馬上手

 

 近づくまで、触れるまで、そんなにも違うとは思わなかったのだ。

 

 

「か、かなり……大きいね……」

「そ、そうですね……」

 望美と譲は冷や汗をかきつつ目を見合わせた。
 とにかく戦に出ることを認めてもらうために、望美は剣の秘技『花断ち』を会得せねばならない。ところが現実とはさらに厳しいもので、それだけではない問題が山積していた。
 それを見た景時は、ぽりぽりと頭をかく。

「ん〜、一番気性の優しいのを選んでみたんだけど、ちょっと二人には大きいかな」

 景時のフォローを耳にすると、後には引けない。だいたいここまで世話になりっぱなしの上に気を遣わせたとあっては、できれば遠慮したいとか、換えてほしいとか言い出すことはできなかった。
 京邸の庭先。
 三名の前には、蹄で地面を蹴りながらぶるると鼻息を出す、大きな馬がいた。

 戦場だけでなく行軍でも、馬は必ず使われる。歩兵たちもいることはいるが、将とはその地位と権限に圧倒的な隔たりがあり、仮にも白龍の神子として鳴り物入りで利用される戦神子が『乗れません』という訳にはいかなかった。となれば自然と、彼女を護ろうと決意している幼馴染みにも、乗馬の修得は求められることになる。
 乗馬というのは現代では、ごく特定の職種か、もしくはやや古風な上流趣味という扱いにしかならない。当然ながら望美も譲も、馬を間近で見たことさえろくになかった。

「あ、でも、気をつけてね。まともに蹴られたら死んじゃうくらいの力はあるし」

「景時さん!」

 ぴしっと強張った望美を見て、譲が咎めの声を上げた。
 そういうことは、たとえ事実だとしても、今この状況で言わないでほしい。

「……あら、兄上。またさぼっていらっしゃるの?」

 極度の緊張に陥っている二名と、のほほんと手綱を握る一名に、濡れ縁を通りかかった少女の声が響いた。

「あ、朔」

「まあ、望美と譲殿まで。どうしたの、兄上がまた何かくだらない頼みでも?」

「さ、朔ぅ〜あんまりだよ」

 邸の主はがっくり肩を落とし、その妹姫はくすりと微笑んだ。その関係は、一人っ子の望美にはひどく羨ましいもののように思われる。有川兄弟が実際の兄弟がわりだったようなものだが、彼らはこんなに仲がよくはない───特にある程度、成長してからは。

「望美ちゃんと譲くん、馬に乗れないって言うからさ。教えてあげとかないと」

 景時の言葉に、朔はああと頷いた。望美はふと気になる。

「朔は馬に乗れるの?」

「ええ、一応は。……そうね、従軍するなら、馬術はやはり要ると思うわ」

 こんな、淑やかを絵に描いたような朔まで、乗馬ができるものなのか。改めてカルチャーショックを感じ、望美はむぅと唸る。
 譲が意を決したように、景時に向き直る。

「……じゃあ景時さん、すみませんが教えてください」

「譲くん?」

 背の高い後輩は、にこりと少女に笑いかけた。

「大丈夫ですよ、きっと。俺が先に教えてもらえば、馬だって初心者に慣れるでしょう」

 

 

「望美ちゃん、もっと力抜いて。じゃないと馬に緊張が伝わっちゃうよ」

「は、は、はいっ……でもっ、た、高くて……っ」

 譲が手ほどきを受けているのを傍から見ている限りでは、それほど困難なものだとは思わなかった。景時の言う通り、馬は非常に大人しく譲をその背に乗せていたし、最後には流鏑馬の練習すらできそうなほど、譲の飲み込みは早いものだった。
 だから自分も、さほど苦戦しないでも良さそうだ、と思っていたのに。

「うわわわわっ……」

 近寄って鐙に足をかけようとして、改めてその高さに驚いた。馬というのは間近で見ると、こんなにも大きな生き物だったのか、と思う。何かにしがみつかないと昇れなさそうだったから、うっかり手綱を引っぱりかけて景時に止められた。鞍の端を掴んで乗り込むのだ、と教えられ、乗りこなす以前にまず乗り降りの練習をさせられた。
 やっと鞍にまたがれば、視界の高さは予想をはるかに超えていた。もちろん建物の二階よりはずっと低いが、何より違うのは自分の身体が剥き出しで、馬の背がひどく揺れているということだった。生き物なのだから当然なのだが、望美にはそれが怖くてたまらない。

「望美は馬に触れるのは初めてなのかしら?」

「ええ。俺も今日が初めてですよ」

「その割には譲くん、飲み込み早いよねぇ。すごいな〜」

「まったくですわね兄上。少しは譲殿を見習っていただきたいわ」

「朔ううぅ〜」

 ひどいみんな、私がこんなに必死に、恐ろしい思いを我慢してるのに。
 外野三名の会話に加わる余裕のかけらもない望美は、そんな微妙にずれた言いがかりを頭の中でめぐらせた。
 やり遂げなければいけないのは、分かっている。けれど頭で理解することと、実際に技量を身につけることは、まったくの別だ。ただ立ち止まっているだけの馬の背に乗ることすら満足にできないのに、この上駆けろだなどと言われても、達成できる日がどれほど遠いのか、見当すらつけられない。

 そんな考えで頭が一杯だったのが、悪かった。
 揺れにバランスを崩しかけて、望美が無意識にぐっと引いたのは、手綱だった。
 手綱を引かれれば、馬はそれを『駆けろ』という合図だと了解する。

 ───ヒヒイィィィン!

「えっ……?」

 望美は呆気に取られた。他愛ない会話をしていたせいで、うっかり彼女から意識を離していた三名も、その時になってようやく異変に気づいた。

「先輩っ!?」

「望美!」

 譲と朔の叫びが消えないうちに、望美を乗せた馬は駆け出した。庭先から飛び出し、向かうのは京の通り。

「わわっ! の、望美ちゃん、手綱引いちゃったの!?」

 景時が慌てふためき、手綱を掴もうとしたがすでに遅い。
 望美の姿は、馬とともに京邸から消えていた。

「───兄上!!」

「景時さん!!」

「わ、分かってる分かってるってば! でも、望美ちゃんがしっかり手綱を握っててくれてれば、そんなに大事にはならないと……」

「先輩が止まってる状態でもまだ不慣れだったこと、知ってるでしょう!?」

「兄上、いいから早く追いかけて! あの馬、どなたの持ち馬なの!?」

 望美に馬を制するのは到底無理だ。となれば、指示を与えられない馬は、一通り駆けて満足すれば、主のもとへ戻るかもしれない。実際にはそう考えるくらいしか希望が持てず、まして落馬したらと思うと、譲と朔の血の気は引くばかりだった。
 二人に詰め寄られ、景時は真剣に命の危機を感じつつ、答えた。

「く、九郎のだよ!!」

 

 

「とっ、止まって〜〜〜!! どいてどいて危ないからああぁぁ!!」

 望美はかろうじて馬の首にしがみつきながら、必死で叫んだ。蹄の駆ける音と少女の悲鳴混じりの声に、通りにいた人々が驚いたようにくもの子を散らす。おかげでまだ何かを蹴ったりぶつかったりしてはいないが、それもいつまで続くか。

『まともに蹴られたら死んじゃうくらいの力はあるし』

 冗談ではない。もしこの馬を自分が御せなかったせいで、誰かが傷ついたり死んだりしたら、一体どう詫びればいいのか。
 極度の緊張と揺れから、しだいに望美の腕から力が抜けつつあった。
 離せば、落ちる。大怪我はまぬがれない。しかしそれ以上に、騒ぎを起こしてしまった京の民に申し訳なく、まともに乗ってやれずに暴走させてしまった馬に済まなかった。

 がっ、と馬が跳ねた。一際大きな衝撃に、馬の汗と自分の汗で手が滑った。

 ───もう……だめっ……。

 ずるりと力が抜けかける。
 華奢な身体が落ちるかに見えた、その時。

「───っ、馬鹿!!」

 ぐい、と望美を後ろから抱え込むように支える、腕があった。

 

 九郎はちょうど、梶原の京邸へ向かう途中の道を、馬の背に揺られていた。
 歩いたところで大した距離ではないのだが、仮にも鎌倉殿の権威をあずかる名代として、もののふらしさを京の民には印象づけねばならない。これも務めだと思えば仕方なく、もともと馬は得手でもあるので苦ではなかった。
 気性が穏やかな気に入りの一頭を引いてくるよう命じると、景時が借りていったという。望美と譲に乗馬を教えるのだという名目だそうだが、正直言って嘆息しか出てこない。剣はおろか馬にも乗れずに従軍させろとは、何という無茶を言う女だ、と思う。

 考えながら手綱を取っていると、不意に前方から人々の悲鳴が聞こえてきた。
 悲鳴だけではなく、それに混じって蹄の音が響く。

「暴れ馬か? 己の馬も御せないとは、未熟な……っ!?」

 呟いた呑気な言葉が途切れたのは、渦中の馬と乗り手が視界に入ったからだ。
 あまりにも見覚えのありすぎる、その人馬。

「───望美っ!?」

 何を考えるより先に、馬の腹を蹴っていた。抜けていった方向へ、全速力で駆ける。細く込み入った路地で早馬を飛ばす技量は並みではなく、九郎だからこそ可能なことだった。
 望美が今乗っている馬は本来、穏やかな分だけ戦場には向かず、もっぱら行軍の折に乗っているもので、早さより持久力が勝っていた。さして手間取りもせずに距離を詰めて追いつくかと思った、その時。

 望美の身体が、ぐらりと傾いだ。

「──────っ……!!」

 届くかどうか、ぎりぎりの距離を一気に身を乗り出して。
 九郎は、望美のまたがる馬に飛び移っていた。
 握られていない手綱を取り、落ちかけた望美を支え直して腰に腕を回す。力加減というものをできる状況ではなく、ずいぶんと小柄なのだな、と一瞬だけ思った。

 

「……どうっ、どうっ! 落ち着けっ」

 背に預けた重みが本来の主だと、馬にはすぐ伝わったようだった。それまで無闇に駆けていたのが嘘のように静まり、その場で前足を蹴り上げて、止まった。
 九郎がそれまで駆けさせていた馬も、乗り手を失ったことに気づき、何間か進むと自分から立ち止まった。
 鮮やかな手並みに、民の間から歓声が上がる。ただでさえみごとな手腕、それに加えて見目がそれなりに整った若い男女の救出劇とあれば、野次馬根性というものは昔も今も変わらない。

「…………っ」

 望美にようやく、息をする感覚が戻ってきた。
 背後の気配、声、ぬくもり。自分の腰に回された腕は、よく知っている白地の着物に篭手がのぞいていた。

 よく知っている人のはずなのに、まるで知らなかった、その逞しい力強さ。

「───く、」

「この馬鹿っ! 何をしでかしたら、この馬がここまで暴走するんだ!!」

 怒声に身が縮む。びくりと震えたのが、密着したままの九郎に直接伝わった。
 その震えが、九郎を我に返らせる。一番恐ろしかったのは、望美ではないか。

「……いや、不慣れなお前に怒っても仕方のないことだったか。済まない」

「う、ううん……ほんと、ごめんなさい……」

 たしなめれば突っかかってくるばかりだった望美が、何ひとつ言わずに自分の叱責を受け入れている。よほどの恐怖だったのだろうと思うと、九郎は己の気の利かなさに改めて歯噛みした。

「───無事なら、いい」

 言ってそのまま、馬首をめぐらせる。一声かけると、ここまで九郎が乗ってきた馬も、大人しくついてきた。

「ごめんなさい九郎さん……」

「謝るな」

 謝るとしたらこちらだ、と、憮然とした呟きが、望美の震えをゆっくりと溶かしていく。
 この気持ちを、他にどう言い表したら、伝えられるのだろう。

「……九郎さん」

「なんだ?」

 望美は後ろを振り向いた。
 自分を支えたままで手綱を取る九郎の瞳を、真っ直ぐに見上げて。

「───ありがとう」

 見交わした視線が、互いにふわりと、やわらかさを含んだ。

 

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**反転コメンツ**
1周目で乗馬訓練中のお約束展開。現代にいる頃は馬なんて乗ったことないと思うので。
九郎のスチル『鵯越』は、おっそろしいまでの急傾斜をたてがみ掴むだけで同乗してる神子という荒武者っぷり(笑)。
いや、あれは神子が絶対落ちると思うから、九郎せめて後ろに乗せてやれよ安全上。
ギャグ落としにしようかと思ったんだけど、ほのぼのにちょっと飢えていたので(書き手が)、これにて幕。