2001年11月 4日
2002年 5月30日追記

大雪山が泣いている



 2001年10月28日深夜、大雪山系のトイレ問題のTVドキュメントが放映された。タイトルは「北海道・大雪山が泣いている」というもので、大雪山系のトイレ問題と共にこのサイトからもリンクしている「山のトイレを考える会」の活動を紹介していた。この番組を見て、改めて現在の大雪山の酷い有様を認識させられた。
 大雪山系は言わずと知れた「日本百名山」に2座(大雪山、トムラウシ山)が選ばれている。

 番組中トムラウシ南沼キャンプ指定地において、山のトイレを考える会が携帯トイレブース(携帯トイレを使用して用を足すためのテント)を設置したが、多くの登山者は携帯トイレすら持参しておらず、利用者は僅かに2人だった。登山者の認識の低さがうかがえる。この時の登山者へのインタビューで「私はちゃんと埋めてる。かつてはそれで良かった。だけど今は人が多いから、それが問題なんだよね。」と答えていた人がいたが、そこまで解っているなら携帯トイレは持参していて欲しい。確かに人が多くなった事も問題だし、登山者の認識の欠如による行為はこれまでもあったであろう。だがそれは全登山者に対する比率ではなく絶対数が問題であるはずだ。だからこそ我々には新たな認識と行動、つまり我々自身が登山者の激増に対応することが求められるのは当然と言えよう。

 大雪山系の登山者は5、6年前より増加が著しい。と、山のトイレを考える会代表であり山岳ガイドの横須賀邦子さんは言う。これは丁度「日本百名山」ブームがピークに達した時期ではないだろうか。このブームによって局地的な登山者の集中、増加を招いた感は否めない。こうしたブームにはこれまでに登山の経験や興味の無かったものも多く影響される。つまり山での正しい過ごし方を知らぬまま、考えぬまま登山に出掛けてしまう人間を生産(?)する結果となっているのが現状であろう。
 そもそも「日本百名山」は深田久弥氏の山岳紀行文学であるが、現在マス・メディアなどによって多く紹介されている。だがその多くが写真、ビデオなどヴィジュアルに重点を置いたものであるという事実も見逃してはならない。つまりそれらの山々の豊かな自然、美しい景観、頂上からの展望などを視覚的に伝えているものばかりだ。誰でもそういったものを見せられれば自分も行ってみたいと思うのは十分理解できるし、そこから登山者の激増という現象が起こるのは想像に難しくない。だがこれまで登山の経験や興味が無かった者にまで、そこで紹介されている自然、景観について理解させるに十分な紹介が成されていないように思う。つまりトイレ問題はある意味必然であり、責任の一端はマス・メディアにある、と言っても過言ではないだろう。
 登山者の中には「日本百名山」に対して否定的な者もいるようだが、「日本百名山」は既にブランドである。ブランド好きな日本人にはおあつらえ向きなのかもしれない。それは登山者にすれば「日本百名山」に登っているということが一つのステータスであり、メディアにすればそういう登山者をターゲットにした商品は儲かるといった目玉商品的な考え方からくるものではないだろうか。つまり問題は「日本百名山」ではなく、無責任に情報を垂れ流しているメディアにあり、そこを訪れる人間の精神、つまりブームに踊らされて自らの無知を知らぬ、探究心を欠いた登山者にあると私は考えている。
 人々はとかくメディアなどに影響されやすい。しかしメディアは多くの場合その影響力を直接的、間接的に自らの金儲けにしか利用していない。今後マス・メディアはその影響力をこうした問題の改善に注いでみてはどうだろうか。この日本百名山ブームを例にすると、これまでの自然賛歌的内容と同等のスペースを山での過ごし方、つまり「自然にローインパクトであるためにどうするか?」、という事に割いて見るというのはどうであろう。
 そうしたことを考えると今回放映された番組は、非常に意義のあるものであったと思う。今後このような番組がもっと増えていくことを望みたい。

 では登山者の側はこの問題をどう捉えているのだろうか。今回の番組中、水場となっている沢がキジ場(トイレ場)として利用されている現状には絶句した。いくら何でもあまりに考えが無さ過ぎである。山での水場の有無は登山者にとって死活問題である。その限られた水場を自らの排泄行為で汚染するというのはいったいどういう事か。私には理解出来ないし、多くの賢明な登山者もそうだろう。
 登山に限らずアウトドア活動を楽しむ理由の一つに、日常生活から脱却して自然に触れての気分転換というのもあると思う。が、私は日常生活の延長にあると考えるべきだと思う。日常生活においては誰も流し台などで排泄行為はしない。自宅や職場の中でゴミは捨てない。そうした場所は日常生活におけるフィールドであるからだ。つまり登山におけるフィールドは山であり、日常生活での自宅や職場、暮らしている街などと同じなのである。皆が、全てのアウトドア活動を楽しむ者がそう考えれば問題の解決は決して難しい事では無いはずである。


追記

 2002年2月26日、この番組を製作したHTB映像 ディレクターの中野勝志氏よりメールを戴いたので紹介しよう。


 たけさん、初めまして。ホームページを見させていただいてメールを送信いたしました。
 私は、10月28日の深夜に放送したドキュメンタリー「北海道・大雪山が泣いている」を制作した HTB映像 中野勝志と申します。
 この番組は、たけさんの様に北海道に限らず自然を楽しむ人たちに、すこしでも関心を持っていただければと思い制作しました。
 私は、普段「遊々・アウトドア」(注:2002年3月終了)という番組を制作していて、アウトドアも趣味ということで常に自然の中にいることが多い生活をしています。大雪山の取材では、あまりの酷さに私も驚きました。番組で見ていただいたものは、ほんの一部で現状はあんなものではありません。「せっかく楽しく、美しいものを見に来ているのにどうして!」と取材中は常に思っていました。
 トイレ問題やゴミ問題。決して自然が問題ではなく、利用する私たちに問題があると皆さんが気付いていただければ幸いです。またこのような番組は、常に作っていきたいと思っています。
 番組を見ていただき本当にありがとうございました。またいろいろな情報をホームページで見せてください。

ディレクター 中野勝志


 中野氏もメールで指摘するよう、TV番組の映像を持ってしても伝え切らぬ程に、大雪山の現状は酷い有様だという。恐らく私のテキストでは、さらにその半分も伝わるものではないだろう。これらの問題をより多くの人たちに認識してもらえるよう、今後こうしたTV番組などが増えることを望みたい。
 現在のアウトドア・ブームを考えれば、楽しさばかりを追求するだけの情報はもはや不要であると思う。各々工夫して、辿り着くものにこそ、この遊びの楽しさがあると考えるからだ。

 私のサイトでは度々、痛烈なるマス・メディア批判をしてきた。当然、中野氏もその業界に籍を置く一人であるわけだが、メールにもあるよう、中野氏自身の趣味もアウトドアという事もあり、今回の「北海道・大雪山が泣いている」は自然を真摯に見つめ、問題をより深刻なものとして捉えるアウトドア愛好者の視点で製作されたものであったと感じる。また残念ながら2002年3月で放送を終了してしまったが、番組「遊々・アウトドア」も、自然を楽しむ上での視点の面白さは非常に興味深いものがあった。こうした一連の情報は私たちアウトドア愛好者にとって、むしろ歓迎されて良いものだ。

 「北海道・大雪山が泣いている」は北海道映像コンテスト2001・番組部門において最優秀賞を受賞した。このような番組が認められるという状況を好ましく思うのは、恐らく私だけではないだろう。

 今回のメール内容の公開に際し、ご快諾してくださった中野様に厚く感謝申し上げると共に、中野様をはじめとするスタッフの皆様の、より一層のご活躍を期待いたします。誠にありがとうございました。
2002年5月30日