| いつでも広く強く、揺らぐことのなかった背中。 なのに今は、船べりから吹き上げる潮風にさえ攫われそうなほど、心もとなく見える。 ───こわいのだ、と九郎は言った。この戦が終わったあとのことを透かし見て。 それはあながち間違っていない。望美が必死になって『なかったこと』にした未来の中で、九郎は何度も信じる人に裏切られて、その命を落とした。 「九郎さんは、前を見て」 並んで腰を下ろし、組んだ両手に顔を伏せていた九郎が、ふと望美を見た。 「後ろは私がまもるから、九郎さんは前だけを見て進むことを考えて」 上半身をかたむけて、白い着物の背に、さらめく長い髪に、額をつけた。 「九郎さんがいっぱい背負ってるもの、私に少し分けて」 触れた場所から、私の想いがつたわりますようにと、祈りながら。 「どこまでも一緒にいるから、だから」 私の前でだけは、我慢しないで。
いじらしいのか勇ましいのか、どちらにしてもその想いは間違いなく救いだった。 「望美」 身じろぐと、背中に埋めていた顔を望美が上げた。今度は自分がその細い肩に、ゆっくりと額をつける。まるで罪びとが許しを請うようだ、と九郎は思った。 「望美」 やわらかく鼻腔をくすぐる薫りに陶然とする。これほどきつい潮の匂いの中で、どうしてこんなに彼女はあまく薫るのだろう。 「のぞみ……」 まるでその言葉だけしか喋れなくなったようだ、と九郎は自嘲する。 たったひとりのひとの名を想うことが、こんなにも泣けてきそうになるなんて、初めてだ。 「……そばに、いてくれ……」 かなうならば、どこまでも共に、と。
「……関が、見えてきたな」 「……そうですね」 真昼の夢が覚める瞬間。もっとも血なまぐさい現実と向き合う瞬間が訪れた時も、ふたりはほんの少しの間、立ち上がらなかった。 だいじょうぶ。この絆があれば、どんなにつらくても、きっと前に進んでゆける。 「行きましょう、『九郎義経』さん」 「ああ。『白龍の神子』」 それが、九郎と望美が、総大将と源氏の神子に戻った瞬間だった。 ───死闘が、はじまる。
了 |
**反転コメンツ**
壇ノ浦決戦直前の短文。御曹司で茶化す余地なくシリアスに決めたいなら、ここか腰越くらいしか思いつかない。
長く書けば書くほど、かえってムードをぶち壊しそうな気がしたので、超短文ですがこんな形で。
極限状態の九望はハラハラします。一つ間違えれば全軍潰走だもん(実際1周目はまんまだし)。
でもきっと、もっとハラハラしてるのは『突撃癖のある総大将と神子』をかつがねばならん周りの源氏将兵だと思います(笑)。