桃花

 

 春はいつの年も変わらずに訪れる。
 人がどれほど愚かしい争いに興じていようと、どれほど阿鼻叫喚の地獄絵図がえがかれようと、どれほどの悲嘆が大地を海を埋め尽くしても。
 春は来たりて花は咲く。

 

 

 屋島の戦で無事に勝利を飾った源氏の軍勢は、西へと落ちていった平家を追うさなかの宴を開いていた。陣中のものとあって簡素ではあるが、そのぶん力強さと勢いが際立って男たちは陽気に騒ぐ。
 通常、宴席には白拍子が侍ることがほとんどだが、行軍の途上でそれは望めない。勢い酒が腹へおさまる速さが増すこととなり、薬師でもある軍師を苦笑させていた。これで軍功を上げられなかった者は処罰の対象にしましょうか、などと物騒な話を持ち出しては、赤ら顔の男たちの顔を一瞬で蒼く塗り替えている。

「そんなおっそろしい事、言わんでくだされよ弁慶殿」

「そうそう、それにこれでも今日は、控えているんですぜ。なにしろ取っておきの趣向がありますからな」

 口々に言う源氏の将兵は、すっかりあの少女の存在を軍中に受け入れている。
 源氏の神子と呼ばれて久しいあの少女───春日望美を。

 酒が入った男の群れに近づくことは、望美も朔もしていなかった。過保護と言えばそれまでだが、保護者である景時や九郎がそれを許すはずもなく、何より少女たち自身がそれを望まなかったので、別の船で静かに過ごすのが常だった。
 そう言えば桃の節句の時期だね、と言い出したのはヒノエだった。ふらふらと身ひとつで源氏の軍中に参じた少年は、何故か折々の神事に詳しかった。どうせなら神子姫の舞が欲しいな、そうすれば士気も今以上に上がるぜ。その言葉は確かに正しく、朔はやはり遠慮したが望美は苦笑してそれに応じた。

「あまり妙な野次を飛ばすと、大将に斬られるかもしれませんよ」

「違いねえや、おおこわ」

 どっと笑いがわく。釘を刺して回るのは、本来なら気を揉む本人にやらせればいいのだけれど、あの粗忽者にそんな器用な気配りは望めまい。どうせ阿呆みたいに口を開けて見とれるのが関の山だ、まったく望美さんも趣味が悪い。
 見上げた西の空は赤い。じきに彼女の名を冠した月が姿を現すだろう。

 

 

「もう少し、唇を引いて。───はい、できたわ、綺麗よ望美」

「ありがとう。どうせなら朔と一緒に踊りたかったな」

「ふふ……それは次の機会にね。人に見せるなんて、今更嫌だもの」

 薄化粧をほどこした望美は、平素とは異なる美しさだった。むしろ普段がほとんど飾らないものだから、稀にこうして着飾った折には、周りがどきりとするような色香を匂わせる。紫紺の髪を軽く結い、練り絹の白袖に緋の袴、差した紅がひときわ目を引く、みごとな白拍子姿となっていた。

「朔殿、望美の支度はよろしいか?」

「九郎殿ですか、ええ、もう入られて構いません」

 断りを入れてから入ってきた九郎は、望美の姿を見てぽかんと立ちすくむ。朔がくすりと微笑んで、そっと船室を出て行ったのにも気づかない。

「……九郎さん? どうしたんですか」

「いや……見違えた」

 同じ格好をしているからこそ、違いは際立つ。白拍子は宴席に侍るもの、求められるのは舞よりもその女のからだであることが多い。けれど今、九郎の目の前に立つ少女からは、途絶えて久しい神の舞姫───本来の白拍子の佇まいが伝わってくる。
 望美は気にせず、手にした扇をすべらせるように開く。

「この船で踊ればいいんでしたっけ。舳先の方ですか?」

「ああ」

 無意識に九郎の手が伸びて、結った望美の髪を撫でた。くすぐったげに笑う少女に、胸のうちに熱がともる。

「余計なことを頼んで済まないな」

「ううん、全然構いません。私の舞なんかでみんなの士気が上がるなら、安いものだし」

「そんな風に言うな。俺は今からでも取りやめたいくらいだ」

 ぎゅ、と掌を握り締めた。そこからさらさらこぼれる、紫紺のひとすじ。
 引き寄せて腕を回したい想いにかられるが、せっかく着付け終わった装いを乱すのは躊躇われて、九郎はそっと息を吐いた。

「お前を宴で舞わせるなど」

 本当は自分のためだけに舞ってほしいのに。他の男になど見せたくないのに。
 そうと素直に言えない不器用者は、舞台に歩み出る前の舞姫を、ひたすら崇拝するかのごとく眺めていた。その眼差しにやどる熱を、望美は無意識に受け止め、返す。

「内輪のメンツだけで、また舞いましょうか?」

 この神子は、己の身近な仲間に対しては、非常に気安い。
 気が向けば望美は、八葉や神や親友の前ではよく舞って見せる。けれどそれでは意味がないのだ、と九郎は思うが、彼女は疎いのか何なのかそれには気づかない。

「───馬鹿」

 だから、そうささやいて、唇をいろどる紅を己のそれで掠め取った。
 途端に化粧の下の頬がうすく色づく。

「……頬紅、いらなかったかも」

 

 

 夜空にはみごとな月、御座船の舳先にも麗しい月。これで宴が盛り上がらぬ訳がなく。

「神子様、万歳!」

「我らに勝利を!」

 あちこちの船から上がる歓声も松明の灯りも、神子は笑顔で応えてなおも舞った。楽などなくともその舞はみごとで、降り注ぐ月光を扇で受けては花と散らし、潮風に流れる髪が海からの飛沫を受けてはきらめく。
 舞い終えては一礼して奥に引っ込むのだが、続く歓声にまた誘われては舞い、それが何度目のことか、もう誰も数えていなくなった頃。

 それまで杯を重ねながら見物していた総大将が、するりと立ち上がった。

 舳先の一段高い場所で舞っていた神子は、舞の終盤の仕上げに集中していて気づいていなかった。武勇も名高い神子が背後を許す相手などそうは居らず、いとも簡単にその場所を占めた総大将とそれを許した神子の姿に、許婚という噂はいっそう信憑性を増す。

 扇が止まったその一瞬、総大将は己の羽織った大紋を肩から落とし、神子の身体をふわりと覆った。

 驚いたように振り向く神子に微笑みかけるその顔は、近くに漂う船の将兵からはよく見えた。まるで大事な宝物をくるむように、細い身体をふんわり包み、そっと抱き上げて舳先から引き降ろす。そうして袖に手を入れ、取り出したものを神子の髪に捧げた。

 ほころぶ桃の、その一枝。

 神子の顔に見る間に広がった、その恥らった微笑みは。
 捧げられた花のつかさどる言葉に相応しく。

 ───永久なる春の、破邪の花。

 春の姫、花の姫。勝利を捧げる神の姫。
 そのまま総大将に連れられて奥に引っ込んだ舞姫を、呼び戻そうとする無粋な声は、もう上がらなかった。

 

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**反転コメンツ**
屋島のあとで壇ノ浦に向かう途中。ゲームの壇ノ浦が何月ごろなのか分からないので、桃の節句に利用してみた。
屋島が1〜2月あたりなのかな、梅がどうこう言ってたし。年が明けてるのは確かだ、キャラが年くってる。
ゲーム展開では有り得ないくらい甘々ですが、イベントSSは甘いほうがいいかなって(笑)。
ずっと書いてみたかったシーンをいろいろ実現できたので、個人的にはけっこう気に入った仕上がりです。