覚悟、執着

 

 花は桜木、人は武士。
 散るそのさまは潔く、この世に未練は残さない。

 

 

 兄妹弟子として稽古をするのはいいが、如何せん男女の体力差というものは厳然と存在している。望美が疲れを見せ始める頃になっても、九郎の剣筋はいささかの乱れもなく、結局は彼女がひとり先に休み、彼はその場で素振りを続けるのが常だった。
 大きな石に座り込んで、望美は九郎を眺める。
 彼の愛刀は、非常に重かった。持ち主は軽々と扱うし、時には片手で振り抜いて矢を弾いたりもするから、初めて触れさせてもらった時は驚いた覚えがある。見た目や長さは自分の剣と似たようなものだと思っていたのに、手に伝わる感覚はそれを大きく裏切った。

『武士の命だ』

 誇らしげにそう告げた顔を、同時に思い出す。
 九郎は武士だ。幼い頃からそう育ち、それ以外の生き方を知らない。そのすべてが九郎らしさを作り上げているのだと、それは望美にも分かっている。そして、そんな九郎だからこそ、今この胸にある気持ちがはぐくまれたのだ、ということも。

 でも時折、やりきれなくなる。

「……九郎さんは、いつ初陣を経験したの?」

 望美はぽつりと言った。
 聞こえなければそれでもいい、と思っていたが、九郎はぴたりと手を止めた。

「お前が訊いているのは、戦のことか。それとも人を斬ったことか?」

 九郎の言葉は、わざとぼかした望美の本音を鋭く突いた。思わず苦笑が漏れる。
 いつだって彼はこうなのだ。手練手管という言葉を知らず、ひどく直裁に切り込んでくる。

「───人を、殺した、こと」

 望美はゆっくりと口にした。同時に自分の掌を持ち上げ、目の前にかざす。
 この手は罪を重ねた手。その事実はひどく重く、気を抜くと引きずり込まれそうになる。忘れたい、早く慣れてしまいたいと、叫び出したい心をこらえる。この恐ろしさが麻痺してしまったとき、自分はなにかとても大切なものを喪うのだと、分かっていたから。

 怨霊相手を得手とする神子とは言え、戦のさなか、敵にそんな理屈は通用しない。

 初めて───ここではない時空の中で、初めて人を斬ったとき。
 自分の身には傷ひとつつかなかったと言うのに、腰が抜けて立ち上がれなかった。馬鹿げている、戦場で動けない兵など、死に急ぐのと同じことだ。そう理解しているのに、身体は凍りついたように動かなかった。浴びた血潮はあたたかく粘り、苦悶の表情が空白になっていくのを、ただ間近で凝視することしかできなかった。

 込み上げてくる強い嫌悪と恐怖は、己に向けた感情だった。

 

 

『馬鹿! ぼうっとするな、死ぬぞ!!』

 そう叱咤した九郎の声と太刀の加勢がなかったら、あの場でとっくに死んでいた。
 呆然と見上げた刃に、まといつく鮮血。

『──────っ』

 呼ばれているのは分かる。でも身体はその真逆に動いた。
 望美は九郎から後じさった。立てない足を持て余し、ずりずりと這いながら。
 それを見た九郎は、瞬間、苦いものを呑みこんだような顔をした。その理由など望美には分からず、くるりと向けられた背を見上げた。ただ彼が落ち着いた太刀捌きで敵を切り伏せていくのを、震えながら見ているだけだった。
 敵とは言え、ひとだ。
 殺し合いをしているのに、何故このひとはこんなにも美しいのだろう、とぼんやり思った。

 最後の相手が崩れ落ち、その場に動くものは二人だけになったところで、ようやく九郎は動きを止めた。刃を振って血を落とし、望美を振り返る。
 眼差しは、責める色ではなかった。それが余計に望美を混乱させた。

『……わ、たし、』

『怪我はないか』

 言いかけた言葉をさえぎられた。それはわざとだ、と望美には分かったが、むしろ有り難いと思う気持ちの方が強く、ぎしぎし軋む首を何とか縦に動かした。
 そうかと呟き、九郎は歩み寄る。
 刃が、近づく。

『……っ』

 またしても後ずさりたくなる恐怖を、望美は必死に押し殺した。

『戦とはこういうものだ。常に散る覚悟が要る』

 淡々と言った九郎は、しばらく口を噤んだあとに、続けた。

『拒みたいなら止めない。女の身には余るものだと、俺は最初から言ったはずだ』

 泣きたくなった。
 九郎の言葉のほんとうの意味に、消えない罪を犯してから気づくなんて。
 あまりの自分の愚かさに涙が出そうになり、知られたくないと瞳をつむった。
 息を吸って、吐く。それだけの動作が、ひどく重かった。
 生きている。誰かを殺して、私はいま生きている。

『───でも、わたしは、』

 声が震えるのだけは、どうしても隠せなかった。

『かえり、たいから、』

『…………』

 九郎はそれ以上、何も言わなかった。責める言葉もとどめる言葉も、慰める言葉も。
 ただ黙って、手を差し伸べた。
 恐る恐るそれを握ると、ぐいと引っ張られて、よろけながらも立ち上がった。

 立ち上がることが、できた。

 

 

「私ね、初めて人を殺したとき、すごく怖かったんです」

「……それはそうだろう。恐ろしくない者などおらん」

「そのときに、助けてくれた人がいて。その人は、座り込んで動けなかった私に、なにも言わなかったんです。怒りっぽい人なのに、責めも慰めもしなかった」

 当人には覚えがないのをいいことに、望美はそんな風に言った。
 あの掌のぬくもりは、今でも鮮明に思い出せる。

「初めて思ったんです───その人も、私みたいにつらかったのかな、って」

 刀で命の奪い合いをする世界など、時代劇でしか見たことはない。望美にとって、ここは紛れもない異世界で、そこで戦う九郎たちは理解を超えた人種だった。人を殺して正気をたもっていられるなんて、一体どういう神経をしているのかと疑いもした。

 けれど違った。流れる血も、感じる痛みも、罪の意識も。
 彼らは……九郎は、自分と同じ、ひとだった。

「死ぬ覚悟がなきゃ、戦なんてできない。その人はそう言ってました」

 九郎の瞳がすっと眇められる。そうすると、陣中のような緊張感が周囲を漂う。
 この気迫は、死ぬ覚悟があるからこそ。
 そう考えると切ない。

「そうでなくば、武士とは言えん」

 九郎らしい実直な物言いに、望美は苦笑する。

「うん、分かってます。でも私は」

 息を吸う。息を吐く。いきている、いま私たちはいきている。

「死ぬ覚悟をするより、生きることに執着したい」

「…………」

「立派に死ぬことは、立派に生きたことの仕上げだから。だからいつでも死ねる覚悟をするよりも、納得できるまで生き抜くことをあきらめたくないんです」

 覚悟ひとつであっけなく散っていくかに見えた、戦場での命。
 その覚悟だけでなく、生き延びようとする意思があれば、結果は違ったかもしれない。少なくとも自分は、仲間の命を掴むことをあきらめられずに、今この場に存在している。目の前にいる、このひとの命を。
 だから勝手に捨てる覚悟だけを決めないでほしかった。

 うまく言えない。命の尊さを、この世界の人に分かってもらうのは、なんて難しいのか。
 望美はもどかしげに唇を咬んで俯いた。

「───好んで死にたい者など、いないさ」

 頭に大きな掌が乗る。そのあたたかさに眩暈がした。
 いきている。それだけでこの胸を満たす喜びを、このひとは知っているだろうか。

 

 

 花は桜木、人は武士。
 それでも生きて、ほしいのです。

 

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**反転コメンツ**
舞台未定でちょっとシリアスに。この辺の思想は決定的にかみ合わないよな、現代人とは。
1周目の記憶は神子にしか残ってないので、他キャラは戦場でもひるまない神子しか知らないんだよなあ、と。
でもさぞやパニくったに違いない。だって殺人が日常的に繰り返されてしかも奨励されてるんだから。
その辺りのギャップ、もうちょっときちんと埋めてみたいです、そのうち。