しずめて。

 

 もっともあわれないきものは。
 死んでしまった女より、忘れられた女です。
 えらばれなかった、おんなです。

 

 

 ぼうっとしたまま機械的に足を踏み出していたので、望美は自分がどこをどう歩いてきたのか、まったく意識していなかった。目の前に広がる砂浜はどこか見慣れた景色を思い起こさせて、その時になってやっと、そこが七里が浜だと分かった。

「───あれ……やだな、よっぽどぼーっとしてたんだ……」

 あはは、と乾いた笑いが漏れて、そのまま膝を抱えて座り込んだ。湿った砂がざらついてスカートにつく感触がするが、そんなことは今は気にならない。自分が気にしなければいけないのは、そんな些細なことではなくて、神子としてのつとめのはずだ。

 自覚と同時に喪ってしまった、この想いではないはずだ。

 そう分かっているのに、頭の中からそれを振り払えない。こういう気分の時は、むしろ開き直ってとことん突き詰めて納得してしまえば、それ以上悩まなくて済む。望美は自虐的な気分で、浮かんだ物思いをそのまま口に出し始めた。
 誰もいない浜辺で、海の底に沈めてしまえば、きっとこの想いも手放せるから。

「お姫様の恋人、かぁ……」

 きっと綺麗なひとだろう。源氏の御曹司である九郎に相応しいひとのはずだ。
 望美にも分かっている。この世界での結婚は、特に貴族や武家といった名のある階級であれば、気持ちなどとは無関係に決められるのだということ。互いの顔すら知らず、儀式を挙げる折に初めて対面することも普通らしい。ただでさえ鎌倉殿の名代、源氏の総大将として武名を馳せている九郎が、適当な相手を選ぶ訳がない。よしんば九郎本人が選んだとしても、周りがそれを許さないだろう。
 九郎はひどく疎い部分もあるが、とても真っ直ぐな、優しいひとだ。そんな彼であれば、きっと相手の女性も九郎のことを気に入るだろう。きっと仲むつまじい夫婦になれる。

「うん……それが当たり前なんだよね」

 鼻の奥がつんと痛みはじめたが、望美はあえてそれを無視した。
 ここで捨てなきゃ、駄目。抱えていたって無理なものは無理なんだ、自分がつらくなるだけなんだから。

「九郎さんが結婚かぁ。今まで気にしてなかったけど、ここじゃそれが普通なんだし」

 望美の身近な仲間に、家庭を持っている者はいない。それも、こういった方面に疎くなっていた理由のひとつかもしれない。朔は黒龍を伴侶としていた時期があったらしいが、今は彼を喪って髪を落としてしまっている。愛する相手を喪う哀しみと痛みを思えば、彼女に当時のことを根掘り葉掘り聞くことなど出来なかった。
 本当に、痛い。相手が生きていても、想いが届かないだけで、これほどつらいのに。

「……おめでとう、って、言わなくちゃね」

 そこまでが限界で、視界がぼうっと湿った熱におおわれた。
 泣いてしまえ。我慢なんてせずに。だって誰も見ていないんだから。
 泣いて泣いて、気が済むまで泣いて、この想いを葬ってしまおう。そうすればまたきっと、明日からは笑えるはずだから。
 だって私は神子だから。源氏に───九郎さんに加護を与える、神子だから。

 この涙は、想いが通じないからじゃなくて、想いが死んでしまうことへの憐れみ。

 

 

 いつから九郎を好きだと思っていたのだろう、と望美は自問する。

 最初───本当の本当に最初は、なんて居丈高な人なんだ、と憤慨した。女は戦場に出るものじゃない、と頭から決めつけて、こちらの事情など一切斟酌なしだった。あろうことか花断ちを身につけなければ戦列に加えない、と宣言された時などは、この世に悪魔を見たとさえ思ったものだ。
 何かと衝突した。むしろ、しない日はなかった。言い合いすぎて息が切れ、互いにふんと顔を背けたこともしばしばだった。それでもいつの間にか、乱暴な物言いの奥にある、真綿にくるまれたように分かりにくい優しさを、読み取れるようになっていた。
 師を喪った日、二人で夜を明かした。時折ぽつりと呟かれる師弟の過去は、還らぬ日々への手向けに聞こえた。炎に包まれた京で、仲間の信じられない死を聞いて、ただ震えていた自分。それをかばって前に出たその背の広さ、暴虐を語る言葉を止めた凛と響く声。

 繋いでいた手が離れた一瞬、焼け落ちた壁に阻まれて見えなくなった、最期。

 もう誰も喪うものかと誓って、跳んだ。
 けれど自分が歪めた運命は、さらに別の流れを生み出し、その度に愚かさを悔いながらやり直した。罪に手を染めてまでも救いたいと願ったのに、指の間からこぼれ落ちる砂より儚く、あの優しいひとの命は尽きた。

 見届ける覚悟なんて、自分にはないのだと思い知った。

「生きてる」

 望美は呟いた。なかば自分に言い聞かせる形だった。

「九郎さんは、生きてる。───負けた訳でも、罪に問われた訳でもない」

 処刑されました、と告げた弁慶の声は、今も耳にこびりついて望美を悪夢にさそう。
 それよりはずっといいはずだ。だって九郎は生きている、生きて幸せを手に入れようとしている。

 傍らで微笑む、見知らぬ美しい女性とともに。

「……十分じゃない、それだけで」

 ぐいと掌で顔をこすり、望美は立ち上がった。
 もう十分だ。自分があれこれ気にしなくても、九郎はきっと幸せになれるはずだ。
 だから、この気持ちは必要ない。自分にも、九郎にも。

「うん、十分、十分!」

 空元気は承知の上で、勢いよく背伸びをした。ずっと座り込んでいたから、背筋がぱきんといい音を立てて、それで少し吹っ切れたような気がした。
 赤い目から不自然さがおさまるまで、浜辺を歩く。広がる海に向かってそっと囁いた。

「───持っていって、沈めちゃって」

 この想いを波に乗せるから、どこまでも遠くへ運んでいって。
 そして永遠に眠らせて。深い深い、海の底で。
 そうすれば私は、きっとまた笑って九郎さんと話せるはずだから。私さえこの気持ちを諦めれば、問題なんて何もなくなるんだから。

 涙と想いは、ここへ置いていくから。
 だからどうか、沈めてください。誰も知らない、海の底へ。

 

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**反転コメンツ**
6章鎌倉ですれ違いイベント真っ最中。冒頭の「忘れられた〜」は、フランス辺りの皮肉屋が残した格言を一部借用。
そのつもりはなかったけど、お題の補完としても読めそうな内容になった気がする。
このシーンの神子の葛藤は、非常に年頃の女の子らしくって、ばりばり少女漫画を地で行ってて大好き。
柿を詫びによこした御曹司の不器用っぷりもかなりキュンとしたし(笑)。えーいこの鈍感野郎め。