| 春が来るよ、春が来るよ。 森が芽吹き、鳥が歌い、水が湧き出す美しい春が。 いのちかがやく、希望の春が。
「なんで今日はこんなに寒いのー!?」 夜明けのすぐ後に起き出したものの、望美は思わずそうぼやいた。 「……ううぅ。出たくないよう」 思わず不貞腐れの表情で、望美は掛け布団代わりの袿を引きかぶる。こんなに温かいものを振り捨ててまで、どうして馬で極寒の風を受けなければならないのか。いや、そんな理不尽は九郎とて言うまい。そうだ、今日は止めにして、また後日を期すればいい。 望美がそんな詰めの甘い願望をつらつらと思い描いている、その時。 「まだ寝ているのか? 望美、起きろ」 ……寒さなどまったく堪えていない、体力馬鹿の朴念仁が押しかけてきた。 「起きているなら入るぞ」 「……どうぞ」 すらりと扉を開けられると、そこに佇む九郎の背後からひゅぅと風が吹き込む。 「さむっ! 九郎さん、早く扉閉めてくださいよ」 袿にすっぽりとくるまって、望美はそう言った。これは九郎に対する最後の砦だ。無理に剥ぎ取るつもりなら、悲鳴を上げてやれば朔や他の八葉がすっ飛んでくる。 「お前がそんな格好をしているからだろうが」 呆れたように九郎は返した。彼からすれば、あれほど丈の短い着物を自分から身につけておいて、何が寒いだ自業自得、という感がある。 「?」 「それを着ろ。お前など凍えてしまうぞ」 「……それ以前に、もっとあったかくなってから行けばいいんじゃないの?」 望美の抗議に、九郎は破顔した。 「雪が舞っている。多分、この冬最後の雪だろう」 ───雪の平泉を、お前と共に眺めておきたい。
結局九郎に連れ出されたはいいものの、ファーコートもどきにぐるぐる巻きにされた望美は、当然ながら自分で馬を駆れるはずもなかった。どうする気かと九郎を振り仰ぐと、彼はもとから自分の馬に望美を乗せる気だったらしく、ひょいと抱き上げられて大いに狼狽させられる。 「わわっ! 声かけてからにしてくださいよ!」 「ああ、済まん」 まったく悪びれていない謝罪が返ってくる。収まったのは彼の腕の中で、しかも横抱きにされたまま乗せられているから、望美はかなりの恥ずかしさを覚えていた。 ───た、確かに、鞍にまたがれないから仕方ないんだけど……。 望美はむぅと九郎の横顔を見る。いつもよりもかなり近い距離にある、それを。 「ん、何でもない」 「? ……まあいい、行くぞ」 九郎の手綱に従って、二人を乗せた馬は駆け出した。 「も、もうちょっとゆっくり〜!」 「聞けないな。しがみついていろ」 しがみつくと言っても、現実的な対象はごく限定される。 「…………」 胸元の着物を握り締めていた手を、そっと彼の首に回す。 「───春が来たら、発とうと思う」 望美は思わず、しがみついた先の九郎を見上げた。 「俺がこのまま平泉にいても、もはやこの地のために出来ることはない」 「九郎さん……」 「鎌倉の兵も退いた。ならば、これ以上の庇護は、身に余るものだ」 言い切る九郎はあまりにも誇り高かった。何にも屈せず、己の信念を曲げず、どこまでも自分の選んだ道を行こうとしていた。 「……わたし、も」 「ん?」 「一緒に……行って、いいんですよね?」 九郎の瞳が見開かれた。髪と同じ、明るく澄んだ鳶色のかがやき。 「……っ、馬鹿!」 「っきゃあ!?」 駆ける速度が急激に増した。望美は振り落とされまいと、懸命に両腕に力を込める。 ───いやと言っても、連れて行く。
「……きれい」 「そうだな……」 うっすらと雪化粧をほどこされたばかりの平泉は、美しかった。 谷あいで馬の足を止め、休ませてやる。水辺はまだ、せせらぎと言うには寒々しい流れを見せていたが、それでも確かに氷に閉ざされてはいなかった。 「九郎さん、見て」 「なんだ?」 望美の目ざとさに九郎は苦笑する。 「雪の中に花が咲いてる。スノードロップかな?」 白い指がさす方向には、同じく白い花。雪を割って咲いた、一輪の春の使者。 「す……、あの花の名は知らないが」 嬉しそうに見つめる望美は、九郎にとって春の象徴そのものだった。 「お前のようだな」 九郎の手がそれを摘み、望美に向けて差し出した。 「佐保姫に献じよう。この花が踏み荒らされぬ平穏を平泉にもたらした、春の女神に」
了 |
**反転コメンツ**
ホワイトデーネタを何故か平泉でやるハメになったのは、今日があんまり寒くて雪が降ってたから。(超行き当たりばったり)
平泉は岩手ですが、あのあたりは寒さが厳しい。盛岡は本州で一番、寒冷地手当てが高額だそうな。
ともかく白くて甘けりゃなんでもいいやーと考えていたので、お花ネタでいこう、野の花で(笑)。
「タダで済む雑草でお茶を濁しやがったな!」というツッコミは、ほら九郎はもう無職無収入だからってことで。