酒宴

 

 怖かった。その澄んだ南海の色を宿す瞳が。

「アリオス、またお酒を飲んでるの?   飲み過ぎはあんまり身体に良くないわ」

 そんなことを心配するより、少しは戦闘中に自分の身を守ることを考えろ、この馬鹿。

『レヴィアス、お酒も過ぎると身体に毒なのよ?』

 ───エリスみたいなことを言う。

 だが、こいつはエリスじゃない。
 だってそうだろ?   エリスの傍らに立つ資格があるのは、未来永劫、俺ひとりだけなんだぜ。
 お前は違う。

 お前の傍らに立つ資格があるのは……俺じゃない。
 決して俺では有り得ない。

「アリオス」

 やや咎める様な声に、俺はようやくグラスを置いた。
 別にこいつの言うことを聞いた訳ではなく、単に中身がカラになったからだったが。

「……用件は?」

 いくらこいつがお節介でも、わざわざ宿の部屋を逐一家庭訪問する趣味があるとも思えない。
 ……いや、こいつだったらやりかねないか。

「明日の朝にここを出発する予定だったんだけど、道具屋さんに注文していたものが全部揃ってないの。だから出発は延期して、明日は自由行動ね」

「はいはい、了解……っと」

 新たな液体をグラスに注ぎ込むのを見て、アンジェリークは何か言いたげな瞳をした。

「何だ?」

「……ううん、何でもない。お休みなさい」

 普段ならそのまま放っておくんだが、構っちまったのは、やはり酒が入っているせいだったのだろう。

「人のツラを意味ありげに眺めといて、その返事はねぇだろ?」

 細い腕。こいつの動きを封じるのなんざ、片手だけで充分にこと足りる。
 アンジェリークは俺につかまった腕と床を交互に見比べていたが、やがてぽつりと言った。

「アリオス、お酒って美味しい?」

「は?」

 ───いきなり何を言ってんだ、こいつは。

「アリオス、お酒を飲んでる時、自分がどんな顔してるか知ってる?」

「鏡を見ながら飲む趣味はねぇな、生憎と」

 翡翠色の瞳が深みを増した。……様な、気がした。

「辛そうな顔してるよ。見ていて哀しくなるくらい……」

 

 

 酒を飲む。それは昔からの習慣だった。
 みじめな廃皇子の身分から逃避するため。くだらない皇宮の連中から遠ざかるため。

 ───お前を騙し続ける自分の醜さをまぎらわすため。

 酒を美味いと思ったことはほとんどない。
 ただ、酔いがもたらしてくれる麻痺に浸りたかっただけだった。一時的にでも、全ての理性と現実を忘れさせてくれるから。

 それをこいつは言い当てたのだ。『辛そうな顔をしている』と。

 俺は自嘲した。
 鈍い・トロい・ガキの3拍子揃った奴に、あっさり見抜かれたことに。

「お前にはそう見えるのか。女王サマってやつは、マジで情け深いんだな、ええ、おい?」

 椅子に座ったままで見上げていた少女は、立ち上がるという動作だけで、頭の位置が俺よりも遙かに低くなる。
 腕をつかんだまま、その華奢な身体を壁に押し付けた。

「で?   慈悲の溢れる女王陛下は、みじめな俺を憐れんでくださるって訳か?」

 最低の言い方をしている。思考の片隅に追いやられた理性でも、それくらいは判る。

 俺がみじめなのは単なる事実だ。
 お前が辛そうな相手を放っておけないことも。
 ああ、そうだ。俺とお前はこんなにも違う。住む世界がどうこうというだけじゃない。その魂が……何よりも、違うんだ。

 アンジェリークは静かに俺を見つめていた。やがてゆっくりと、亜麻色の頭を横に振る。

「ううん。ただ、寂しい人だなって思うよ……」

 俺に束縛されていない方の掌が、そっと俺の胸に触れる。
 そう呟くこいつの表情の方こそ寂しそうで、それに僅かな動揺を覚える自分が居た。

 

 

 掴んだ腕をへし折ることも。
 その首に手をかけて、呼吸を止めることも。
 唇を奪うことも。
 そう離れてはいない寝台に引きずっていって、押し倒すことさえ。

 無数の選択肢が俺にはあり、それが凄まじい勢いで脳裏を過ぎっていくのを、他人ごとの様に観察しながら。

 ───結局俺は何ひとつ実行に移さずに、アンジェリークを解放した。

「……悪かったな、からんじまって。安酒は悪酔いするから困るぜ」

「いいの。じゃあ本当に、お休みなさい」

 小さな天使が出ていった後も、その香りは部屋のアルコール臭を和らげていた。

 奇妙な確信があった。

 俺が何をしても、あいつは拒まなかっただろう。
 その瞳に映した深さのままに、俺の行為を黙って受け止めるのだろう。
 俺自身ですら気づかない、俺の中の暗闇を。

 なら、アンジェリーク。

 俺の全てを知った時、お前はやはり、それを受け止めてくれるだろうか。
 最後まで、その瞳を逸らすことなく。

「……それも、いいかもな」

 俺は再び、無意味なひとりだけの酒宴を始める。
 天使の腕に抱かれて朽ち果てる、その瞬間を夢見て。
 有り得ないこと。叶うはずのない幻。
 酔わされた泥の様な思考が織り上げる、馬鹿げた微かな───心からの、望み。

 

Fin.

 

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