自戒

 

 洞窟の入り口で、アンジェリークは僅かにためらう様な仕種を見せた。
 実は彼女は暗い場所がかなり苦手なのである。不可思議な話に興味を抱いたものの、怖いと思う気持ちは変わらない。

「……おい?   そんなとこに突っ立ってたって埒があかねぇだろ、とっとと済ましちまおうぜ」

 背後から肩をぐっと押し出されて、少女はきゃっと声を上げた。

「アリオス!  びっくりさせないでよ」

 振り向いて抗議してくる天使の眼差しに不安の色がちらついているのを、アリオスは見逃さない。
 だが、そうと口にすることもなかった。

「お前が言い出したんだろ」

 大体自分は全く関係がなかったのに、この少女に頼み込まれて承諾させられただけなのである。そこまで親切に気遣ってやるだけの理由は、どこを探してもない。

「さ、行くぜ」

「う……うん」

 ……何だかんだと内心では毒づきつつも、小さな手をそっと引いてやる掌は、確かにぬくもりがあったから。
 アンジェリークの纏う雰囲気が、いつも通りにふっと穏やかになったのが、繋いだ手からアリオスには判っていた。

 

 

「結構進んできたけど……かなり広いのね」

 そう語る声でさえぼんやりと反響して、アンジェリークは少々びくついた顔をした。

「クッ、怖いのか?」

 アリオスのからかい混じりの声に、ムッとして抗議しつつ仰ぎ見る。

「そっ、そんなんじゃ……」

「そうか」

 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら、わざとらしく少女の背後に視線を送り、驚いた様な表情を作って見せた。

「……おい、後ろ!」

「きゃあああああぁぁぁっっ!!」

 悲鳴を放って自分の胸に飛び込んできた身体は、想像以上に柔らかくて。
 一瞬頭をもたげた衝動を素早く理性で押え込み、青年は肩を揺らして爆笑した。

「馬鹿かお前。こんな簡単にひっかかる奴が居るかよ」

「…………」

 ものも言わずに震えている少女の肩に手を置き、引き離そうとする。

「……おい?」

「…………っ」

 背中に回された腕が必死に縋りついてくる。ようやく頼れる者を見つけた迷子の子供の様に、どこか酷く頑固に。

「アンジェリーク?」

 ゆっくりと顔を上げた少女の瞳は、薄暗がりでもそれと判る程に……潤んでいた。

 鼓動が一瞬、早まる。
 こめかみが焼ける様に、熱くなる。

「……ごめん、なさい。アリオスに無理言ってついて来てもらったのに、私ったら……」

 頬を染めて俯く仕種が余りにも媚態を含んでいて。
 先刻押え込んだばかりの衝動が、アリオスの中で息を吹き返す。

「もう大丈夫。本当に、ごめんなさい」

 離れていこうとしたアンジェリークの身体は、今度は彼女の背中に回された腕で遮られた。

「……アリオス?」

 

 

「まだ震えてるぜ、お前」

 華奢な身体は洞窟の壁に押し付けられ。

「ったく、怖いんなら最初っから、んな話に乗るなよな」

 ごつごつした岩肌に、ところどころ苔が生えているのが、ひやりとした感触で伝わり。

「大体化け物が出たって、今まで何度もそういうのに出くわしてきただろう?」

 アリオスの両腕はアンジェリークを解放したものの、彼女の出口を塞ぐかの様に顔の両脇に肘をつき。

「……俺がついてんだ。心配するな」

 重なった視線が、どこかとても奇妙な昂ぶりを覚えさせて、少女は返事もできずに下を向く。

「返事はどうした?」

「…………」

 見つめられるのが、何故か酷く落ち着かなくなる。

「……あ……」

 もう一度、包み込む様に抱き寄せられて、予期していなかった行動に自然と少女の吐息が漏れた。
 からかわれているのなら、感覚でそれと判る。
 そして相手がそんなつもりではないことが、触れ合った肌から伝わる。

「っ!」

 耳朶に囁きが近づいた。

「言えよ」

 ほとんど触れるか触れないかというところで止まっている唇。
 それと意識しただけで、アンジェリークの心臓は壊れてしまいそうだった。

「……っ、もう大丈夫だから……離してっ……」

 怖かった。
 違いが何なのかは判らないけれど、自分の知っているいつもの青年にはない雰囲気が。
 そしてそれに流されかけている自分が。

 ───空気が、変わった。

「……クッ」

 一瞬だけ上半身を更に近づけると、アリオスは身を離して不敵に笑った。

「からかっただけだってぇのに、いちいちマジで反応するなよ」

 その笑顔は間違いなく、少女がよく知っている青年のもの。

「え……でも、あの……」

 今までの行動は、いつもの気まぐれだったのだろうか?
 そうは思えない。
 思わせてくれないだけの違和感が、まだアンジェリークの身体中に刻みつけられている。
 掴まれた肩も。腕を回された背中も。広い胸に埋めていた自分の頬さえ熱くて。

 呆れた様にアリオスが肩をすくめた。

「俺はな、お前みてぇなガキに手ぇ出すほど趣味は悪くねぇんだが」

 少女の意識に漂っていた甘さの残り香は、その瞬間に木っ端微塵に打ち砕かれた。

「な……っ、アリオスのばかっ!!」

 

 

 怒りを糧に自分より何歩か先を歩く少女を背後から見つめる視線は、酷く不安定だった。
 『欲しい』と思ったのは、一時の気の迷いなどでは決してない。
 もうとっくに、そこまで捕らわれていたのは自覚していたのだから。

 あの時。脅えた少女の声を聴いて理性を取り戻さなければ。
 どうなっていたのかは、アリオスにも判らない。

「…………」

 握った掌を開くと、先刻柔らかな耳朶から失敬した耳飾りが、きらりと存在を示す。
 自戒の意味で、耳朶を食む代わりに、青年の唇が少女から奪ったもの。

「……どこまで役に立つか、怪しいモンだけどな」

 それでも。
 堪えなくてはならない。気づかれてはならない。
 いつか、天使の手でこの生命を終わらせる、その日が来るまで。

 

Fin.

 

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