BELIEVE

 

「ようやくここまで来たか。……アンジェリーク」

 『彼』にそう言われた瞬間、少女はその柳眉をひそめて渋面を作った。けれど自ら言葉を発することもなく、一歩一歩、紅い絨毯を踏みしめて進んでいく。
 迷わず。躊躇わず。どこまでも真っ直ぐな心の命じるままに、臆することなく階段を上り詰めて『彼』と対峙する。

「……レヴィアス」

 その名で呼ぶのは、『彼』がそう呼べと言ったから。

 ───譲歩してあげるわよ、ここまではね。

 握り締めた『蒼のエリシア』を、すっと目の前で構える。怪訝そうな『彼』に向かって、押し出す様に言葉を告ぐ。

「始めましょうか」

「…………」

 言葉で説得なんてしない。
 どうせそんなものは、しても無駄だと判りきっているのだから。

 ───だから。

 翡翠の瞳に映る光はどこまでも迷いがなくて。

 ───あなたを止めるには。

 射抜かれる様に激しくて。

 ───こっちも生命を賭けるしかない!

 それを受け止めきれずに『彼』の方から瞳をそらした時点で、勝負はすでについていたのだ。

 

 

「……殺せ。我を殺さねば、お前たちの勝利は叶わぬ」

 瓦礫があちこちに転がる玉座のなれの果て。そこにしがみつき固執する、余りにも憐れな『彼』の姿。
 少女はぼろぼろになった『蒼のエリシア』を握り締めると、声を立てずにふっと笑みを浮かべた。

「殺してなんてあげない」

「……?」

 何歩か踏み出せば触れられそうな距離で。それでも少女は歩み寄ろうとせずに、淡々と言葉を投げつける。

「あなたは殺す価値もないひとよ」

 自分の言葉が『彼』にどんな影響を与えているか、それを充分に知った上でなおも言う。

「アンジェリーク……」

「気安くその名を呼ばないで!」

 初めて少女の声が怒気に揺れた。この城に足を踏み入れた瞬間から、ただの一度も揺らがなかった感情を、ほんの一瞬見せる。
 思考を切り替える様に頭をひとつ振ると、少女はゆっくりと歩き出す。
 『彼』へ向けて。

「……そんなに消えたいのなら、消してあげる」

  ガッ!

 鈍い音が自分の耳のすぐ脇を掠めていく様を、『彼』は一瞬理解し難い様に見つめていた。
 少女が手にした至宝の聖杖の先端は、『彼』の髪を幾筋か捕らえてその背後……玉座の背に突き刺さっていた。
 この距離で狙いを外す訳はない。少女がその気なら、間違いなく自分は先端で喉元を貫かれていたはずなのに。

 間近で覗き込む翡翠の色に、怒りはなかった。

「あなたの『死』を、殺してあげる」

 

 

 堰を切った様に溢れてくる涙が、少女の頬から零れ落ち、『彼』の頬や胸元までを濡らしていく。

「殺してなんてあげないわ。あなたが永遠の眠りを望むのなら、私は絶対にあなたを死なせてなんてあげない」

 涙を拭おうともせずに、少女は続ける。

「あなたの望みなんて何ひとつ叶えてなんてあげないっ。魂を凍らせてしまうことなんて、絶対に許さないっ!」

 瞬きひとつしないままに、泣きながら笑う。
 その表情は凄絶で、そのくせ酷く美しかった。

「……アンジェリーク」

「気安く呼ばないでって言ったはずよ」

 椅子にもたれているのが精一杯の『彼』の上に覆い被さる様に、少女の亜麻色の髪がはらはらと揺れては微かに肌をくすぐる。

「魂を永遠に放棄することなんて許さない。そんなの、私は絶対に認めない」

 玉座の背にめり込んだままの聖杖の先端が、からん……っとかけらを残して引き抜かれた。

「……あなたは生きるのよ。その魂を生かし続けて、自分のやったことに責任を取り続けていくの!」

 細い指がそっと『彼』の頬に触れる。
 次の瞬間、柔らかな身体全体が勢い良くしがみついてきた。

「……ここまで痛めつけておいて、『生きろ』などと……よくも言う」

 触れてくるぬくもりに腕を回しながら答える。

「手加減なんかするなって言ったのは、あなたでしょ?」

 抱きついて実際に触れ合ったことで、『彼』が想像以上に酷い致命傷を幾つも負っていることが、少女には判っていた。

「……『生命』は尽きても、『魂』は尽きないわ」

 囁く様に。

「待ってるから、私の宇宙に来ればいい。新しい生命を持って、私の統べる宇宙でその魂を生かし続けていけばいい」

 耳に心地良い声が命じる、圧倒的な強制力。

「そこでは私は女王よ。気安く名前なんて呼ばせてあげないんだから」

 おどけた様なことを、至極大真面目に言ってしまう、『彼』に残された唯一の希望。
 それこそがこの少女。

「……お前は確かに『女王』だ。場所が何処であろうと、関係無い」

 地鳴りが響き始める。力を失いつつある主に呼応して、この城も終焉の時を迎えている。
 『彼』は少女を抱きしめたまま瞳を上げると、暗く霞んでいく視界を必死に確保しながら告げた。

「先に行け。我も後からお前を追いかけてやるから」

 

 

「……嫌だと言ったらどうするの?」

 試す様に呟く響きが奇妙に弱いのは、『彼』の言葉の方が今は正しいのだと、本能的に感じ取っているから。

「我を待とうなどという酔狂な者は、お前くらいのものだ」

 最後の瞬間を惜しむかの如く、きつくきつく抱きしめられて、込み上げる感情に吐息も乱れる。
 それしか方法がないと、理解していても。

「その顔を拝みに行くのも一興かも知れぬからな」

 戒めを解かれて、少女はもう一度だけ、『彼』の瞳を見つめた。

「……あなたの言葉なんて、もう信じないわ」

 微かにきつまった金銀妖眼を見返して、してやったりといった表情で軽やかに笑い声を響かせる。歪んだこの城の空気に、そんな笑い声が吸い込まれていくのは初めてだった。

「あなたの言葉じゃなくて、あなたの魂を私は何より信じてるもの」

「…………」

 咄嗟にどう返していいのか判らない『彼』をその場に残し、少女は揺れの激しくなる中、階段を駆け下りる。
 大きな扉の前で、少女は『彼』を振り返った。

「レヴィアス!」

 自分の姿を捕らえている瞳を見つけ、満足そうに微笑む。

「待っててあげるから、ちゃんと急ぐのよ。……愛してるわ!」

 

Fin.

 

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