敗走

 

 戦って、敗れた。相手を必死にころそうとしたけれど、できなかった。
 将たるもの、敵に背を向けるなどあってはならないことだが、敗れた以上は致し方なく、逃げるしか手はなかった。
 くいころされるわけには、いかなかった。

 

 

「お前はどうしてそう、前に出たがるんだ!」

「九郎さんこそ何考えてるのよ、最前線に総大将がいる方がおかしいでしょ!」

 分かってないのか、お前は。お前が前に出るから、俺はそれより前に出るんだ。
 そうでなければならないと、ずっと信じてきた。俺は己に対して、源氏に対して、兄上に対して恥じない生き方をしたい。そのためには、兵の誰よりも前に立つのが将の役目だと。

「自分が狙われていると分かっていないのか!?」

「その台詞、そっくりそのまま返します!!」

 互いに息を切らして黙り込む。
 ああ、どう言えば伝わるのだろう、この頑固な女に。どう説けば分かってくれるのだろう、お前を喪う訳にはいかないのだと。

 源氏のため、だけではない。何より俺自身のために。

「二人とも、今回はそこまでにしてもらえませんか」

 兵が聞いています、不安を煽り立てる真似は謹んでください。
 常と変わらぬ口調で弁慶が俺たちの間に入ったが、俺も───おそらくは望美も、諍いが休戦したことへの安堵より苛立ちが勝る。

 分からなくはないのだ、望美の言うことも。確かに将が討たれれば、軍は総崩れになる。

 だが、奥に座して待つことの恐ろしさを、お前は知っているか。己の手の届かぬところで決してゆく運命を、お前は屈託なしに受け入れることができるのか。
 幼い鞍馬の日々、俺はたいした理由もなく暴れまわり、そうして寺を飛び出した。あのまま飼い殺されて朽ちてゆくなら、戦って討死するほうがよほどの誉れだと、そう信じた。だから俺はいま此処に、九郎義経として在るんだ。この生き方を否定することは、誰であろうと───お前であろうと、許すことはできない。

 だから俺は自分の命を惜しもうとは思わない。
 けれど、お前は別だ。

 

 

 細い身体、細い腕。あざやかな剣技を持ってはいるが、技量だけでは補いきれぬ不測の事態はよくあること。何よりお前は、いくさのない世界で生まれ育ったという。そのお前に、敗軍の女の運命が分かるはずもない。
 母上。平家に在る、母の血を分けた妹。この手で切り捨てた木曾殿の愛妾。
 知らないのだろう? お前にいつ降りかかるとも知れない、その残酷な運命を。

 俺のそばで戦うというのは、そういうことだ。
 分かっていて俺はなお、源氏の神子としての加勢をお前に求めた。
 今更になって俺は気づく。お前はあまりに、戦場に立つには相応しくない存在だと。

 ───許してくれ、ゆるしてくれ。それでも俺は、もうお前を突き放せない。

 お前を崇める兵たちの歓声が聞こえるか。怨霊を封じるその力は、源氏の未来を照らす光そのものだ。
 俺が、そう頼んだ。
 俺がお前を引きずり込んだ。
 お前なくしてはもう、源氏は戦えない。俺は、戦い抜くことができない。

 だからせめて、少しでも危険から遠い場所にいてほしいんだ。
 その想いは何故、お前に届くことはないのだろう。

「……君の言い分は分かるつもりですよ」

 陣幕の将椅にどかりと座って黙したままの俺に、弁慶はそう言った。
 分かっているならあいつを説得してくれ。俺とあいつはどうも、直接言葉を交わせば喧嘩腰になる。

「でも望美さんも、君と同じ気持ちなんだと思いますから、僕は止めません」

 思わず振り仰いだ旧友の顔は、きっと喰えない笑みを浮かべているんだろう。
 そう思っていたのに、目に飛び込んできたのはいやに真剣な眼差しだった。

「君は望美さんをこれ以上の危険に晒したくない。望美さんも君を危険から守りたい。そして僕たちは、君も彼女も喪うことは決してできないんです」

 何も言えない俺に、弁慶はこう続けた。

「君が前に出るのも、望美さんが前に出るのも、互いを守ろうとするからでしょう?」

 

 

 出立の刻限が近づき、陣幕の周囲にも慌ただしい喧騒が響いてきた。結局俺は望美を説得できず、轡をならべて列の先頭を二人して進んでいる。さすがに望美の馬が俺のより前に出ることはないが、わざわざ後ろを振り向かなくても、横目で十分に姿が確認できるような、そんな場所に、いつも望美はいる。

 途方もない安堵を感じ、すぐにそれを打ち消した。

 お前を守ろうと思うなら、お前にこれ以上の負担を求めてはいけない。
 お前を今以上に求めては、いけない。
 どれほど想っても、どれほどいとしくても、それを認めてはいけないのだ。俺に関わりが深ければ深いほど、万一の時にお前の運命はむごいものとなる。
 だから、逃げる。お前から。
 俺は前を向いた。必死に、前だけを見すえた。

 

 

 戦って、敗れた。相手を必死にころそうとしたけれど、できなかった。
 だから逃げて、逃げて、どこまでも逃げて。

 ───俺は、果たして逃げ切れるのだろうか。

 お前を求める、このこころから。

 

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**反転コメンツ**
舞台未定の九郎モノローグ。なんつぅか、本当に青いよなぁ…生ぬるい笑みが出るくらいに。本当に22歳か。
念のため補足:義経の母・常盤御前は、義経を含む息子たちの助命のために清盛の妾になり、娘を産んでおります。
「一人で考えると間違った結論を出してしまう」(十六夜発言)、ああまったくその通りだなオイ。
後ろ向きな人は嫌いじゃないですよ(苦笑)。愛を込めて背中をどやしつけたくなります。