眼差しの先

 

 喩えるなら、後ろから髪をくんと引かれるような。背中がちりちりと焦げるような。
 そんな心持ちが、する。
 ───あのひとの視線を浴びていることに、気がつくと。

 

 

 スニーカーも靴下も脱ぎ捨てて、望美は勝浦の波打ち際を歩いた。夏の日差しはどこまでも強く、それがかえって心地よいと思う。素足に打ち寄せる波、引いていく足裏の砂の感触、どれも生き生きと、少女にこの地の息吹を伝えてくる。
 自然の力に感応するのが神子の力の一端だよ、と白龍が言っていたことを思い出す。確かに自分が戦いの折に、仲間と繰り出す不可思議な術は、各々がつかさどる卦や自然の力を色濃く反映している。

「みんな、すごく『らしい』もんね」

 五行の成り立ちなど、説明されても望美にはよく分からない。ただ何となく感じるのだ、仲間と術を唱える時の、自分に押し寄せてくる圧倒的な霊力の渦、その色と力の根源を。

「恋の炎なんて、ヒノエくんぐらいしか言えない台詞だし」

 熊野の海はどこまでも蒼く、深く澄んでいる。潮風が心地よい、これが彼の守る土地。

「将臣くんはほんと、どこ行っちゃうか分かんない、まさに風って感じだよね」

 今は共にいてくれるけれど、またいつ離れていくのか分からない。でもそれは仕方のないことだ、彼には彼の決断があり、自分にも自分の道がある。

「朔は意外に冷たかったりするんだ……景時さん相手だけだけど」

 生み出される氷は怨霊の動きすら封じる。望美の対は実は結構な毒舌家でもある。

「先生の技って、なんか空間に吸い込まれそう。不思議……」

 言動が常に難解な師は、気づかないうちに後背を守ってくれる。だからこそ自分たちは安心して、前を見て切り込んでゆけるのだ。

「譲くんは本当に、いつも穏やかだから。お日様の力だって、何となく分かるな」

 それでも降り注ぐかがやきは時に苛烈で。部活で身につけたという弓は、実戦の中で更に磨き上げられている。

「前に進む力が白龍の力だってことは、見てると感じるようになったし」

 進む力、変える力。それこそが陽の龍の力。躍動する灼熱ほど相応しい力はない。

「海だなんて、敦盛さんにこれ以上ないってくらい近い力だよね」

 海はすべてが生まれ、すべてが還る場所。哀しみも痛みも穢れも、彼はすべてを背負って、なおも望美のためにその力をふるってくれる。

「景時さんのは星がキラキラって、なんか術の間もわくわくしちゃうな」

 遙かな高みから舞い降りる星。にぎやかに派手に、それは彼の性格そのものだ。

「弁慶さんはいつも落ち着いてるから、あれはまるで地震が起きたみたいな感じがする」

 揺るがぬと思っていた存在が震える。それは裏をかくのが仕事のひとつ、という彼の側面を見つけた気分になる。

「九郎さんは───……」

 素足の爪先が砂を蹴っていたのが、はたと止まった。それまで夢中で仲間の特徴を挙げていたので気づかなかったが、海原の向こうの空がやけに黒く染まっている。あれは雨雲と言うより、むしろ雷雲だ。このまま海沿いにいたのでは、下手をすると感電である。
 望美はくるりと後ろを向いて駆け出した。どちらにしろ履物を回収しないことには、宿まで走れない。

 また叱られるんだろうな、と、そんなことを駆けながら思った。

 

 

「……あうぅ」

 情けない声が漏れた。
 結局、履物は回収できたが、その時点ですでに雨が降り始めていた。見る見る雨脚は強まり、雨風をしのげる手持ちは何もなく、仕方なく張り出した岸壁の影に望美はちんまりと収まっている。波が直接寄せる場所ではないから、万一海に落雷があっても、感電することはないだろうというのが唯一の救いだった。
 遠雷が鳴り響く。空気をびりりと震わせて、それは遙か彼方からも存在を主張する。

「───九郎さん、みたい」

 どこにいてもすぐに分かる。不意に近づいてこられると、羞恥に逃げ出したくなる気持ちと何故か動きたがらない足を持て余して、結局その場に立ちすくんでしまう。
 だって感じるのだ。自分を見つめる、彼の視線を。たぶん気のせいでも自惚れでもない。

 じっと見つめる、その眼差し。
 どんな意味を込めているのか分からず、気づくとひたすら自分の動悸がうるさくなる。

 岩肌にもたれかかり、望美は息をついた。

「九郎さんの力は……一途で真っ直ぐで、すごく……」

 ───目が、引き寄せられる。

 自分もまた彼を見つめているのだということに、少女は気づいていなかった。
 雷が、遠くでまた鳴った。

 

 

「望美はまだ帰ってこないのか?」

 宿の庭先を借りて、素振りをしていた。雨が降ってきたのでそれは取りやめたが、札つきのじゃじゃ馬がまだ帰ってきていないことを、九郎はいぶかしむ。
 彼女の不在に気づく理由は、普段なら感じられる話し声であったり巻き起こる騒動であったり、そういったものが綺麗に消えた寂しい静けさであることも多いのだが。

 最も多いのは、いつも感じるその視線が、消えて久しいという感覚のせいだった。

「んー? そう言や見ねえな。ま、そのうち帰ってくんだろ、迷子になる年でもなし」

「どこかで雨宿りでもしているのでしょう。この雨ですし」

 彼女の親友と幼馴染みの一人は、意外に冷静な答えを返した。これがもう一人の幼馴染みでもあれば対応はまた違ったのだろうが、生憎と九郎の近くにいたのはこの二人。
 黙った自分の顔は、なにか妙なものでもついていたのだろうか。
 男女二名は、九郎の顔を見て同時に噴出した。失礼な、と思うが、将臣はともかく朔を相手に怒鳴りつける訳にもいかない。

「……なんだ、何か俺の顔についているのか」

 将臣はもはやヒィヒィと笑い転げている。朔は小刻みに震える身体で一礼し、失礼しますと去っていった。仕方が無いので相方を睨むと、『鏡でも見ろ』と返された。

「迷子センターのガキじゃねえんだから、んな情けないツラしてんじゃねえよ」

 迷子は分かるがせんたーとは何のことだ。と言うより、いま問うべきはそこではなく。
 人を捕まえて迷子とは何だ、と怒鳴ろうとした矢先に、将臣の指に眉間をぐいと押されて思わず後方にたたらを踏む。

「眉間にシワ。眉尻下がってる。んで、総合すると、泣きそうな迷子のガキのツラ」

「……そんな顔をしていたのか、俺が?」

 告げられた内容の情けなさに、怒りよりむしろ疑問を覚えた。
 将臣は頭をかきながら後ろを向く。やれやれ、こいつはもしかして、望美を穴の開くほど見ている自分に気づいてねえのか、と嘆息する。譲に言ってやろう、ありゃあわざとじゃねえから、物陰から射るのはやめてやれ。

「望美がいねえからって、そんなに寂しそうなツラすんなよ、大の男が」

「───ッ! お、俺は別にあいつを見てなど……!!」

 なんだ自覚はしてんじゃねえか。譲、射っていいぞ俺が許す。

「だーから、そう真っ赤になってわめくなって。お前ほんとに面白い奴だな」

「人を捕まえて面白いとは何だ! まったく、お前のような失敬な奴が相方など信じられん」

「ハイハイ、俺もこんな鈍い奴が相方だなんて、青龍に文句のひとつも言ってやりてえよ」

 延々と続きそうな口論は、朔の『お帰りなさい、望美』という出迎えの声で終幕した。
 途端に九郎は将臣の存在をまるきり無視して、宿の入り口へと歩き出す。取り残された形の将臣は、今度こそ呆れ果てて溜め息をついた。

「人をノロケのダシにすんなっつーの……」

 あれほど互いに見つめているくせに。
 それでも自分の気持ちにすら気づいていないような二人を見ているのは、案外楽しい。そして視線がつながれば、いつもの喧嘩が始まるのだ。

『雨の中をふらふら出歩くな、馬鹿!』

『出かけた後に降ってきたんだもの、仕方ないでしょ!?』

『なんだと!? お前は人が心配しているのに、素直に謝ることもできないのか!』

『心配〜!? いきなり怒鳴りつけてきて、何が心配なんですか!!』

 雨も小降りになってきた勝浦宿の庭で、雨宿りの小鳥がチチチと鳴いた。
 おおむね本日も平和である。

 

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**反転コメンツ**
熊野で凝視したりされたり。神子が自覚する前の、微妙な距離感も好きです。
九郎? 神子が自覚してもいないのにこいつができてるわきゃない(笑)。いやいやそこがいいんだけど。
見られてるのに気づくって緊張する。それが気になる相手からなら、なおさら。
そんなじれったい九望がやっぱりお気に入り。初々しいのがこのカップリングのいいところ!