| 近づくまで、触れるまで、そんなにも違うとは思わなかったのだ。
「か、かなり……大きいね……」 「そ、そうですね……」 望美と譲は冷や汗をかきつつ目を見合わせた。 「ん〜、一番気性の優しいのを選んでみたんだけど、ちょっと二人には大きいかな」 景時のフォローを耳にすると、後には引けない。だいたいここまで世話になりっぱなしの上に気を遣わせたとあっては、できれば遠慮したいとか、換えてほしいとか言い出すことはできなかった。 戦場だけでなく行軍でも、馬は必ず使われる。歩兵たちもいることはいるが、将とはその地位と権限に圧倒的な隔たりがあり、仮にも白龍の神子として鳴り物入りで利用される戦神子が『乗れません』という訳にはいかなかった。となれば自然と、彼女を護ろうと決意している幼馴染みにも、乗馬の修得は求められることになる。 「あ、でも、気をつけてね。まともに蹴られたら死んじゃうくらいの力はあるし」 「景時さん!」 ぴしっと強張った望美を見て、譲が咎めの声を上げた。 「……あら、兄上。またさぼっていらっしゃるの?」 極度の緊張に陥っている二名と、のほほんと手綱を握る一名に、濡れ縁を通りかかった少女の声が響いた。 「あ、朔」 「まあ、望美と譲殿まで。どうしたの、兄上がまた何かくだらない頼みでも?」 「さ、朔ぅ〜あんまりだよ」 邸の主はがっくり肩を落とし、その妹姫はくすりと微笑んだ。その関係は、一人っ子の望美にはひどく羨ましいもののように思われる。有川兄弟が実際の兄弟がわりだったようなものだが、彼らはこんなに仲がよくはない───特にある程度、成長してからは。 「望美ちゃんと譲くん、馬に乗れないって言うからさ。教えてあげとかないと」 景時の言葉に、朔はああと頷いた。望美はふと気になる。 「朔は馬に乗れるの?」 「ええ、一応は。……そうね、従軍するなら、馬術はやはり要ると思うわ」 こんな、淑やかを絵に描いたような朔まで、乗馬ができるものなのか。改めてカルチャーショックを感じ、望美はむぅと唸る。 「……じゃあ景時さん、すみませんが教えてください」 「譲くん?」 背の高い後輩は、にこりと少女に笑いかけた。 「大丈夫ですよ、きっと。俺が先に教えてもらえば、馬だって初心者に慣れるでしょう」
「望美ちゃん、もっと力抜いて。じゃないと馬に緊張が伝わっちゃうよ」 「は、は、はいっ……でもっ、た、高くて……っ」 譲が手ほどきを受けているのを傍から見ている限りでは、それほど困難なものだとは思わなかった。景時の言う通り、馬は非常に大人しく譲をその背に乗せていたし、最後には流鏑馬の練習すらできそうなほど、譲の飲み込みは早いものだった。 「うわわわわっ……」 近寄って鐙に足をかけようとして、改めてその高さに驚いた。馬というのは間近で見ると、こんなにも大きな生き物だったのか、と思う。何かにしがみつかないと昇れなさそうだったから、うっかり手綱を引っぱりかけて景時に止められた。鞍の端を掴んで乗り込むのだ、と教えられ、乗りこなす以前にまず乗り降りの練習をさせられた。 「望美は馬に触れるのは初めてなのかしら?」 「ええ。俺も今日が初めてですよ」 「その割には譲くん、飲み込み早いよねぇ。すごいな〜」 「まったくですわね兄上。少しは譲殿を見習っていただきたいわ」 「朔ううぅ〜」 ひどいみんな、私がこんなに必死に、恐ろしい思いを我慢してるのに。 そんな考えで頭が一杯だったのが、悪かった。 ───ヒヒイィィィン! 「えっ……?」 望美は呆気に取られた。他愛ない会話をしていたせいで、うっかり彼女から意識を離していた三名も、その時になってようやく異変に気づいた。 「先輩っ!?」 「望美!」 譲と朔の叫びが消えないうちに、望美を乗せた馬は駆け出した。庭先から飛び出し、向かうのは京の通り。 「わわっ! の、望美ちゃん、手綱引いちゃったの!?」 景時が慌てふためき、手綱を掴もうとしたがすでに遅い。 「───兄上!!」 「景時さん!!」 「わ、分かってる分かってるってば! でも、望美ちゃんがしっかり手綱を握っててくれてれば、そんなに大事にはならないと……」 「先輩が止まってる状態でもまだ不慣れだったこと、知ってるでしょう!?」 「兄上、いいから早く追いかけて! あの馬、どなたの持ち馬なの!?」 望美に馬を制するのは到底無理だ。となれば、指示を与えられない馬は、一通り駆けて満足すれば、主のもとへ戻るかもしれない。実際にはそう考えるくらいしか希望が持てず、まして落馬したらと思うと、譲と朔の血の気は引くばかりだった。 「く、九郎のだよ!!」
「とっ、止まって〜〜〜!! どいてどいて危ないからああぁぁ!!」 望美はかろうじて馬の首にしがみつきながら、必死で叫んだ。蹄の駆ける音と少女の悲鳴混じりの声に、通りにいた人々が驚いたようにくもの子を散らす。おかげでまだ何かを蹴ったりぶつかったりしてはいないが、それもいつまで続くか。 『まともに蹴られたら死んじゃうくらいの力はあるし』 冗談ではない。もしこの馬を自分が御せなかったせいで、誰かが傷ついたり死んだりしたら、一体どう詫びればいいのか。 がっ、と馬が跳ねた。一際大きな衝撃に、馬の汗と自分の汗で手が滑った。 ───もう……だめっ……。 ずるりと力が抜けかける。 「───っ、馬鹿!!」 ぐい、と望美を後ろから抱え込むように支える、腕があった。
九郎はちょうど、梶原の京邸へ向かう途中の道を、馬の背に揺られていた。 考えながら手綱を取っていると、不意に前方から人々の悲鳴が聞こえてきた。 「暴れ馬か? 己の馬も御せないとは、未熟な……っ!?」 呟いた呑気な言葉が途切れたのは、渦中の馬と乗り手が視界に入ったからだ。 「───望美っ!?」 何を考えるより先に、馬の腹を蹴っていた。抜けていった方向へ、全速力で駆ける。細く込み入った路地で早馬を飛ばす技量は並みではなく、九郎だからこそ可能なことだった。 望美の身体が、ぐらりと傾いだ。 「──────っ……!!」 届くかどうか、ぎりぎりの距離を一気に身を乗り出して。
「……どうっ、どうっ! 落ち着けっ」 背に預けた重みが本来の主だと、馬にはすぐ伝わったようだった。それまで無闇に駆けていたのが嘘のように静まり、その場で前足を蹴り上げて、止まった。 「…………っ」 望美にようやく、息をする感覚が戻ってきた。 よく知っている人のはずなのに、まるで知らなかった、その逞しい力強さ。 「───く、」 「この馬鹿っ! 何をしでかしたら、この馬がここまで暴走するんだ!!」 怒声に身が縮む。びくりと震えたのが、密着したままの九郎に直接伝わった。 「……いや、不慣れなお前に怒っても仕方のないことだったか。済まない」 「う、ううん……ほんと、ごめんなさい……」 たしなめれば突っかかってくるばかりだった望美が、何ひとつ言わずに自分の叱責を受け入れている。よほどの恐怖だったのだろうと思うと、九郎は己の気の利かなさに改めて歯噛みした。 「───無事なら、いい」 言ってそのまま、馬首をめぐらせる。一声かけると、ここまで九郎が乗ってきた馬も、大人しくついてきた。 「ごめんなさい九郎さん……」 「謝るな」 謝るとしたらこちらだ、と、憮然とした呟きが、望美の震えをゆっくりと溶かしていく。 「……九郎さん」 「なんだ?」 望美は後ろを振り向いた。 「───ありがとう」 見交わした視線が、互いにふわりと、やわらかさを含んだ。
了 |
**反転コメンツ**
1周目で乗馬訓練中のお約束展開。現代にいる頃は馬なんて乗ったことないと思うので。
九郎のスチル『鵯越』は、おっそろしいまでの急傾斜をたてがみ掴むだけで同乗してる神子という荒武者っぷり(笑)。
いや、あれは神子が絶対落ちると思うから、九郎せめて後ろに乗せてやれよ安全上。
ギャグ落としにしようかと思ったんだけど、ほのぼのにちょっと飢えていたので(書き手が)、これにて幕。