いつか、その日まで

 

 その街の外れには古びた大きな建物があった。
 屋根のシルエットから礼拝堂と判る。うろちょろと入り込むのが好きなチビ共の話では、訪れる者もまるで居ない……ほとんど廃虚の様になっている場所だそうだ。

 そこがあいつは何故か気に入っているらしく、時折出かけていく。
 真っ昼間なら問題はないのだが、日増しに帰る刻限が遅くなっていた。
 そして今日はとうとう、コレだ。
 俺は左手に掲げた灯りを見つめ、次いで濃い闇の向こうに目を凝らした。

『年若い女性がひとりきりで、暗くなるまで帰らないなど言語道断』

『どこに行ったのか見当がつかない』

 ……勢い、「見当のつく奴が探してこい」という流れになる。過保護もいい加減にしろと言いたいところだが、奴等の心配も今回はあながち的外れではない。

 鬱蒼と茂る森を超えたその果てに、礼拝堂はある。

 とてもじゃないが、陽も落ちてかなり経ったこの時間に、あいつひとりで無事に帰ってこられる訳もない。
 保証つきだからな、あいつのボケさ加減は。モンスターだけじゃなく、誘拐その他の犯罪まで、漏れなく危険のフルコースだ。
 厄介な用事はさっさと済ませるに限る。溜め息をつき、俺は歩調を速めた。

 

 

 たどり着いた礼拝堂は、月光を受けて大地にくっきりと影を落としていた。
 錆びついた扉を軋ませて開ける。

 ───柔らかな灯りが広がって、一瞬立ちすくんだ。

 揺らめく仄かなともしび。微かな空気の流れにもその身を震わせる、幾多の炎。
 蝋燭だった。
 何百という蝋燭が、打ち捨てられた礼拝堂に生命を吹き込んでいた。

「……アリオス?」

 その向こうで振り返ったあいつは、俺の姿を認めて呟く。
 礼拝堂。無数のキャンドル。そして天使。

 現実味のなさすぎる光景に軽い目眩を覚え、同時にその行為の聖なる醜悪さに唾棄したくなる。

 

祈って何になる
祈れば願いが叶うのか
縋れば誰でも幸せになれると?

 

「さっさと火元の始末をしろ。帰るぞ」

 そう促しても、お前は動こうとしなかった。
 祭壇の前に跪いたまま、じっと俺を見上げる。

「どうしても続きがやりてぇなら、昼間にしろ。保護者どもがカンカンだぜ」

 それでも身じろぎもしないので、俺は業を煮やして腕を掴んだ。

「いい加減にしろ」

「……お祈りを、していたの」

「見りゃ判る。そんなのいつだってできるだろ?」

「だめなの。今日じゃなくちゃ」

 こういう時、お前は鉛の様に頑固だ。脅してもなだめても、決して頷かない。
 引きずっていくことも一瞬考えたが、それは最後の手段なのでひとまず保留した。

「なんでだよ」

「今日が一番、神様に祈りが届く日だから……」

 

 

 『神様』。それは俺を失笑させるに充分な言葉だった。

「ハッ、神様ね。女王様が神様に何を祈る必要があるんだ?」

 全てをその掌中で操ることを許された者よ。
 それ以上、何を祈り、何を願おうと言うのか?

 お前はゆっくりと顔を伏せ、指を組み合わせてこうべを垂れる。祭壇の奥にはステンドグラス。蝋燭のオレンジがかった光に照らされて、色までははっきりと区別できない。

「……懺悔をしていたの」

 不意に耳慣れない言葉が飛び込んできて、俺は改めてお前を見降ろした。

「いろいろ悩んだり迷ったりしたことを、誰かに聞いてほしかったの」

「神は返事なんかしねぇぞ」

「聞いてもらえるだけで良かったから、いいの」

 

 そう答えるお前の背中が、余りに小さく頼りなく、いとけないものに見えたから───

 

「……?」

 背後から抱きしめた身体は冷たかった。
 外套もなしでこんなボロ屋に居るのだから、当然だ。

「だったら俺に祈れよ」

「アリオス」

「誰でもいいんだろ?   俺だったら気が向けば返事くらいしてやるし、誰にも言わねぇよ」

「これ以上アリオスに頼れないもの」

「くだらねぇこと気にするな。俺が頼れって言ってるんだから、頼ればいいんだよ」

「…………」

 返事はなかった───言葉に出しては。
 俺の掌をぎゅっと掴んだ指と、やがてそこに落ちた熱い雫、震える華奢な肢体。それが返事だと受け取ることにした。

 お前は涙を人前で見せようとしない。いつも控えめに微笑んでいる。
 ひとりで泣ける場所こそが、お前の祈る場所なのかも知れない。こんな朽ち果てた礼拝堂にこもらねばならないほど、お前は涙を呑み込んできたのか。

 なら、泣けばいい。
 あいつらに見せられないのなら、気の済むまで、俺の腕で泣けばいい。
 いつか、その日まで。

 否応無しに迫るその日まで、せめて……。

 

Fin.

 

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