2002年8月27日

釣りに行こう


 数年前、私の車のカー・ステレオは壊れてしまった。現在はラジオしか使用できない状態だ。しかも現在私の住む地域は、FMの受信状態が極めてよろしくないので、音楽好きな私は非常に淋しい思いをしている。だが受信感度が良好な地域を走行する際には、ラジオから流れる様々な音楽が私を楽しませてくれる。そこで今回は、そんな音楽とふるさとのお話・・・・。

 アウトドアな事を趣味にしている私だが、天候の良くない日や気分が乗らない時には部屋にこもって過ごすこともある。そんなとき私は専らビデオで映画を鑑賞したり、音楽を聴いたりしている。特に音楽は幼少の頃にピアノを習っていたり、十代の頃にはロックバンドの活動に夢中になったりもしたこともあって、日常的によく聴いている。ジャンルを問うことなく幅広く聴いてはいるが、好んで聴くのは60年代後半から70年代にかけての洋楽のRockが多い。車に乗っていてもカー・ステレオから流れているのは、レッド・ツェッペリンやらキング・クリムゾン、ピンク・フロイド、ビートルズなどなど挙げればキリがないが、二昔以上も前の音楽を好んでいるからといって、私は別に懐古主義者だというわけではない。釣りに行く際の移動時には可能な限りはラジオを聴くようにしているし、特にFMは洋邦、新旧、ジャンル問わず様々な音楽が電波に乗って流れてくるので、少年時代から音楽の情報源として常に利用していた。

 今から十数年前の早春、私は釣りからの帰路につき、いつものように車内でラジオを聴いていた。ラジオは最新のヒット・チャートにランクインしている曲を順に流していた。釣りでの心地よい疲れのせいもあって、それらは私の耳を右から左へと通り過ぎていった。実際にはあまり流行り歌に興味がなかったということもある。番組が終わり、短いCMを挟んだあと、突然流れ出した「その曲」は優しげなメロディーに乗った叙情的な詞が心地よく響き、私の心を奪った。

 当時の日本の音楽界にはファッションばかりが先行し、中身が薄っぺらなロックらしきもので溢れかえっていたが、どれも私の興味の対象外のものでしかなく、私はうんざりすると共に、少々淋しくも感じていた。かつて日本の音楽は、テレビのベストテン番組での評価が、まるで音楽の善し悪しの全てであるかのような時代があった。だが、人々はそんなものには何の意味も無いことに気付き、それと共にそういった番組も淘汰されていった。時をほぼ同じくして、様々なジャンルの若手ミュージシャンが数多くデビューしたが、印象に残るほどのものは少なく、そのほとんどが間もなく消えていった。当時の日本にもたらされたバブル経済は、音楽業界も例外では無かったのである。現在、音楽の善し悪しの判断規範は、ベストテン番組からCMやドラマのタイアップなどにとって変わった。しかしそれは形態が変わっただけで、本質的には何も変わっていないのではないかと私は感じている。
 その様な中で、流行などに流されることなく、独自のスタイルで心に残る音楽演り続けている人達を見ると、私は非常に嬉しく感じてしまう。

 少々話が脱線してしまったが、とにかく私は「その曲」に心を奪われた。こんな穏やかな時間の流れの中で釣りを楽しみたい、そう思った。曲中で展開される叙情的な世界観は、私の釣りに対するイメージそのものであり、それらは大きいのが釣れたとか、いっぱい釣れたなどといった釣果などに左右されるものではないだろう。曲が終わるとパーソナリティが短いコメントを添えて「その曲」を紹介した。
 「その曲」はデビュー間もないロックバンド「THE BOOM」と人気歌手「矢野顕子」の共演によるもので、タイトルを「釣りに行こう」といった。矢野顕子は歌手として、また人気ミュージシャン坂本龍一夫人としても有名だ。THE BOOMはジャンルにこだわらず、流行に流されない独自のスタイルを持つバンドで、この曲の数年後「島唄」の大ヒットで一躍有名になり、人気バンドとして現在も活動を続けている。「島唄」は国内外で数多くカヴァーされ、特にアルゼンチンの人気タレント「アルフレッド・カセーロ」によるヴァージョンはアルゼンチンで大ヒットし、日韓共催となった2002年サッカー・ワールド・カップのアルゼンチン代表の応援歌となっていたのはあまりにも有名な話だ。
 「釣りに行こう」に出会った日から今日まで、私はTHE BOOMのファンとして彼らの楽曲を楽しんでいる。

 さてTHE BOOMのヒット曲の中に、

♪〜 雪帽子の猫柳 寝ぼけまなこのウグイ
春はまだかと待ちぼうけ 遙か遠いふるさと・・・・

という歌い出しではじまる、「帰ろうかな」という曲がある。
 ごく日本風の歌詞とメロディーに、異国情緒さえ漂うアレンジ。THE BOOMの楽曲はどことなくボーダーレスだ。だが私はこの曲に、日本の原風景を見たような気がした。それは現代日本では既に希になってしまった風景だ。
 この曲を聴きながら目を閉じると、瞼に浮かんでくる田園風景。それは私にとっての理想郷であり、ふるさとだ。東京生まれの私にとって、「ふるさと」といわれてもピンとくるものがない。だがこの曲はそんな私にふるさとを与えてくれた。そんな未だ見ぬ「ふるさと」への郷愁と、「帰ろうかな」という曲は私の心の中で溶け合い、ひとつになった。

 瞼に浮かぶその風景の中にはもちろん、決して大きくはないが一筋の川が流れている。私はその川で春はそよ風を感じながら、夏は沸き立つ入道雲を眺めつつ、秋には落ち葉を踏んで、冬には純潔なる新雪に足跡を残しながら釣りを楽しむだろう。きっと心穏やかに釣りを楽しめるはずだ。時には川の流れを見つめながら怠惰な時間を貪るのも悪くない。いつの日にかそんな理想郷に出会ったなら、私はそこに移り住み、季節の移ろう様を肌で感じながら、文字通り雨読の日々を送りたいと思う。そしてその時、そこは私の「ふるさと」となるだろう。