2002年6月13日

高山植物の移植



 高山植物の移植と聞いて、不思議に思う人もいるかもしれない。何の必要があってその様な行為に及ぶのだろうか、と。おそらくは「好きな花を、好きな山で見たい」とか「近所の山に綺麗な花を・・・」といった心理からくる行為なのであろう。しかしながらこれは非常に自分本位の考えであり、私には理解できないし、賢明なる登山者である皆さんも勿論そうであろう。

 2001年9月、北海道北部の前天塩岳において、過去に観察記録のないコマクサが確認された。これらの一部は開花し、ピンク色の花に混じって白い花を付けた株があった。さて、この白い花のコマクサというのは、栽培品種として流通しているもののようで、人為的に植えられたものと見るのが有力であるという。
 1999年7月には後志羊蹄山のコマクサが環境庁によって除去された。これはもともとコマクサはこの山に自生していなかった上、人為的に種子が蒔かれた事実を確認したからである。これに対し愛好家の中には「そんなに目くじらを立てる必要があるのか」、「定着したものをわざわざ除去しなくとも・・・」、「研究目的に有効利用すれば良いのでは」などの意見があり、さらには「移植はむしろ褒めるべき行為」という暴言を吐く者までいるという。これと同様の事案は樽前山でもあったようだ。当サイトではこれまで外来魚の移植などについても取り上げてきたが、そこでもやはり移植肯定派の意見は同様のものであった。なぜ人は自らの楽しみの為に、自然に対してここまで無神経になれるのだろうか。

 今回、このテキストを作成するにあたって、Web上で情報を収集したのだが、ちょっと気になるページを見かけた。それは日本アルプスのとある山小屋の管理人の日記だったが、その日記の中に「3年前に移植したコマクサも2株が根付いていて、数輪の花を咲かせています。」という記述があった。どのような経緯でこの移植をしたのだろう。管理人自らの楽しみの為なのか、或いはそこを訪れる登山者のためなのか。実際のところはわからないので、あまり多くを語るのはよそう。だが、今現在正しい知識と認識の無い者が、こうした移植についての記述をどう見るだろう。
 私はこう考える。山小屋の管理人というのは、当然山を生活の場としており、山についてのあらゆる知識と経験を持っていて然るべき人間であると思う。こうした者の発する情報には、それなりの影響力があるのではないだろうか。すなわちこうした記述による影響で、誤った認識を持つ者を生産する恐れはないか。そう考えると単なる日記といえども、これらの記述にはもっと神経を使って貰いたいと思う。インターネットというのは、不特定多数の者が閲覧できるため、どのような人間が見ているかはわからないのだから。

 さて、このような高山植物や外来魚の移植は、「自分の好きな山に、好きな花を」であるとか「自分のホーム・グラウンドである釣り場に、より魅力的な対象魚を」などといった考え方からくる行為なのだろうが、これを行った当事者以外の者で、こうした行為を「善い行い」であると解釈する者も少なからずいるようである。これらによって自らもその恩恵(?)を享受することができるからだろうか。だが多くのアウトドア活動における活動の場は自然のはずであり、自然無くしてこれらの活動は成立するものではない。その自然を乱す行いをするという事は、そうした行為を認めるという事は、自らの活動の場を荒廃させ、その活動自体を廃退させるものであると思う。
 このような行為による影響は、目に見える早さで進行するものではない。今現在はその影響は実感できるものではないかもしれないが、それは生物史学的にはほんの一瞬を見ているに過ぎないからだ。もっと長い目で見て、考えれば、おのずと答えは出ると思うのだが・・・、いかがだろうか。

 高山植物に限らず、こうした移植という行為は、自然分布を乱し、その地域の在来種との競合などから、その山の生態系を乱す行為である。また、同一種であっても他の地域から持ち込んだものでは育った場所の違いから性質が微妙に異なるものであり、そうした性質とはそれぞれの場所でそれぞれに形作られた、いわゆる進化や遺伝の帰結である。それをむやみに人間の手によって攪乱することは断じてあってはならないはずである。