家路

 

 おててつないで みなかえろ
 カラスといっしょに かえりましょ

 

 

「ここまで来りゃ、あとは一人で帰れんだろ?」

「うん───ありがと」

 勝浦の宿が立ち並ぶ界隈が近づく頃には、すでに夕暮れが迫っていた。将臣と知盛との道行きは、戦時ではない素のままの平家の人物を見聞きすることのできる、ほとんど唯一の機会と言ってよかった。
 けれど望美は別にそんなつもりで彼らに同行していた訳ではない。
 この先の運命をひとたびはなぞっているからこそ───それをどうにかして止められないのか、という糸口を掴みたかっただけだ。そしてそれは無理なことなのだ、という苦い事実を少女に突きつけるだけの、傷を抉る行為にしかならなかった。

 知っている。この先がどうなるのか、私は知っている。

「みんなには逢っていかないの?」

 将臣が絶対に首を縦に振らないのを承知の上で、望美は敢えて言う。
 案の定、一人だけ先に大人になってしまった幼馴染みは、苦笑して肩をすくめた。

「お前が言っといてくれないか? 俺はほら、コイツを放っとく訳にもいかねえし」

「ご挨拶だな、有川」

「アホ抜かせ。待ってろっつったのに、勝手に崖っぷちをフラついてたのは誰だよ」

 ああ、こんな他愛のない会話が、なんていとおしいものなのだろう。
 近い未来にこれが喪われてしまうことを知っているからこそ、望美は二人のやり取りを正視できず、いたたまれなさに俯いた。

 誰ひとり欠けることなく、という願いは、途方もない勝手な我侭。
 そう分かっていても、一度だけでも人としてのぬくもりを知ってしまえば、諦めねばならない時の痛みは何倍にもなって望美を打ちのめす。
 いっそ知らなければ楽だったのかもしれない。ただ、倒すべき相手として、戦場でまみえるだけの敵として。けれどそれは、融和と共生の可能性を丸ごと否定することであり、自らを正義だと思い込む愚かさでもある。

 喪う痛みが遙かに増すのだとしても、それだけは望美には受け入れられなかった。

「───夕焼け、キレイだね」

 唐突に呟いた望美を、将臣と知盛はそれぞれの表情で眺めやった。
 三名の眼前に広がる熊野の海と空は、沈みゆく太陽にあまねく照らされて、美しいオレンジ色に染まっていた。
 同じ色に照らされて、包まれる。源氏の神子と平家の総領とその勇将。
 同じ場所に立って、同じものを見ている。

 けれど、帰る場所は───違う。

「ちっちゃい頃はさ、晩ごはんの時間になると、歌いながら帰ったよね」

「ん? ああ、夕焼け小焼けってか?」

 懐かしい日々。帰る場所は同じなのだと無邪気に信じて疑わなかった、遠い日々。

「……帰る、か。幼馴染み殿が宿へと戻られないなら、我らも帰れない」

 帰る場所はみな違うのだと、気づかない訳にはいかなかった、運命。
 望美は知盛を見た。知盛も、この男にしては珍しいことに、真正面から望美を見ていた。

「───またすぐに、逢えるよ」

「…………」

「その時まで……元気で」

 殺しあう相手にかける言葉としてはおかしなものだ、という自覚はあったが、それ以外の言い方が分からなかった。
 知盛の瞳が僅かに細められた───これは彼が面白がっている時の癖だと望美は飲み込んでいた───のを見て、望美はくるりと二人に背を向けた。
 つかの間の夢路を共にした、陽炎よりもはかないえにしの、平家の人々に。

 

 

「おててつないで、みなかえろー……」

 宿にすぐに帰る気にも到底ならず、望美はそのまま、人気のない勝浦浜を歩いた。口をついて出るのは、幸せを幸せとも知らなかった頃の、この世界では誰も知らない歌。

 誰にでも帰る場所がある。
 それは物質的な意味に限らず、帰りたいと思う場所、護りたいと思うもの、心の拠り所となるもののことだと、望美は思う。
 望美を取り巻く仲間たちは、確かに白龍の神子の八葉だ。けれどそれだけではなく、彼らは彼らなりの生きる意義やしがらみ、事情を持っている。望美が神子だから、というその事実にのみ従って生きている訳ではない。それを強要する立場には、望美はない。

 ───仲間だとしても、帰る場所が同じ訳ではないのだ。

「こどもがかえった、あとからはー……」

「……神子」

 不意にふわりと声をかけられ、望美の足がぴたりと止まった。
 男性にしては柔らかい声音で呼びかけられた言葉は、彼にとって望美を指すものでしかない。少なくとも、今現在は。

「白龍?」

 振り向けば予想にたがわず、望美の神がにっこりと笑っていた。

「迎えにきたよ。みなが神子に知らせたいことがあると言ったから」

「───ああ、そっか」

 熊野川の怪異が鎮まったという知らせのことだ、と望美には見当がついた。女房姿に化けた怨霊を調伏し、後白河法皇の眼前で封印をほどこしたのは、今日の昼のことだ。

「ありがと、じゃあ戻らなきゃね」

「うん。でも神子、もう少しだけなら、大丈夫だよ」

「え?」

 望美を見つめる白龍の瞳は、いつもとても静かだ。
 どこまでも相手を慈しみいとおしむ───神の眼差しがそこにある。

「神子の心がそう望んでいる。まだもう少し、時間がほしい、と」

 望美は苦笑するしかなかった。神子が己の神に隠しごとをするなど、最初から無理なことだと相場は決まっている。
 もう少し。もう少しだけ。

 向き合い、挑み、変えるための覚悟を決める、時間を。

 

 

「先ほどの言の葉は、以前神子が教えてくれたものだね」

「え、なに?」

「今この瞬間に、とても相応しい言の葉。日輪が空も海も染めてゆく刻限」

「……ああ、夕焼け小焼け?」

 まだ白龍が幼い姿だった頃に、帰路の道中に手を引いて、わらべ歌をいくつか歌ったことがあった。その中に、この歌も入っていたかもしれない。

「あたたかくて、慕わしい言の葉だね」

 白龍は微笑んだ。
 その笑みが、今の望美には何よりも痛い。

「帰る場所が、みんな違うのに?」

 言っても詮無いことだとは分かっていたが、今それを言ってほしくはなかった。いけないと思うより先に、望美の口からはそんな自嘲がするりとこぼれ落ちた。
 神子と呼ばれていても、自身に何らかの力が備わっている訳ではない。すべて白龍からの借り物、神あっての神子。それどころか神の力の源さえ奪い手中に収め、その力で運命を捻じ曲げようとしている己の醜悪さに、吐き気がする。

 傍らの長身がふわりと身をかがめ、望美の髪をそっと梳いた。

「私の神子は麗しいよ、この世の何よりも」

「───白龍っ!」

 この神は自分の神子に甘すぎる。思わず非難の声と同時に顔を上げて、望美は見た。
 白龍の穏やかな、柔らかな、眼差し。

「あなたの意思は人の情。相手を真摯に想うそのこころを、麗しいという言の葉のほかに、どう言い表せばよいのだろう?」

 人の、情。
 そんなご大層なものではない、と望美は分かっている。これはただの自分のエゴで、知り合った人たちを無為な戦で亡くし、敵としてしまうのがどうしても我慢できなくて、闇雲に足掻いているだけなのだ、と。

 それでも確かに、足掻くのは、彼らに生きていてほしいと願ったから。
 彼らに生かされたこの命で、彼らを生かしたいと思ったから。
 無意味な争いを止めることで、救いたいと願ったいのちがあるから。

「神子が進み、変えることを諦めない限り───」

 黄昏はだんだんと夕闇に取って代わり、最後の陽光の片鱗が、海の彼方に消えた。
 そのかがやきが、神子の頬を静かにつたったものを光らせる。

「いつか必ず、あなた自身がみなの、帰る場所になるよ」

 

 

 かえろ、かえろ。いっしょにかえろ。
 おててつないで、みなかえろ。

 

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**反転コメンツ**
十六夜の裏熊野でちょっとシリアスめに。CPは特になしだけど、見ようによっては白望っぽいかも。
十六夜平泉ルートは5章壇ノ浦で一気にVS平家決着&ネタバレするから、あれを何度も繰り返すのは正直気が重い。
将臣が還内府だと知れ渡るし景時が敵対するし知盛が死ぬし、そりゃ神子だってヘコむだろ。
ところで知盛ルートって、和議も大団円も幼馴染みも放置してヤツ一人を連れ帰るという解釈でいいんでしょうか(笑)。