、互いの顔の近さに気づいた。 望美の目の前に、九郎の顔があった。 九郎の目の前に、望美の顔があった。 「…………」 まじまじと見つめ合って、ふと我に返った。ばっと顔を背けた九郎の仕草に、望美も忘れていた羞恥心を思い起こして俯く。 「さ、朔殿と、水を汲みに行ったんじゃなかったのか?」 「あ……えと、そうなんですけど、九郎さんのことが気になって」 言いながら望美は、あれ、と違和感を覚えた。 「───あ! ぶちまけちゃってる……」 慌てすぎて無意識だったのだろう。駆け寄る折に放り出してしまったらしく、水桶は横倒しになって、当然ながら中身はすべてこぼれてしまっていた。あまりに彼女らしい顛末に、事態の深刻さを一瞬忘れて、九郎は噴出す。 「……ははっ、お前らしいな」 「もう、ひどい! 九郎さんの心配したせいなんですから、笑わないでくださいよ」 済まない、と言いながらも、九郎はしばらく笑っていた。
「私は巻き込まれたなんて、考えてません!」 そう口にする望美の頑固さを、九郎は考慮しきれていなかった。離れたほうが彼女のためだとは知っていたが、もとより自分とてそれを望んでいる訳では決してない。 「……望美、頼むから、聞き分けてくれ」 「いや。私は私の意志で、九郎さんと一緒に行くって決めたの」 伸び上がった望美の瞳が、九郎を覗き込んだ。 ───流されて、しまう。手放せなく、なってしまう。 九郎の腕が、望美の小づくりな頭をぐいと引き寄せた。視界が九郎の着物一色に染まった望美はもがいたけれど、男の力に敵う訳もなく、耳元でその声を聞いた。 「……お前はどうして、俺の願いを言い当ててしまうんだ……」 その甘さが望美をうろたえさせ、少し距離をとろうとたたらを踏んだ爪先が、鈍い苦痛を訴えた。その痛みに、歩きどおしで足の爪が割れかけていたことを、ようやく思い出した。 「───つっ……」 「望美?」 「あ、なんでもないです! ちょっと、石でも踏んだのかなって」 朔か弁慶にこっそり看てもらおうと思っていたのに、すっかり忘れていた。望美は慌てて、怪訝な顔の九郎を誤魔化そうとしたが、こういう時に限って妙にさといのが、この朴念仁の変わったところだった。 「ならば座れ。少し、見せてみろ」 「えっ!?」 ますます慌てる望美に、九郎はすぅと瞳を眇める。 「───望美」 「う……は、はい……」 渋々、促されて座る。ピンクのスニーカーを脱ぐと、症状は望美が思っていたよりも悪化しており、紺色の靴下の上からも血が滲んでいるのが分かった。 「───っ! お前っ、この足……!!」 「さ、さっき朔に看てもらうつもりだったんですよ! 今朝はこんなに酷くなかったし!」 「そういう問題じゃないだろ!!」 怒鳴ってから、九郎は己に怒りを覚える。 なにか、してやりたかった。 「水は……ああ、零してしまっていたか」 九郎は少し思案すると、おもむろに望美の足に手を伸ばした。 「く───九郎さんッ!?」 望美の仰天して制止する声も、耳に入らなかった。 ───誰にも触れさせたくはない、と思うその理由は、いまだ知らない。
了 |
**反転コメンツ**
十六夜の蜜月イベント2がらみでちょっと甘く…のつもりがやたら変態じみた内容になってしまった(爆笑)。
平泉ルートは基本的にシナリオがえらく重いので、切ないモード好きな自分には萌えの宝庫。
実は九郎はけっこうマイナス思考のようなので、一人で放っとくとどこまでもグルグル考えてヘコむ奴だと思う。
神子がいなかったらさっさと鎌倉に首を差し出してたんだろうな、と考えると切ないなぁ。