その手で護るもの

 

 あなたはちゃんと、がんばってるよ。

 

 

「九郎さん、九郎さん」

 鈴の転がるような声で呼ばれる己の名が、何やらひどく面映いものに感じて、九郎はわざと仏頂面をつくって振り向いた。

「なんだ」

 望美はそんな態度を一向に気にすることなく、軽い足取りで九郎の傍らに歩み寄る。

「これから一緒に市へ行きませんか」

「は? お前、なにを」

「だって九郎さん、どうせ鍛冶屋さんに行くんでしょう? だったらそのついでに、ちょっと寄ってみてもいいじゃない」

 確かに脇差の一つを潰してしまったので、鍛冶師のところへ預けていた。そろそろ引き取りに行く頃合でもあり、場所は洛中からそう離れていない。そして今日は、東の市が立つ日だった。
 そこまで考えて、九郎は改めて望美を見下ろしてみる。
 つまり市に行きたいのだろうか、こいつは。神子の供など、一声かければ喜んで申し出る者が掃いて捨てるほどいるだろうに、何故わざわざ自分なのだろう。もとから所用のある自分であればさほど迷惑をかけないと踏んだのだろうか。

「鍛冶屋さん、私も一度見てみたかったんです。いろいろな刀があるんですよね」

「……それは確かにな」

 望美が持っているのは、白龍から与えられたという両刃の剣のみだった。普通なら他にも小型の刀などを持っているものだが、この少女には身を護るものがその剣一振りしか無い。それがいかに危ういことか、九郎は時折案じていた。彼女でも無理なく扱える品を見繕ってやるには、ちょうどいい機会かもしれない。
 九郎はそう考え、頷いた。

「分かった。お前もついて来い」

 

 

 京の通りは賑わいを徐々に取り戻しつつあった。九郎は鍛冶師のところへ真っ直ぐに向かうつもりだったのだが、その道のりにちょうど市が立っていた。

「あー、すごい! 九郎さん、九郎さん、あれなに?」
 その中をわき目もふらず突っ切れる集中力なぞ、望美に求めても無駄というものだ。いちいち立ち止まっては指をさし声を上げる望美に対して覚える感情が、苛立ちではなく微笑ましさであることに、九郎は内心で己自身を持て余している。
 こんなところで油を売っている道理はない、この調子で進んでいたら、鍛冶師のところへたどり着くまでに日が暮れてしまう。それでも、望美の澄んだ笑い声が響くのを聴いていると、それが大したことではないように思えてきてしまうのだ。
 俺はどこかおかしくなったのか、と煩悶する九郎の袖を、望美がくいくいと引いた。

「九郎さん、九郎さん」

 甘える幼子のようなその仕草。近づく、甘い薫り。
 どきりと心の臓が跳ねる。
 錯覚だ、とすぐさま決めつけ押さえ込み、九郎はさり気なく袖を振り払った。

「……一度呼べば分かる。阿呆みたいに連呼するな」

 自由になったはずの袖は、すぐさま再び細い指に捕えられる。

「えー、名前くらい、好きなだけ呼ばせてくださいよ」

「お前が間抜けに見えるだけだぞ」

「いいですよそれでも」

 あっさりと返った答えに、九郎はさすがに舌打ちし、更なる小言を加えようと望美の顔を正視した。
 その途端に視界に飛び込んできた、微かな痛みを秘めた笑み。

「……私が呼べば、九郎さんがちゃんと、返事してくれるから。だから私、何度でも呼びたいんです、九郎さんのこと」

 そう言ってきれいに笑う少女は、何故か泣いているように、九郎の目には見えていた。
 九郎は口を噤み、ふいと視線を逸らした。そんな顔の望美を見ていると、落ち着かない。心の臓ではなく腹の中に、もやもやとしたわだかまりが巣食うようだ。苛立ちのようにも痛みのようにも感じられるそれは、どうも自分には馴染みのない感覚だった。それくらいなら、喧しく跳ね回るいつもの彼女のほうが、ずっといい。

「―――行くぞ」

 もう袖も名を呼ぶ声も、何もかもそのままでいいと思った。
 望美の好きなようにさせておけばいい。
 どうせ大した害などないことがほとんどなのだから。それでこの少女が、いつもの通りに笑顔でいてくれるなら。

 

 

「思ったより時間かかっちゃいましたね」

「お前がそれを言うか」

「えへへ」

 鍛冶師の店へは結局行けなかった。市を見たがる望美に付き合っているうちに、日が暮れ始めてしまったのだ。九郎一人ならばともかく、夕刻以降の京を女子どもがふらつくのは危険だった。たとえそれが、源氏の戦神子と謳われる望美であっても。

「でも楽しかったです」

 望美がくいと九郎の袖を引いた。結局彼女は市を回る間もずっと、こちらが振り払わないのをいいことに、彼の袖の裾を握っていた。

「……そうか」

 九郎は嘆息し、無為に浪費した今日という時間を想った。

「あ、九郎さん、絶対今、今日一日無駄にしたーって考えてるでしょう」

「…………」

 今気づくなら何故もっと早く気づかないのか。
 そう思わないでもなかったが、九郎はくつりと喉奥で笑いを噛み殺した。

「……いや、そうでもない」

 いきいきと楽しげに輝く望美の瞳、弾む声。袖を掴む他愛ない細い指先の仕草。ふとした拍子に鼻腔に届く甘い薫り。

「少なくとも、退屈はしなかった」

 そして自分の言葉にふわりと咲く、笑顔。

「市、たくさん人がいましたよね」

「そうだな」

「九郎さんが、頑張ってるからだよ」

 思わず歩みを止めた九郎に合わせて、望美は爪先立ちでその顔を覗き込んだ。

「九郎さんのやってることは、ちゃんとみんなを幸せにしてるんです。それを知っててほしかったの」

 暮れなずむ夕映えの中に、美しく輝き始める望月の乙女の声が九郎の胸の奥深く、やわらかいところにすとんと落ち着いた。

「―――ああ、そうだな。ありがとう」

 

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**反転コメンツ**
2007/10/28開催の遙か3オンリーイベント【月に恋ふ】参加時に無料配布してたペーパーの再録でした。
開催地が遙かの聖地京都だったので、自分的にも記念になる何かをしたかった…結果はまあいつも通りでしたが(笑)。
時期的に『御曹司ハピバ』もネタとして絡められれば最上だったのですが、どうにも難しくって『秋の京』のみのネタになりました。
たまにはこんな喧嘩ゼロののんびりまったりデートもいいと思います。書いてて新鮮だった…!