2008年12月25日
No.01 Sentimental Journey |
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これまでにいくつもの旅をしてきた。その多くはまるで無計画な、行き当たりばったりな、自由気ままな旅だった。未知なる土地やものへの好奇心は尽きることが無く、行く先々での様々な出会いは、僕の心にやすらぎを与えてくれた。 こうした行き当たりばったりさが生来のものであったのか、若さからくるものだったのか、それは当の僕にもわからない。ただ、とにかく行動を起こさなければいけない、という衝動が、いつもどこからか湧きあがってくるを感じていた。 時間に追われるように過ごす毎日。その間隙に生じた、わずかな暇を埋めるようにして旅に出た。東へ、西へ、南へ、北へ。ここではない何処かを目指し、未知なるものを求め彷徨い、ふたたびいつもの生活へと帰ってくる。そんな、ささやかな日常からの脱却ではあったが、僕は自由だった。 |
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この言葉の主は、自由で、世俗的なことには関心がなく、孤独と音楽を愛した旅人である。僕ら世代の多くが幼い頃に出会っているその旅人の名は”スナフキン”という。彼の友人である”ムーミントロール”がそうであったように、僕にとっても彼の自由さは憧れだった。 僕も自由さを求めて旅に出た。だが僕を取り巻くあらゆるしがらみを煩わしいと感じていた筈であるのに、旅から帰って、ようやく逃れた日常へと再び戻ったとき、僕はいつも、なぜかしら安堵感を覚えていた。そしてその時、見飽きたはずの人やものが懐かしく、従前と変わらぬ退屈だった日常が新鮮だった。 旅の空の下、僕を知るものは何もない。自由とひき換えに僕は孤独になった。が、そのとき、旅とは日常から離脱することではなく、あらゆるものから距離をおいて見つめ直す手段のひとつであり、日常の中にもそれはあったのだと気付かされた。孤独になることで、どうやら僕は新たな目を手に入れていたらしい。孤独こそは有意義なる旅の要因だった。 ”スナフキン”もそれを知っていたのだろうか。 |
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いつの頃からか、僕の旅は明らかな目的を伴っていた。それは山や森、川や湖を訪ね歩くことであり、そこで目にし、感じた自然は、旅人である僕をいつも変わらぬ優しさ、厳しさで迎えてくれた。 山々は雄大であり、そこに咲く花々は可憐で美しかった。川は清冽にして力強く流れ、多くの生命を支える源だった。海はどこまでも広く、空は果てしなく高かった。そうした自然の中であまりに小さな存在の僕は、その雄大さや強さ、寛容さにたびたび感動させられ、そしてまた同時に、自然への畏怖を感じた。 そうした自然の中にこの身を置いたとき、僕はいつも自由だった。だが、自由であるがゆえに守らねばならぬ秩序も学んだ。そしてそれが、自然の中にあっては、決して侵してはならない「おきて」であることも知った。 |
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☆ (釣り師は)「みんな心の中に傷をもっている。しかも、その傷が何の傷だか、自分では知らないんだ。」 ☆ |
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小説家・林房雄の「釣人物語−緑の水平線−」からの一節である。 果たして、僕の心の中に傷があるのか、それは知らない。例えもしあるのだとしても、それを僕が、何のための傷であるかを知ることはないのだろう。だがしかし、僕の旅が、そうした傷を癒やす手段のひとつとなることは、あらかじめ承知していることである。 旅は僕を癒してくれたが、それは決して楽しいものばかりでもなかった。旅の途中で激しく苦悩したこともあれば、大きな挫折感を味わったこともある。旅に出ることそのものが苦痛だった時期さえもある。人生を旅に喩える人があるけれど、人生を旅する旅人にとって、きっとその道は平坦ではない。ときに絶望的な険しさに出会うこともあるし、またそれは克服しなければならない障害なのだ。 旅に出ることによって、大きな壁にぶつかり、傷を負うこともあるだろう。けれども、やはりまた、僕は旅に出るだろうし、行動しなければならないと思うのだ。なぜなら傷ついた僕を癒やしてくれるものは、やはり旅であり、そこでのあらゆるものたちとの邂逅なのだろうから。 人それぞれに様々な旅がある。自らの旅を「グレート・ジャーニー」と銘打った冒険家がいたが、これに倣うとするならば、僕の旅はさしずめ「センチメンタル・ジャーニー」といったところだろう。 ここに綴られる物語は僕の旅の記録であり、感傷的な心の有り様である。そして僕は今も旅の途中だ。僕にとって旅とは、単に”Travel”を指すものではなく、日常であり、人生であり、未知なるものたちへの憧憬の発露だ。 この旅にどんな結末が用意されているのか、それは知らない。 だが、この旅こそがきっと、”PreciousField”を探し求める旅なのだろう。 |
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(文中敬称略) |