Snowdrop

 

 春が来るよ、春が来るよ。
 森が芽吹き、鳥が歌い、水が湧き出す美しい春が。
 いのちかがやく、希望の春が。

 

 

「なんで今日はこんなに寒いのー!?」

 夜明けのすぐ後に起き出したものの、望美は思わずそうぼやいた。
 最近はどんどん春めいてきていたから、明け方の遠乗りも悪くないだろう───そう誘ってくれた相手が九郎でなかったら、ドタキャンになろうが丁重に辞退させていただきたくなるほど、その日の気温は低かった。
 平泉は望美の世界で言えば、東北地方の中ほどにあたる。冬の訪れの早さ、雪の深さ、身を切る風の容赦のなさは、望美のそれまでの体験を超えていた。そしてようやく冬が去ろうとしているこの時期になっても、まだこうして、ときおり季節が逆行することがある。

「……ううぅ。出たくないよう」

 思わず不貞腐れの表情で、望美は掛け布団代わりの袿を引きかぶる。こんなに温かいものを振り捨ててまで、どうして馬で極寒の風を受けなければならないのか。いや、そんな理不尽は九郎とて言うまい。そうだ、今日は止めにして、また後日を期すればいい。

 望美がそんな詰めの甘い願望をつらつらと思い描いている、その時。

「まだ寝ているのか? 望美、起きろ」

 ……寒さなどまったく堪えていない、体力馬鹿の朴念仁が押しかけてきた。
 ああそうだ九郎さんってこういう人よ、と望美は脱力する。突っ伏した際に袿が擦れてさらりと衣擦れを立て、その音で九郎は、望美が起きていることを悟ったらしかった。

「起きているなら入るぞ」

「……どうぞ」

 すらりと扉を開けられると、そこに佇む九郎の背後からひゅぅと風が吹き込む。

「さむっ! 九郎さん、早く扉閉めてくださいよ」

 袿にすっぽりとくるまって、望美はそう言った。これは九郎に対する最後の砦だ。無理に剥ぎ取るつもりなら、悲鳴を上げてやれば朔や他の八葉がすっ飛んでくる。

「お前がそんな格好をしているからだろうが」

 呆れたように九郎は返した。彼からすれば、あれほど丈の短い着物を自分から身につけておいて、何が寒いだ自業自得、という感がある。
 構わずに、持っていたものをばさりと、袿に埋まった望美の上に落とした。
 柔らかな毛に縁取られた、なめした皮の外套。さしずめファーコートのような外観のそれはいかにも暖かそうで、望美はそろりと袿から顔を出す。

「?」

「それを着ろ。お前など凍えてしまうぞ」

「……それ以前に、もっとあったかくなってから行けばいいんじゃないの?」

 望美の抗議に、九郎は破顔した。
 彼女が決して逆らえない、極上の笑顔で。

「雪が舞っている。多分、この冬最後の雪だろう」

 ───雪の平泉を、お前と共に眺めておきたい。

 

 

 結局九郎に連れ出されたはいいものの、ファーコートもどきにぐるぐる巻きにされた望美は、当然ながら自分で馬を駆れるはずもなかった。どうする気かと九郎を振り仰ぐと、彼はもとから自分の馬に望美を乗せる気だったらしく、ひょいと抱き上げられて大いに狼狽させられる。

「わわっ! 声かけてからにしてくださいよ!」

「ああ、済まん」

 まったく悪びれていない謝罪が返ってくる。収まったのは彼の腕の中で、しかも横抱きにされたまま乗せられているから、望美はかなりの恥ずかしさを覚えていた。

 ───た、確かに、鞍にまたがれないから仕方ないんだけど……。

 望美はむぅと九郎の横顔を見る。いつもよりもかなり近い距離にある、それを。
 視線に気づいて、九郎がどうしたと訊いてきた。
 この距離でも、九郎は滅多に照れなくなった。それが望美には、自分たちの距離が縮まっていることの証のように思えて、ふわんと心が緩む。

「ん、何でもない」

「? ……まあいい、行くぞ」

 九郎の手綱に従って、二人を乗せた馬は駆け出した。
 九郎は馬上手だ。もともと坂東武者というのは馬術に秀でた者が多いらしいが、その中でも彼よりみごとに馬を乗りこなす者を、望美は見たことがない。総大将だからどうこうという話だけではなくて、そもそも向いているのだろう、と思う。

「も、もうちょっとゆっくり〜!」

「聞けないな。しがみついていろ」

 しがみつくと言っても、現実的な対象はごく限定される。
 抗議しようと望美が顔を上げると、今度はさすがに九郎の頬も少し赤みを帯びていた。

「…………」

 胸元の着物を握り締めていた手を、そっと彼の首に回す。
 手綱を引いていなければ、抱きしめてもらえるのに、と望美は少し残念に思った。
 駆けながら、九郎はふと呟く。望美にだけ聞こえるくらいの囁きで。

「───春が来たら、発とうと思う」

 望美は思わず、しがみついた先の九郎を見上げた。
 躊躇いの見られない、横顔。

「俺がこのまま平泉にいても、もはやこの地のために出来ることはない」

「九郎さん……」

「鎌倉の兵も退いた。ならば、これ以上の庇護は、身に余るものだ」

 言い切る九郎はあまりにも誇り高かった。何にも屈せず、己の信念を曲げず、どこまでも自分の選んだ道を行こうとしていた。
 そんな彼をいとおしいと想うのは、分不相応なのかもしれない。
 けれどそれでも、望美は九郎のそばにいたかった。

「……わたし、も」

「ん?」

「一緒に……行って、いいんですよね?」

 九郎の瞳が見開かれた。髪と同じ、明るく澄んだ鳶色のかがやき。

「……っ、馬鹿!」

「っきゃあ!?」

 駆ける速度が急激に増した。望美は振り落とされまいと、懸命に両腕に力を込める。
 しっかりと相手の首に縋りつく形になった少女の耳元に、怒ったような照れたような、そんな声が届けられた。

 ───いやと言っても、連れて行く。

 

 

「……きれい」

「そうだな……」

 うっすらと雪化粧をほどこされたばかりの平泉は、美しかった。
 最後と決めて二人で見る景色は、どれもこれも望美の胸に沁み、九郎の郷愁をかき立てて、静かにそこに存在していた。

 谷あいで馬の足を止め、休ませてやる。水辺はまだ、せせらぎと言うには寒々しい流れを見せていたが、それでも確かに氷に閉ざされてはいなかった。
 春は来る。時に後ずさり、時に雪を舞い戻らせながら。
 それでも、春は近づいている。

「九郎さん、見て」

「なんだ?」

 望美の目ざとさに九郎は苦笑する。
 彼女となら、どんな景色を眺めても、そこに多くの喜びを見出せるだろう。

「雪の中に花が咲いてる。スノードロップかな?」

 白い指がさす方向には、同じく白い花。雪を割って咲いた、一輪の春の使者。

「す……、あの花の名は知らないが」

 嬉しそうに見つめる望美は、九郎にとって春の象徴そのものだった。
 咲き誇る繚乱の花々、生命をはぐくむぬくもり、絶えることのない希望。

「お前のようだな」

 九郎の手がそれを摘み、望美に向けて差し出した。

「佐保姫に献じよう。この花が踏み荒らされぬ平穏を平泉にもたらした、春の女神に」

 

BACK


**反転コメンツ**
ホワイトデーネタを何故か平泉でやるハメになったのは、今日があんまり寒くて雪が降ってたから。(超行き当たりばったり)
平泉は岩手ですが、あのあたりは寒さが厳しい。盛岡は本州で一番、寒冷地手当てが高額だそうな。
ともかく白くて甘けりゃなんでもいいやーと考えていたので、お花ネタでいこう、野の花で(笑)。
「タダで済む雑草でお茶を濁しやがったな!」というツッコミは、ほら九郎はもう無職無収入だからってことで。