| あなたはちゃんと、がんばってるよ。
「九郎さん、九郎さん」 鈴の転がるような声で呼ばれる己の名が、何やらひどく面映いものに感じて、九郎はわざと仏頂面をつくって振り向いた。 「なんだ」 望美はそんな態度を一向に気にすることなく、軽い足取りで九郎の傍らに歩み寄る。 「これから一緒に市へ行きませんか」 「は? お前、なにを」 「だって九郎さん、どうせ鍛冶屋さんに行くんでしょう? だったらそのついでに、ちょっと寄ってみてもいいじゃない」
確かに脇差の一つを潰してしまったので、鍛冶師のところへ預けていた。そろそろ引き取りに行く頃合でもあり、場所は洛中からそう離れていない。そして今日は、東の市が立つ日だった。 「鍛冶屋さん、私も一度見てみたかったんです。いろいろな刀があるんですよね」 「……それは確かにな」
望美が持っているのは、白龍から与えられたという両刃の剣のみだった。普通なら他にも小型の刀などを持っているものだが、この少女には身を護るものがその剣一振りしか無い。それがいかに危ういことか、九郎は時折案じていた。彼女でも無理なく扱える品を見繕ってやるには、ちょうどいい機会かもしれない。 「分かった。お前もついて来い」
京の通りは賑わいを徐々に取り戻しつつあった。九郎は鍛冶師のところへ真っ直ぐに向かうつもりだったのだが、その道のりにちょうど市が立っていた。 「あー、すごい! 九郎さん、九郎さん、あれなに?」 「九郎さん、九郎さん」 甘える幼子のようなその仕草。近づく、甘い薫り。 「……一度呼べば分かる。阿呆みたいに連呼するな」 自由になったはずの袖は、すぐさま再び細い指に捕えられる。 「えー、名前くらい、好きなだけ呼ばせてくださいよ」 「お前が間抜けに見えるだけだぞ」 「いいですよそれでも」 あっさりと返った答えに、九郎はさすがに舌打ちし、更なる小言を加えようと望美の顔を正視した。 「……私が呼べば、九郎さんがちゃんと、返事してくれるから。だから私、何度でも呼びたいんです、九郎さんのこと」 そう言ってきれいに笑う少女は、何故か泣いているように、九郎の目には見えていた。 「―――行くぞ」 もう袖も名を呼ぶ声も、何もかもそのままでいいと思った。
「思ったより時間かかっちゃいましたね」 「お前がそれを言うか」 「えへへ」 鍛冶師の店へは結局行けなかった。市を見たがる望美に付き合っているうちに、日が暮れ始めてしまったのだ。九郎一人ならばともかく、夕刻以降の京を女子どもがふらつくのは危険だった。たとえそれが、源氏の戦神子と謳われる望美であっても。 「でも楽しかったです」 望美がくいと九郎の袖を引いた。結局彼女は市を回る間もずっと、こちらが振り払わないのをいいことに、彼の袖の裾を握っていた。 「……そうか」 九郎は嘆息し、無為に浪費した今日という時間を想った。 「あ、九郎さん、絶対今、今日一日無駄にしたーって考えてるでしょう」 「…………」 今気づくなら何故もっと早く気づかないのか。 「……いや、そうでもない」 いきいきと楽しげに輝く望美の瞳、弾む声。袖を掴む他愛ない細い指先の仕草。ふとした拍子に鼻腔に届く甘い薫り。 「少なくとも、退屈はしなかった」 そして自分の言葉にふわりと咲く、笑顔。 「市、たくさん人がいましたよね」 「そうだな」 「九郎さんが、頑張ってるからだよ」 思わず歩みを止めた九郎に合わせて、望美は爪先立ちでその顔を覗き込んだ。 「九郎さんのやってることは、ちゃんとみんなを幸せにしてるんです。それを知っててほしかったの」 暮れなずむ夕映えの中に、美しく輝き始める望月の乙女の声が九郎の胸の奥深く、やわらかいところにすとんと落ち着いた。 「―――ああ、そうだな。ありがとう」
了 |
**反転コメンツ**
2007/10/28開催の遙か3オンリーイベント【月に恋ふ】参加時に無料配布してたペーパーの再録でした。
開催地が遙かの聖地京都だったので、自分的にも記念になる何かをしたかった…結果はまあいつも通りでしたが(笑)。
時期的に『御曹司ハピバ』もネタとして絡められれば最上だったのですが、どうにも難しくって『秋の京』のみのネタになりました。
たまにはこんな喧嘩ゼロののんびりまったりデートもいいと思います。書いてて新鮮だった…!