2002年2月5日

北海道におけるブラウントラウト問題


 北海道におけるブラウントラウトは1980年に新冠川水系で初めて確認され、以降1997年までに道内18水系で確認(注1)されている。道立水産孵化場によると「主に釣り師による発眼卵埋没放流によって分布を拡大した」ということである。つまり放流はレクレーション目的であり、科学的裏付けのないまま行われた何ら必然性の無いものであると私は考えている。

 現在北海道ではブラウントラウトによる生態系への影響が懸念されている。さて、この魚の存在によって具体的にどのような影響があるのだろう。残念ながら我が国ではその影響に関する研究例は見られないようだが、北米では科学的な調査が為されているという。
  • ミネソタ州のある川では,もともとブルックトラウトしか生息していなかった場所にブラウントラウトとレインボートラウトを移殖したことによって,15年後にはブルックトラウトの70%がブラウントラウトに,さらに17%がレインボートラウトに置き換わってしまった。
  • ブラウントラウトは魚食性が強く、30p以上のブラウントラウトを対象として胃の内容物を調査したところ、その多くが小魚で特に北米では在来種であるブルックトラウトが多く補食されていた。
などが代表的なところである。この魚の繁殖力、魚食性の強さがうかがえよう。

 道内でも千歳川支流紋別川では調査の結果ブラウントラウトが既に優位種となっていることが確認されているし、私自身も数年前道南の戸切地川中流域で釣りをする機会があったが、釣れたのはブラウントラウトのみであった。など、既にいくつかの水系では自然繁殖も確認されている。これは北米での調査結果同様、この魚の過剰なまでの環境適応能力の高さを示すものに他ならないのではないだろうか。
 また他のサケ科魚類との交雑の可能性も指摘されており、我が国でも秋田県で在来イワナとの交雑個体が確認されている。

 こうした観点から北海道でもブラウントラウトの是非をめぐる問題が提起されている。ブラウントラウトの釣りの対象魚としての人気はその移入の経緯をみれば一目瞭然であろう。2001年8月、道南森町は鳥崎川において在来種保護を目的とする市民グループが釣りによるブラウントラウト駆除を行い、釣り師らから激しく非難されるという騒動も起きている。この騒動はメディアも取り上げ、WEB上でも度々話題となっていた。これを機に北海道では今後ブラウントラウトをめぐる議論が過熱していきそうだ。

 こうしたブラウントラウトやブラックバスなど外来魚の駆除反対を訴えるものの意見で最もよく耳にするのは、「外来魚よりも環境の悪化こそ問題」というものである。確かに環境の悪化は問題であり、その改善は急務であると私も考える。だが「在来種の減少は環境の悪化が原因」とした上で既に定着してしまったのだからと、その河川を外来魚の受け皿として認めさせようというのは理屈として無理はないか。環境の悪化に外来魚という驚異が加わり、追い打ちをかけられたのでは在来種はひとたまりもない。ここではどちらがと優先順位を付ける必要はなく、それぞれは別の問題として議論すべきだ。「トータルに自然を捉えて考えるべき」とする方もおられるだろうが、それで解決を見ないのはブラックバスの問題を例に見れば明白である。だがすべての問題は同時並行的に考えなければならない問題で、それぞれに大筋の方針が定まった段階でリンクさせ、そぐわない点は修正していくべきだろう。

 またゾーニングによる棲み分けという意見もある。これはブラックバス擁護論者が度々持ち出す意見であるが、私には甚だ疑問に感じる方法論である。彼らの言うゾーニング案を是とする事を前提として考えた場合、それは徹底した管理の基にのみ成立するものである。と、私は考える。だがこうした意見を発する者はもっとその魚の生態を考えるべきである。私がブラウントラウトを考えたときにまず気になったのがその母川回帰性である。ブラウントラウトはシートラウトと呼ばれる降海型が存在することでも知られ、静内川などでは冬〜早春にかけてこれを狙う釣り師も多く、道内でも普通に見られるようであり、実際に道内でも海域での捕獲例が報告されている。が、その母川回帰性はどうなのであろうか。北米での調査によると海域を通じて別水系へと分布を拡大することが報告されている。そうなればゾーニングそのものが不可能である。

 支笏湖ではヒメマスを補食するものとしてブラウントラウトは「害魚」であるという論調で語られているが、こうした問題に利害を持ち出すこともナンセンスだ。ここで言う利害というのはそれぞれの立場によってその解釈が変わってくるものであり、どちらがどうというものではない。ヒメマスの害魚とする前にそもそもいないものがいて、その生態が我が国の環境にはそぐわないということが問題であるのだ。
 そもそも支笏湖におけるヒメマスも阿寒湖からの移入種である。これに対し「移入種が問題であるならばヒメマスも駆除するべきではないのか。」という意見もあるようだが、これはただ単に問題のすり替えをしているだけで、ブラウントラウトの問題そのものとは何ら相関性がない。私としても支笏湖へのヒメマス移植の必然性は感じないが、ここでの問題は近年急速に増加し、この水域での優位種となりつつあるブラウントラウトの繁殖力や魚食性の強さであり、過剰なまでの環境適応能力である。つまりヒメマスの移入という問題(?)は、これとは別のものであり、また別の場で提起すべきだろう。これこそが彼らが外来魚を擁護するときに論ずる、魚種別の対応ではないのか。
 また、もともと貧栄養湖であると言われる支笏湖において、ヒメマスが流入河川に遡上し産卵する事によりその死骸によって湖水のリン含有量が増加し、魚たちにとっては住みやすい環境になるとの説もある。だが支笏湖では再生産による資源量の維持が難しく、放流に頼らざるを得ないのが現状であるという。そこまでしてこの湖でのヒメマスにこだわる理由は何なのであろう。これまでの長い移植事業の歴史に腰掛ける事無く、今一度考え直す時期ではないだろうか。


 また外来魚の釣りで地域の活性化を図ればよいという意見も少なくない。つまり既に定着した外来魚の有効利用ということであろう。が、これも一部の人間のみの利益追求型の考え方であり、疑問の多いダム開発や河川改修などと同義であると言える。自ら「外来魚よりも環境の悪化こそ問題」としておきながらこのような意見を発するという行為には多くの矛盾を含んでいるとしか言いようがない。こうした的はずれな意見によってブラックバスのような、なし崩し的容認という事態を招くことにもなりかねない。
 これら一連の発言は理解に苦しいものが多く、問題の先送りになるだけで何ら問題の解決につながるものではないように思う。

 2001年7月道南の大沼において道内では初めてブラックバスが確認(注2)され、2002年のスポーニング期(産卵期)前に発破による駆除を行政が検討している旨の新聞報道が2002年1月13日にあった。その方法論は別にして駆除そのものを反対する声はほとんど聞こえてこない。また釣り雑誌のアンケートなどを見ても、道内の釣り師からは歓迎されるものではないようだ。だがこれはこれまで道内には生息していなかったこの魚の釣りが浸透していないというだけで、釣り師の間で十分な理解がされているとは考え難い。
 それは駆除の対象がブラックバスからブラウントラウトに変わったとたん反対している者が多いことからもうかがえる。そこまで釣り師の対象魚への想いは盲目なのか。この時ブラウントラウトを擁護する者の意見は、自らの否定していたブラックバスを擁護する者の論法とほぼ同じ内容である。これは認識の低さ以外の何ものでもない。
 そうした中で彼らの主張は魚種別の対応というものであるが、ブラウントラウトの習性を考えればその驚異は、ブラックバスと同等かそれ以上であることは明らかだ。結局はブラウントラウトの問題もこれまで盛んに行われてきたブラックバス論争と同じ図式なのである。
 北海道は釣り師の間で度々「トラウト天国」などと称されることがある。これは北海道がこれまで多くの鱒族(サケ科魚類)を育み、釣りの対象として楽しまれてきたところからくるものであろうが、ブラウントラウトもまた鱒族であるというだけで何の裏付けも無いまま受け入れられ、容認されてきてしまったのではないだろうか。

 以下は私見であるがブラウントラウトに限らずこうした外来魚の存在に私は違和感を覚える。だが駆除をして根絶を図るのは現実的に難しい水域もあるのかもしれない。そうなれば共存への模索が必要となる。的はずれな意見を述べ問題の先送りをさせているのでは将来的にこうした議論は泥沼化し、その解決そのものが現実的では無くなってしまう。また、ブラックバスのようななし崩し的に許されてしまっているかのような事態をも招くことになる。
 あくまでもこうした論争の収束を前提とした上で私が考える方策は、「外来魚の徹底した駆除」或いは「徹底した管理の基に行う、水系毎のゾーニングによる棲み分け」だ。あくまでも前者を追求するものであるが、それが不可能な水域でこれ以上の拡散の可能性が無く、行政や漁協などによる徹底した管理が実現可能な水系などは後者で、というものである。そして今後の新たな分布拡大は一つの例外もなく許してはならない。だがこれは2派に別れている人間側の都合に合わせた折衷案としてのみ機能し、甚だ自然を無視したものであり、新しく何かをつくり出すという行為からは大きくかけ離れたものであることを忘れてはならない。またいずれの場合も在来生態系の復元を図るため、外来魚による影響を調査するために一時的または恒久的な全面禁漁をすることも必要となろう。これらは外来魚の存在の有無によって生じる特定の人間の利害は考えてはならない。ここに利害が絡めば問題は再び振り出しに戻ってしまうだろう。
 だがこの考え方の前にもブラウントラウトという魚は立ちはだかる。それは前述したシートラウトの存在を考えれば明らかなものだ。降海するすべての個体それぞれまでをも管理するのは不可能である。降海してしまえば最後、その遡上する河川は魚に聞いてみるしかない。これはブラックバス以上に厄介な存在だと言えるだろう。つまりその驚異は現在の生息水系のみならず近隣の水系にもおよぶ可能性があるということで、既生息水系における在来種の減少自体は問題全体の一部であるに過ぎない。即ち我々がとりうる方策は「徹底した駆除」しかないのかもしれない。
 既にブラウントラウトの勢力の大きな水系で、こうした考え方の基に駆除が実施された場合、もしかすると魚棲まずの川となる場所もあるかもしれない。そうなった場合に我々釣り師はその状況から目を反らすことなく、真摯に受け止め賢明なる認識を保持していく必要があるだろう。何しろ問題は釣り師らの放流によって引き起こされているのだから。

 最近はこうした問題を積極的に取り上げる釣り雑誌なども増えてきている。だがそこで述べられているのは事実とそれに巧みに絡みついた、著しく釣り師の側に偏った見解ばかりだ。それは釣り雑誌なのだから当然なのかもしれないが、得てして読者はその記述に大きく影響される。釣り師の動向によって雑誌の販売部数にも影響が出るだろうし、釣り業界全体の利益にも影響するだろう。そう考えると自らの利潤のために都合の良い形の情報を流しているようにしか見えない。このように偏った情報が溢れる中にあって読者が事実だけを拾い上げ、各々学び、考えてそれぞれの賢明なる判断へとつなげていくことは簡単では無いのかもしれない。釣りに限ったことではないが、メディアは弁論の自由と称して世論の操作をしようとしているようにさえ感じる。だが釣りは自然がなければ成立しない行為なのだから、業界はそのあたりを考えてもっと賢明であるべきだ。外来魚問題に関して言わせて貰えば、多くの場合業界は「環境の悪化」を楯に問題の置き換えをしているだけだ。何しろ外来魚の存在の有無によって大きく影響されるのは業界に他ならないのだ。
 かつてある釣具店で「外来魚に在来種が淘汰されたり、乱獲で魚がいなくなったら放流すればいい。」と、当然のように言われたことがある。その店頭にはキャッチ・アンド・リリースを啓蒙するポスターが貼られていた。私はこれが釣り業界の主流の考え方なのだと感じる。彼らは商品さえ売れるならその対象魚や釣り方、釣り場環境は問題にしていないのではないか。さらに自らの商売のために釣り師のセンチメンタリズムまでをも利用してはいないか。このままでは自然下における釣り場の釣り堀化を招きかねない。
 他にも巷で囁かれるブラックバスの密放流による分布域拡大の業界の関与について、真相は定かではないが少なくともそういった行為への影響は否定できないのではないか。何とも情けない話だ。

 私自身釣り師としての考えはこうだ。「もし問題の解決に釣り師の存在が邪魔となるのであれば、私が釣りをやめて問題が解決するものなら、私は喜んで竿を置こう。」
 私も釣り師の一人として、「釣り師によってもたらされた問題は、釣り師によって解決へと導きたい。」と、考えている。果たしてあなたはこれを単なる私の独り善がりとして聞き流せるだろうか。



(注1)最近の調査では宗谷を除13支庁管内42水系に生息を拡大しているようである。(北海道栽培漁業振興公社発行 「育てる漁業」No.336 2001年5月1日より)


(注2)ブラックバスに関する記述は、テキスト作成時のものです。ご了承下さい。


北海道におけるバス問題の詳細はこちらをご覧下さい。