ふりつもる

 

 ふわ、ふわ、ふわり。ひら、はらり。
 積もりゆくのはましろの雪か、瞼の裏に散る花か。
 風にさそわれ楽にとけ、ひとさし舞うはあですがた。

 

 

 龍神の神子がそろって舞う姿など、法住寺の大天狗といえどもそう容易く見られるものではない。衣擦れの音だけが月光にやわらかく散り、返す白い手が幽かに微風を生んで、いつ果てるともない夢幻をえがき出す。
 春の朧夜の中、二人の少女が濡れ縁で舞っていた。傍らに座した子供は、両足を投げ出してぷらぷらと揺すりながら、嬉しそうにその姿に見入っている。練習だ、とは言うが、そこらの白拍子など足元にも及ばないほど、彼女たちの舞はみごとだった。
 扇がひたりと止まると、幼い神は己の神子に飛びついて歓声を上げた。

「神子、すごい! とてもきれい!!」

「ふふ、ありがとう白龍。朔もごめんね、付き合ってもらっちゃって」

「いいのよ。私でよければ、いつでも相手になるわ」

 朔はゆるりと笑った。袖が乱れているわ、と望美の着物を直しながら。
 望美の対は華やかなことを好まない。つい先だっては法皇の要請すら凛と撥ね退けた、しとやかで芯のつよい女性。そのくせ匂うような女らしさを備えているのだから、尼だなんて勿体無い、と望美は思う。

「足さばきをもう少し、ゆっくり出してみるといいんじゃないかしら?」

 望美が舞を習ったのは、朔からだった。思えばこの世界に来てから、春の京では何かしらの習い事に没頭しているような気がする。一度始めれば上達もまた楽しいもので、剣だけではなく舞のほうも、折を見てはこうして師事を請うていた。

「足かぁ。あんまり気にしないんだよね、こんなスカートだから裾もないし」

 制服でもあった白のスカートは思い切り短く、実は望美以外の周囲の者は、そのあられもない素足にはらはらさせられているのだが、本人は気にしていない。
 宇治川での勝敗が決して一段落したときの騒動を思い返し、朔はくすりと笑む。あんな大騒ぎをする源氏軍の要たちの姿など、かつて見た覚えはなかった。

 だいたいお前その格好はなんだ女人が肌を出すなど、私の世界じゃこれくらい普通ですねぇ譲くん、でも先輩やっぱり寒そうですよ変な目で見られるのも困りますし、まぁまぁ風邪ひかなきゃいいんじゃないかな、そう言う君のお腹こそ僕はずっと不思議だったんですよ景時、だからいつも言ってるじゃないですか兄上もっときちんとした格好を、神子と八葉たちがみんな仲良しで私はとても嬉しい、喧々囂々。
 それが一通り済んでもまだ言い争っていたのは、源氏軍総大将と彼女の対だ。境遇の変化に動転して気が立っているのかと思ったのだが、今現在に至るまで喧嘩の種が尽きないところを見ると、どうやらそれが彼と彼女のやり取りの常らしい。

「朔の裾さばきって綺麗だよね。うん、気をつけてみる」

 私に対してはこんなに素直なのに不思議ね、とは思っても口には出さない。
 しばらく話をしているうちに、白龍の頭がゆらゆら船を漕ぎ出した。ふふふと笑っておやすみなさいを告げ、黒龍の神子は幼子を連れて寝かしつけに座所へと戻っていった。

 

 

 残された望美は、そのまま濡れ縁に座って空を見上げた。月は穏やかに霞み、何夜の月かも判然としない。

 桜の花びらが、ふと舞い込む。

 あれを断つのに必死になっていた春もあった、と少女はにがく笑う。その先にあるものを知らず、それが持つ意味も考えず、ただ躍起になって剣を振るっていた日々。
 花を断つ。花と舞う。どちらも自分で、そして自分ではない気がする。
 けれど選んだのだ、私はもう。どんな罪を背負っても、大事なひとを助けるんだと。

「まだ起きていたのか」

 いきなり背後からかけられた声に、びくりと背がこわばった。振り向けばまごうかたなき喧嘩相手の姿勢のよい直垂姿が、夜目にも白くあざやかに浮かんでいる。
 この人の背筋はいつも真っ直ぐだと、望美は思う。どんな逆境に置かれても、楽に逃げられる道が目の前にあっても、それでも悲しくなるほど真っ直ぐに進む。それが望美にとっての彼───九郎だ。

「……九郎さんこそ。今日はこっちに泊まるんですか?」

「ああ。景時に頼む手配が長引いてな。何かあれば使いを寄越すよう言い置いてきた」

 大将の九郎と軍師の弁慶は、普段はこの京邸には起居せず、六条堀川で軍務に就いている。景時はここの主でもあるから帰ってくるが、やはり軍奉行の役職に忙しく、自分たちに付き合うのも無理をしているようなのだと朔から聞いていた。
 実際今だって、弁慶は福原へと平家を探りに行っているのだ。その分、九郎と景時で源氏の指揮を執らねばならず、馬鹿正直な彼には荷が重い事態も出はじめている。

「朔殿と舞っていたのか?」

 訊いてくる九郎は無心で、その言葉には何の他意もなかった。それを感じ取り、望美は何となくむずがゆい気分を味わう。
 そう、舞のおさらいに付き合ってもらっていたのだ。あんなふうにいきなり舞うことになってしまって、自分はちゃんと舞えていたのだろうかと不安になったから。
 失敗しても知らないからねと考えつつ、心底苦りきった顔のこのひとを見て、自分にできることならやってみようと思った。白龍のおかげで雨が降り、九郎の顔を潰さずに済んだのは良かった。そう、そこまでは、何の問題もなかった。

 その直後にこの天然大将が、とんでもない台詞を口走らなければ。

『この者は将来を誓い合った、私の許婚です』

 ───すごく恥ずかしいこと言ってるって、分かってないのかな九郎さん。

 それとも意外に女性の扱いに慣れているのだろうか、と考えかけて、望美は思わず首をふるふると横に振った。まったく、それこそ有り得ない。こんな、デリカシーという言葉とは呆れるほど縁遠い男が、大勢の女性に囲まれて騒がれているなど想像がつかない。
 忍び笑いをもらす望美を、九郎は胡乱げな眼で一瞥した。ごほん、と咳払いをひとつ。

「……その、感謝する」

「は?」

 いきなり、投げ出すように呟かれた無造作な謝辞に、望美は首をかしげた。
 意図をはかりかねて九郎を見上げるが、ほとんど半身をねじるようにして上体を背けているので、表情は分からなかった。

「何の話でしたっけ。私にお礼って、なんでですか?」

「お前にまであの場で断られていたら、源氏の立場が悪くなるところだったからな」

 望美の視線から逃げるかのように、九郎はますます顔を背ける。けれど結い上げた髪の間から覗く耳朶の色が、望美に彼のこころを雄弁に語っていた。
 黒衣をまとった軍師の言葉を思い出す。

『九郎はね、言葉より顔に出るんですよ。まったく、分かりやすくてかわいいですね』

 ───あぁ弁慶さん、その気持ち、なんか少し分かった気がします。

「そんなことを言いに、わざわざ来てくれたんですか」

「なっ! まだきちんと礼を言っていなかったので、気になっていた、それだけだっ」

 咄嗟にこちらを向いて噛み付いた九郎の顔は、思ったとおりの色をしていて。
 望美のこころが、ほわりとぬくみを増す。

「ありがとうございます。……ねえ九郎さん、私ちゃんと舞えてました?」

 習ったばかりでぶっつけ本番だったんですよ、と笑う少女に、九郎も少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。

「俺には雅びごとはよく分からないが」

 柔らかな春の色彩の中で、桜を纏って舞ったその姿。
 怨霊と対峙したときや、自分との剣稽古で見せる鋭い気迫とはまったく違う、その気配。
 先刻見かけた舞稽古も、声をかけて止めたくないとためらうほど。

「何よりきれいだと、思った」

 あの瞬間、お前以外のすべてが意識から消えた。
 神子だというその所以を、知った。
 雨が降ってきてお前が舞い終えるのを、口惜しいとさえ感じた。

「お前さえ良ければ、また……舞ってくれないだろうか」

 俺のために。
 俺だけの、ために。

 そこまで言ってふと気づくと、目の前の少女の様子がおかしかった。何やら頬を両手で抑え、顔をうつむけて、ぶつぶつ「馬鹿」とか呟いている。
 どうかしたのだろうか、と考えて、九郎はようやく自らの発言に思い当たり。

 音を立てそうなほど盛大な勢いで、頭に血を昇らせた。

「いやそのっ! き、きれいというのはだな……ッ、ふ、深い意味がある訳じゃ」

 口が回らなくなる分、仕草が大げさになる。何とか弁明しようとすればするほど、しどろもどろになっていくのに気づかず、どんどん墓穴を掘っていくのに本人は無頓着だ。
 自分よりも真っ赤になっている九郎に、望美は染まったままの頬をゆるめた。

「私ので良ければ、いつでも舞いますよ?」

 

 

 ふわ、ふわ、ふわり。ひら、はらり。
 積もりゆくのはこころの中の、淡くあえかな恋のうた。
 知らぬは仕合わせ気づくも仕合わせ、想いひそかにふりつもる。

 

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**反転コメンツ**
初書き九望。2周目春の京のラスト付近。絆の関1個目で互いに遠慮がある状態(望美丁寧語だし)。
なんか、書きたいイメージを詰め込みすぎたみたいで、仕上げるのに予想外に手こずりました。あちこち削ってなんとか完成。
て言うか書きたい二人のイメージが全然書けてない! しょ、精進します。
もっと照れまくり大明神な九郎とか壮絶な喧嘩バトル(望美の暴力つき)とかむしろ開き直ったベタ甘とか!!