背負い、護るもの

 

 いつでも広く強く、揺らぐことのなかった背中。
 なのに今は、船べりから吹き上げる潮風にさえ攫われそうなほど、心もとなく見える。

 ───こわいのだ、と九郎は言った。この戦が終わったあとのことを透かし見て。

 それはあながち間違っていない。望美が必死になって『なかったこと』にした未来の中で、九郎は何度も信じる人に裏切られて、その命を落とした。
 でも。
 望美はゆっくりと、言い聞かせるように言葉をつむいだ。

「九郎さんは、前を見て」

 並んで腰を下ろし、組んだ両手に顔を伏せていた九郎が、ふと望美を見た。
 いつもは確固たる意思をもってかがやくその瞳に、まだ力はない。

「後ろは私がまもるから、九郎さんは前だけを見て進むことを考えて」

 上半身をかたむけて、白い着物の背に、さらめく長い髪に、額をつけた。

「九郎さんがいっぱい背負ってるもの、私に少し分けて」

 触れた場所から、私の想いがつたわりますようにと、祈りながら。

「どこまでも一緒にいるから、だから」

 私の前でだけは、我慢しないで。
 ひとりきりで、なかないで。

 

 

 いじらしいのか勇ましいのか、どちらにしてもその想いは間違いなく救いだった。

「望美」

 身じろぐと、背中に埋めていた顔を望美が上げた。今度は自分がその細い肩に、ゆっくりと額をつける。まるで罪びとが許しを請うようだ、と九郎は思った。

「望美」

 やわらかく鼻腔をくすぐる薫りに陶然とする。これほどきつい潮の匂いの中で、どうしてこんなに彼女はあまく薫るのだろう。
 今だけ、源氏の大将ではない自分になれないか───と望美は言った。
 それはなんてゆるしがたく、やさしい誘惑だろう。

「のぞみ……」

 まるでその言葉だけしか喋れなくなったようだ、と九郎は自嘲する。
 責任を分かつ相手がいないからこその大将とは知っていたが、気がつけば望美はいつでも自分の隣に立っていた。そうやっていつだって、九郎が背負ったものを、護ろうとしているものを、そっと支えていてくれた。
 ああ本当に自分は罪深いのだ。この娘を引き込んで、今もなお頼りきって。
 俺が護りたいものは源氏か、それとも。

 たったひとりのひとの名を想うことが、こんなにも泣けてきそうになるなんて、初めてだ。

「……そばに、いてくれ……」

 かなうならば、どこまでも共に、と。
 たったひとつのそのねがいだけは、どうかうばわないで。

 

 

「……関が、見えてきたな」

「……そうですね」

 真昼の夢が覚める瞬間。もっとも血なまぐさい現実と向き合う瞬間が訪れた時も、ふたりはほんの少しの間、立ち上がらなかった。
 まなざしを交わす。言葉はなくとも、その瞳にある想いを読みたがえたりはしない。

 だいじょうぶ。この絆があれば、どんなにつらくても、きっと前に進んでゆける。

「行きましょう、『九郎義経』さん」

「ああ。『白龍の神子』」

 それが、九郎と望美が、総大将と源氏の神子に戻った瞬間だった。
 その並び立つ姿を遠目に見とめて、あちこちの船からおお、と鬨の声が上がった。

 ───死闘が、はじまる。

 

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**反転コメンツ**
壇ノ浦決戦直前の短文。御曹司で茶化す余地なくシリアスに決めたいなら、ここか腰越くらいしか思いつかない。
長く書けば書くほど、かえってムードをぶち壊しそうな気がしたので、超短文ですがこんな形で。
極限状態の九望はハラハラします。一つ間違えれば全軍潰走だもん(実際1周目はまんまだし)。
でもきっと、もっとハラハラしてるのは『突撃癖のある総大将と神子』をかつがねばならん周りの源氏将兵だと思います(笑)。