源氏軍極秘カルテ

 

 某月某日 鎌倉・梶原邸
 患者 何某に薄荷の煎薬を三壺、何某に甘草粉末を二包
 留意 甘草、大黄を適宜補給の必要あり

 

 

 巻物をしたためていた手を休め、源氏の軍師であり薬師であり策士でもある青年は、大きく息をついて首を左右に揺らした。こきこきといい音がする。
 時間の空いた折にはこうして、薬師としての仕事もこなしているため、弁慶は源氏軍の中でもとりわけ忙しい身の上である。さすがに戦場でこまごまと記録をつけている余裕はないが、可能な限りは日付や処方した薬の履歴、看た相手の名前などを書き付けておく。
 庭の紅葉が美しいのはいいことだが、如何せんそこから響いてくる声は、秋のしみじみとした風情を台無しにして余りあるものだった。

「だからお前はどうしてそう意地を張るんだ!」

「九郎さんに言われたくない! だいたいそっちが悪いんでしょうが!」

 またか、とすらもう思わない。あれはもう、彼と彼女の日常会話だ。放っておくのが一番の治療法であり、それ以外の処方はかえって病状を悪化させるだけである。
 弁慶がくすりと笑った時、珍しい客が彼を訪れた。

「弁慶? 譲が分けてほしい草があると言っている」

「おや、君でしたか。譲くんのおつかいですか、白龍?」

 仮にも神を使い走りにしてしまう自分たちは、度胸が据わっているのかそれとも図々しいのか。考えずとも神の怒りを買わなければ問題はなかろう、と弁慶は結論づけた。
 目の前にすとんと座り込んだかの神は、もの珍しげにきょろきょろと房を見回している。

「うん。譲は"かれー"を作りたいんだと言っていた。弁慶なら珍しい草をたくさん持っているから、って」

「そうですか、どんな草か分かりますか?」

「書き付けをもらってきたよ。人の文字というのは面白いね」

「そうですねえ……譲くんや望美さんの世界の文字は、僕たちの書くものとも違っていますし、確かに興味深いものがあります」

 受け取った紙にある薬草の名を見る限り、幾つか欠けているものはあるが、あらかた希望に沿えそうだった。九郎に怒鳴られ景時に苦笑いをされながらも、房の中にごっちゃりと溢れかえっている薬草は、こんな時にも役に立つ。

「神の世界には文字というものはないのですか?」

「そうだね……うん、私たちは意志を直接交わすすべを持っているから」

 会話を楽しんでいる間にも、庭からの騒音は途切れ途切れに響き続けている。白龍は首をかしげ、秋の日差しが差し込む縁側を見つめた。

「神子と九郎だね」

「そうですね」

 あっさりと、顔すら上げずに応える弁慶に、白龍はさらにきょとんとした顔を見せる。そうすると以前のままの幼さが垣間見えて、夏の折にあれほど慌てふためいた自分たちが何やら滑稽な気がした。

「止めないの?」

「その必要もありませんし。君にも分かるでしょう?」

 弁慶の言葉に、尊き神はにっこり笑った。

「うん。震の卦とともにある時の神子の気は、とても美しい色をしているから」

 これほど素直な神の神子でありながら、どうして彼女はある特定の人物の前でだけ、あれほど可愛らしい意地を張るのだろう。弁慶はそう思うが、原因も処方も結果も分かりきっているだけに、口を出す気にはならない。馬に蹴られるのは真っ平御免である。だいたいそれは彼女の相手である彼もまったく同じことで、こうも不器用者同士の組み合わせでは、気を揉むこちらが阿呆らしいというものだ。
 考え事をしながらも手は休めない。一度に複数の行動をこなしていかねば、軍師という激務はつとまらないのだ。そんなことすらできない源氏の総大将は、それだけ、彼の持てる才のすべてを、戦時の技量を磨くことだけに集中している。それでいい、彼は彼にしか出来ないことを為し、自分はそれを補佐するのが役目だ。

 ふと、以前から時折気になっていたことを、弁慶は白龍に尋ねた。

 

 

「あなたは、己の神子が己以外の者に惹かれるのを、どう思っているのですか?」

 弁慶の問いは、白龍の心を揺らすものではなかったようだった。
 相変わらずの穏やかな微笑が、薄い唇をいろどる。

「神子の心が誰に向かっていようと、神子は私の神子だよ」

 神子とはそもそも、人の身でありながら神の妻となれる者のことだ。何をもって神が己の妻を選び定めるのかは知らないが、少なくともあの少女はこの神によって選ばれた神子であり、妻となる資格と資質を十分に備えている。軍奉行の妹姫が己の神と結ばれた事実が示すとおり、人と神が心を通わせることは不可能ではない。

「神子は私にとって神子だから。でも神子は人だ、人には人の理がある」

 白龍の瞳が不意に、澄んだ光を増した。
 それを認めて、弁慶は静かに、心の痛む場所を押し隠す。かつてこの神の真実の姿に、この神の半身にはたらいた罪を、忘れた訳ではない。だから白龍が自分にも他の八葉に対してと変わらぬ態度を向けてくれるたび、臓腑を針でつつかれるような心持ちを覚える。

「神子は人として生きている。それを私が踏みにじったら、神子は幸せにはなれない」

 神とはかくも雄大な存在か。目の当たりにして、軍師はそっと息をついた。
 あの頃の愚かな自負は、この存在を知ることができていたら、ついえていただろうか。

「八葉は神子を人として見ている。だから神子はあれほど輝いている」

「……そうかも、しれませんね」

 人は人だ。神ではない。弱く小さく愚かな、それでも必死に生きる存在だ。
 だからこそ彼の、彼女の意思と行動は、あれほどに輝いて他者を惹きつける。

「ええ、そんな二人だから、僕たちは……」

 そこまで口にして、続きを言うのはやめた。
 自分が口にするにはあまりに陳腐で面映い、しあわせな言葉だったから。

「譲くんをあまり待たせてはいけませんね」

 薬草を選り出して適当な布にくるみ、行儀よく待っている神に手渡す。

「こんなものでしょうか。譲くんに、かれーとやらを楽しみにしている、と伝えてください」

「ありがとう弁慶! 私も譲のかれー、とても楽しみ」

 

 

 庭からの騒音は一段落ついたようだが、白龍が立ち上がる際に、ばっちーんと小気味いい音が聞こえた。彼が仮にも女性に手を上げるとは考えにくいので、あれはもう彼女の攻撃と考えて間違いない。殴られたのはあの音から察すれば頬だろう。腫れのひく塗り薬でも作っておかなければ、手形を貼りつけたまま鎌倉殿にまみえる羽目に陥るかもしれず、それはそれで面白い気もするがやはり不安が先に立つ。

「やれやれ、余計な仕事を増やしてくれますね、あの二人も」

 擂り鉢と擂り粉木を取り出しつつ、弁慶は苦笑をこぼす。今度薬草を仕入れてくる折にでも、少し手加減してくれるよう、彼女に依頼しておく方がいいかもしれない。

「そうだ」

 先ほど放り出したままの巻物を引き寄せ、筆を取って書き付けを足す。

「……こんなものですかね。望美さんの分も書いておく方がいいでしょうか」

 少し迷い、まあ薬草の処方に至らなければその必要はないか、と考え直した。大方喧嘩の原因はくだらないことだ、聞いても立腹を堪えるのに難儀するだけなので、相談には一切応じずに薬だけを渡して、ついでにからかって遊んでから帰らせよう。
 ほら、どすどすと足音が近づいてきた。朴念仁の患者の到来だ。

「まったく、こんな文書が敵方に知れたら、いい物笑いの種ですね」

 

 

 某月某日 鎌倉・梶原邸
 患者追記 源九郎義経に塗布薬三日分
 留意追記 恋の病につき完治は神子にのみ可能、余計な口出しは厳に慎むべし

 

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**反転コメンツ**
6章鎌倉ですれ違いイベントの前、九望の出てこない九望SS。相変わらず弁慶が出張りすぎ。
周囲に生ぬるい目で見守られてればいい。当事者二名はそれでも自分の気持ちはバレてないと思ってればいい。
しかし攻撃力91(Max)の神子にぶん殴られたら、防御力91(Max)の九郎でも結構なダメージくらうんじゃないだろうか。
しかもこの二名はうっかりすると刃傷沙汰に及ぶので、弁慶さん大変です。万一に備えて復活Lvも上げとけ。