熱が、欲しい。
生命の持つ、確かな熱が。

 

 

「来たれ……力導き……」

 唱える呪文は何度目か、数えてはいない。
 視界を灼く光芒が集束する。その中心に横たわる、華奢な身体。
 煙を発する魔法陣の中で白い衣の裾をはためかせている、それは美しい骸だった。

 骸。魂魄の宿らない肉体。
 天使の血より創り出した、仮初めの器。

「……エリス?」

 指先がぴくりと震える。閉じられていた瞼が開き───その色は───

 禍つき真紅。
 そして何より、意志のない虚空を写した、その眼窩。

「ッ……!」

 何度繰り返そうとも、無駄なのは知っていた。この身体を利用したところで、エリスは決して甦らない。
 のろのろと動き出した『それ』は、俺に向かって手を差し伸べてきた。

「我に触れるな」

 咄嗟に口にした言葉も通じない。
 ……当然だ、『これ』は魂なんて上等なもんは入っていない、ただの木偶人形だ。
 『それ』の生気のなさが、更に苛立ちを深める。

「失せろ……!」

 腕を振ると『それ』はあっさりと薙ぎ払われ、床に叩き付けられた。
 泥細工の様に。
 後頭部から滲み出した血溜りが、亜麻色の髪を重く濡らしていく。

 この行為に何の意味があるのかすら、俺はもう考えることを放棄していた。ただひたすら、天使の屍を積み上げていく。同じ顔をした女を、迷わず殺せる様に。
 そうだ。どうということはない。

 『これ』と同じ顔の女が、俺の手で死ぬだけだ───……。

 

 

「アリオス、どうしたの?」

 不意に話しかけられると、一瞬だが、自分がどこに居て何をしているのか判らなくなる。

 お前は誰だ。
 その顔は、その声は、その瞳は。誰だ。

「……アンジェリークか。どうしたって、お前こそ何だよ」

 それでも間違えずに少女の名前を呼ぶのは、その柔らかな存在感のせい。
 甘いぬくもり。ほんのりと色づく声。
 何よりも大きな翡翠の瞳が宿す輝きは、静かに俺を見つめてくれる。

  何故こうも違うのか。

  同じ顔なのに。
 いや、それどころではなく、彼女の血から身体を再生している、『あれ』はまさしく彼女そのものなのに。

 少女は俺の前に佇み、困惑ぎみに首を傾げた。

「ん、アリオスが何だか、ぼうっとしてるから……」

「お前に言われるほど終わってねぇよ」

 繰り返される、他愛のない光景。
 そして俺はいつも、この生ぬるい白昼夢の中を漂っている。

 何もかもぶち壊してやりたい。
 お前の紡ぐ柔らかな空気を引き裂いて、ぼろぼろに貶めてやりたい。
 この世界から抜け出せなくなる、その前に。

 

 

 別にこの宇宙の何に恨みがある訳でもなく、ただ破壊のためだけに力を得たくて、俺は足掻き続けている。
 本当に欲しいものは何だったのか、もう忘れた。
 忘れたから、全てを手に入れようとするしかなかった。
 その中に何かひとつくらいは、俺が欲しかったものがあるだろうから。

 古い玩具の箱をひっくり返すガキの様に、俺は探し続ける。

 何を。

 力を?
 命を?
 想いを?

 探して探して探して、もう諦めた頃に、膿んだ傷口が疼き出す。
 かつて味わったことのあるぬくもりを求めて、疼き出す。
 俺を惑わすな。頼むから。
 もう無駄な望みを抱くのは、真っ平なんだ。
 手を差し伸べるな。笑いかけるな。偽りの名を呼ぶな。

 そうじゃないと、俺はお前を───……。

 

 

「ドジ」

「ごめんなさい……」

「ま、お前が抜けてるのは、今に始まったことじゃねぇけどな」

 海に落ちたり、怪我をしたり。
 今度は発熱だとよ……ったく、だからオンナだのガキだのは、体力がねぇから面倒なんだ。

「謝るヒマがあったらとっとと治せ」

 ベッドサイドに置かれた薬を取ろうと起こした上体が、熱のためにふらつく。一瞬の後に、それは他愛もなく、俺の腕の中に収まった。

「あ……ご、ごめん……な、さ……」

「…………」

 そのまま、ふっと力が抜ける。
 閉じられた瞼は何かを誘惑しているのだろうか。

 熱い。
 どうしてお前はこんなに熱いんだ。
 これが生命の熱なのか。

 片腕で気を失った少女を抱え込み、薬と水を口に含んで、小さな唇に移し与える。

 熱い。ただひたすら。
 抱きしめた少女が熱いのか、それとも俺が熱くなっているのだろうか。

「アンジェリーク……」

 熱い。あつい。アツイ。
 今はただ、その熱こそが愛おしい。

 解放した唇は水に濡れて艶を増し、どこまでも俺を追い詰める。
 それに魅入られたなら、その誘いに乗るしかないんだ。
 抱き合う肌から伝わる熱が、脳髄まで毒素を染み込ませていく。

 ───甘い、毒。致死性の毒。

 柔らかな天使の翼に焦がれる、愚者の欲。

 

Fin.

 

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