| 「ようやくここまで来たか。……アンジェリーク」 『彼』にそう言われた瞬間、少女はその柳眉をひそめて渋面を作った。けれど自ら言葉を発することもなく、一歩一歩、紅い絨毯を踏みしめて進んでいく。 「……レヴィアス」 その名で呼ぶのは、『彼』がそう呼べと言ったから。 ───譲歩してあげるわよ、ここまではね。 握り締めた『蒼のエリシア』を、すっと目の前で構える。怪訝そうな『彼』に向かって、押し出す様に言葉を告ぐ。 「始めましょうか」 「…………」 言葉で説得なんてしない。 ───だから。 翡翠の瞳に映る光はどこまでも迷いがなくて。 ───あなたを止めるには。 射抜かれる様に激しくて。 ───こっちも生命を賭けるしかない! それを受け止めきれずに『彼』の方から瞳をそらした時点で、勝負はすでについていたのだ。
「……殺せ。我を殺さねば、お前たちの勝利は叶わぬ」 瓦礫があちこちに転がる玉座のなれの果て。そこにしがみつき固執する、余りにも憐れな『彼』の姿。 「殺してなんてあげない」 「……?」 何歩か踏み出せば触れられそうな距離で。それでも少女は歩み寄ろうとせずに、淡々と言葉を投げつける。 「あなたは殺す価値もないひとよ」 自分の言葉が『彼』にどんな影響を与えているか、それを充分に知った上でなおも言う。 「アンジェリーク……」 「気安くその名を呼ばないで!」 初めて少女の声が怒気に揺れた。この城に足を踏み入れた瞬間から、ただの一度も揺らがなかった感情を、ほんの一瞬見せる。 「……そんなに消えたいのなら、消してあげる」 ガッ! 鈍い音が自分の耳のすぐ脇を掠めていく様を、『彼』は一瞬理解し難い様に見つめていた。 間近で覗き込む翡翠の色に、怒りはなかった。 「あなたの『死』を、殺してあげる」
堰を切った様に溢れてくる涙が、少女の頬から零れ落ち、『彼』の頬や胸元までを濡らしていく。 「殺してなんてあげないわ。あなたが永遠の眠りを望むのなら、私は絶対にあなたを死なせてなんてあげない」 涙を拭おうともせずに、少女は続ける。 「あなたの望みなんて何ひとつ叶えてなんてあげないっ。魂を凍らせてしまうことなんて、絶対に許さないっ!」 瞬きひとつしないままに、泣きながら笑う。 「……アンジェリーク」 「気安く呼ばないでって言ったはずよ」 椅子にもたれているのが精一杯の『彼』の上に覆い被さる様に、少女の亜麻色の髪がはらはらと揺れては微かに肌をくすぐる。 「魂を永遠に放棄することなんて許さない。そんなの、私は絶対に認めない」 玉座の背にめり込んだままの聖杖の先端が、からん……っとかけらを残して引き抜かれた。 「……あなたは生きるのよ。その魂を生かし続けて、自分のやったことに責任を取り続けていくの!」 細い指がそっと『彼』の頬に触れる。 「……ここまで痛めつけておいて、『生きろ』などと……よくも言う」 触れてくるぬくもりに腕を回しながら答える。 「手加減なんかするなって言ったのは、あなたでしょ?」 抱きついて実際に触れ合ったことで、『彼』が想像以上に酷い致命傷を幾つも負っていることが、少女には判っていた。 「……『生命』は尽きても、『魂』は尽きないわ」 囁く様に。 「待ってるから、私の宇宙に来ればいい。新しい生命を持って、私の統べる宇宙でその魂を生かし続けていけばいい」 耳に心地良い声が命じる、圧倒的な強制力。 「そこでは私は女王よ。気安く名前なんて呼ばせてあげないんだから」 おどけた様なことを、至極大真面目に言ってしまう、『彼』に残された唯一の希望。 「……お前は確かに『女王』だ。場所が何処であろうと、関係無い」 地鳴りが響き始める。力を失いつつある主に呼応して、この城も終焉の時を迎えている。 「先に行け。我も後からお前を追いかけてやるから」
「……嫌だと言ったらどうするの?」 試す様に呟く響きが奇妙に弱いのは、『彼』の言葉の方が今は正しいのだと、本能的に感じ取っているから。 「我を待とうなどという酔狂な者は、お前くらいのものだ」 最後の瞬間を惜しむかの如く、きつくきつく抱きしめられて、込み上げる感情に吐息も乱れる。 「その顔を拝みに行くのも一興かも知れぬからな」 戒めを解かれて、少女はもう一度だけ、『彼』の瞳を見つめた。 「……あなたの言葉なんて、もう信じないわ」 微かにきつまった金銀妖眼を見返して、してやったりといった表情で軽やかに笑い声を響かせる。歪んだこの城の空気に、そんな笑い声が吸い込まれていくのは初めてだった。 「あなたの言葉じゃなくて、あなたの魂を私は何より信じてるもの」 「…………」 咄嗟にどう返していいのか判らない『彼』をその場に残し、少女は揺れの激しくなる中、階段を駆け下りる。 「レヴィアス!」 自分の姿を捕らえている瞳を見つけ、満足そうに微笑む。 「待っててあげるから、ちゃんと急ぐのよ。……愛してるわ!」
Fin. |