福音

 

そらから てんしが おちてくる
かみさまの あいを みんなにとどけるために

 

 

「あっ、雪……。ねえ見てアリオス、雪が降ってきたわ!」

 愛しい少女が彼の目の前で笑う。ただそれだけで、青年の冷えきった胸にも僅かながらの熱が生じる。
 ……すぐに凍てついてしまう程度のぬくもりだったけれど。
 意志の力で押し隠すことができる程度の、ぬくもりだったのだけれど。

「お前、風邪ひいてんじゃねぇのか?   先刻からハナミズ垂らして……クッ、ざまあねぇな」

「ええっ!?  嘘っ!!」

「嘘だ」

 単純すぎる。青年は堪らず爆笑した。

「……もう〜〜〜、アリオスのばかっ」

 少女はすぐに泣きそうな顔になり、ぽかぽかと非力な拳で青年の背中を叩く。

「肩でも叩いてくれてんのか?  ちっとも痛くないぜ」

 口でこの少女が自分に勝てる訳はないのだ。
 口どころか、身のこなしも嘘のつき方も、何もかも。

 ───その身に宿る『力』の、根本的な質さえも異なる相手。

 相容れない相手に魅せられたところで、得るものは虚しい想いの残骸だけ。

 だから、これ以上。
 愛さないと、そう決めた。

「……アリオス?  どうしたの?」

 いつの間にか叩くことをやめた少女が、自分の前に回り込んで顔を寄せてくる。大きな翡翠の瞳は澄んでいて、それがとてつもなく怖かった。

 

───天使の瞳は偽りを見抜くと言う。

 

「何でもねぇよ。お子様に心配されるほど、俺は落ちぶれちゃいねぇ」

「…………」

 本当に傷ついた時、この少女は何も言わないのだと……気づいたのはいつだっただろう。小さく俯いた亜麻色の頭は、白い雪に彩られて微かな湿り気を帯びていた。

「アンジェリーク」

 名を呼ぶと、少女はふわりと青年に身を寄せてくる。
 防寒の為の布越しにも、その柔らかさとぬくもりは伝わってきて。

 狂いそうになる。
 そのままかき抱いて、攫ってしまいそうになる。

「……うん。でもねアリオス、これだけは覚えておいて」

 淡い色の唇が紡ぐ、優しい心。

「自分の気持ちを真っ直ぐ見つめないと、いつかきっと、後悔するわ……」

 それは、天使の福音。

「メリークリスマス、アリオス」

 そのまま小さな唇は、青年の頬にそうっと触れた。
 羽根が掠める様に。

「……!?」

 驚いて瞳を見開いた青年の前で、少女はまっさらなままの表情で微笑んだ。

「あなたの上に、祝福があります様に……」

 

 

 少女は真っ白な衣装を着せられて、豪奢な天蓋付きの寝台に横たえられていた。全てが陰鬱な黒い色調の中に在って、その姿は否が上にもくっきりと浮かび上がっている。
 見開かれた瞳に、もう表情は映されない。

 あの笑顔も。
 ぬくもりも、優しさも。
 拗ねた時の幼い仕種さえ。

「……アンジェリーク」

 傍らで名を呼ぶ青年の存在すら認識せず、天使の骸はただそこに『在った』。
 ただ、それだけ。

 青年は思う。

 ───これが、我が望みではなかったのか。

 少女の身体を器として手に入れ、深淵よりかの日の少女を呼び戻す、それこそが。

 人払いをした後の大広間で。

『レヴィアス……アリオス……。私、あなたが好きよ』

 泣きながら微笑み、自ら胸を突いて果てた少女。

『わたしのからだ……つかってね……』

 ほとんどの魔導を封じられた身で、救えるはずもなく。

 

『あなたは今でも、その人のことを誰よりも想っているのね』

 

 たった一度、少女が言った言葉。
 そう思い込もうとしていた自分を納得させるには、都合のいい言葉。

 何故。
 何故、言えなかったのだろう。

 愛しているのはもう、遠い日の少女ではなかったことを。
 遠い日のおぼろな記憶ではなく、目の前の息づくぬくもりであったことを。
 真に欲したもの。
 手を伸ばせば、それはこんなにも近くにあったのに。

「アンジェリーク……」

『自分の気持ちを真っ直ぐ見つめないと、いつかきっと、後悔するわ……』

 それを教えてくれた天使は、もうどこにも居ない。
 どこにも。

 

 

てんしは そらへ かえっていく
かみさまの あいを とどけおわったから

 

Fin.

 

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