2002年 7月12日
2008年12月25日
修正・加筆

公認釣り場造成のための「100万人署名運動」とは?



 2000年年9月10日〜同年12月末日までの予定で、日本最大の釣り団体である”財団法人 日本釣振興会”(以下、日釣振)が主体となり、ブラックバスの公認釣り場の増設を目指して署名運動を実施した。

 これは既に日釣振によって発表されていた「釣り人宣言」や「釣り界の主張」などでも謳われていた「公認釣り場をふやす運動」の一環であり、具体的には100万人の署名を集め、日釣振の各支部を通じ都道府県知事等に公認バス釣り場の増設の要請をしていくというものだ。またその文言からは、当時まだバスが未確認だった北海道も視野に入っていたことがうかがえる。

 たしかに署名運動は、多数を集めることで議会や行政の意志決定に影響を与え、特定の意見や主張を反映させようとする上で有効な手段となろう。だが、本件は釣りに関わる問題であり、釣りという行為の活動の場は自然である。人間社会におけるこうした運動やその影響を受けるかもしれぬ議会や行政の判断が、どれほど釣り場となる自然への配慮をしているというのだろうか。私にはあたかも山を切り崩して行われるテーマパークの造成を求める署名運動のようにも感じられてしまい、嫌悪感を抱かずにはいられなかった。

 当時既にブラックバスによる深刻な影響が全国から報告され、重大な問題だと認識されつつあったと思う。しかしながら日釣振をはじめとするバス釣り業界・団体そしてバス釣り人(以下、バサー)らは、バスによる悪影響がないという証明をすることもせず、日釣振らによって300万人超と伝えられるバス釣り人口にものを言わせ、署名運動によって政治的な決着をつけようとしたものであり、そこには我が国の環境への配慮はなく、釣り場となる自然というものの存在を甚だしく無視した行為であると考えざるを得ない。

 さて、ここでいう「公認釣り場」とはブラックバスが漁業権魚種として認可されている釣り場のことで、最初にバスが移殖された神奈川県の芦ノ湖のほか、山梨県の河口湖、山中湖、西湖の4カ所がある。しかしながらこれらの湖の中には、ブラックバスの定着によりワカサギなどが不漁となったため、やむなく認可されたという経緯を持つ場所もある。またその原因は「密放流」と考えられており、その移植には何ら必然性はなく、社会的な合意も経ていない。署名運動を行った日釣振らはこうした状況をどのように考えていたのだろうか。

 「公認バス釣り場の増設」が現実のものとなっていたとしたら、その場所はどのように選定し、それ以外の場所に生息しているバスについてはどのように考えていたのだろう。現在、既にバスが免許されている公認釣り場4湖以外の水体においてもバス釣りは公然と行われているし、バス釣りを扱う雑誌などでも堂々と紹介されている。外来生物法が制定された現在でも、バス釣り自体は法的に規制の対象にはなっておらず、ゆえに非公認の釣り場でバスを釣ることに罪の意識を抱くバサーもいないだろう。

 もし公認バス釣り場を増設させるならば、当然非公認の水域におけるブラックバスの根絶は必須でなければならない。そうでなければ新たに公認する意味はなく、現状のまま公認釣り場を増やせば状況はさらに悪化するであろうことは、これまでのブラックバスの急速な分布拡大がもの語っている。しかしながら日釣振らからはその点についての具体的な考えは示されていない。

 もしかすると「公認バス釣り場の増設」とは、バス釣り場をそこに集約し、それ以外の場所ではバスを一掃することではなく、現状のまま公認の釣り場を増やした上で、非公認の釣り場でもバス釣りを持続させ、よりバス釣りがやりやすい状況をつくることがねらいだったのではないか。

 こうした我々の懸念をよそに驚くほどあっという間に100万人に達した署名の結果は、日釣振などのホームページ内でも2001年3月15日現在で「1,079,409名(他に北海道地区支部が6,531名独自署名)」と発表され、2001年3月水産庁長官・次長に提出された。

 100万人を超えるその数は、確かに大きなものだろう。が、当時のバサーら個人のウェブサイトなどでも署名が呼びかけられ、より多くの署名提出に貢献することがあたかもバサーとしてのステータスであるかのような発言も見られ、その中には判断力に乏しい子供たちにによるとみられるものも多く、「家族の名前でも出した」というような記述のあるものも散見された。また、日釣振の会員となっている釣具店などにノルマを課すようなカタチで、半ば強引に集められた署名もあったらしい。そうしたところからこのうちいったいどの程度の人が、純粋に運動の意図を理解し賛同したのかは甚だ疑問に感じる。

 日釣振主導で行われたこの運動には、当然の事ながら北海道地区支部も無関係ではなく、地区別の内訳を見ると、北海道からは2,561名の署名が集められている。またこれとは別に提出されたとみられる、「北海道地区支部が6,531名独自署名」とは何か。あえてこの数を独自署名としたことには、いったいどのような意図があったのだろう。

 全体から見ると少数ではあるものの、当時まだブラックバスが確認されておらず、バス釣り場が存在していなかった北海道としては、思いのほか多くの人々が道内でバスを釣ることに積極的、もしくはそれによる経済効果を期待していたことがうかがえる。また署名は「公認釣り場の設定」を求めたものであるから、北海道においてそれをつくることは初めから公認を受けたカタチでバスを移殖することとなり、バス移植の経緯も含めて、北海道におけるバスの存在とその釣りの正当性を、より完全なものにしたいねらいもあったのではないか。国内では比較的豊かな自然が多く残されている北海道でそれが実現されれば、そこは全国的にも希有なバス・フィッシングの楽園となる───署名をした北海道の釣り人の中には、そんな理想を思い抱いた者もいたのではないか。

 当時ブラックバスの釣りは全国的なブームであり、釣り雑誌やテレビなどでも盛んにバス釣りが紹介された。そこで伝えられるバス釣りの楽しさは、それを体験する場を持たぬ北海道の釣り人にとって垂涎の的ともなり、中にはバス釣りのためにわざわざ本州へと出向いた者もあっただろう。そうした地域的特性が、他でもない北海道へのバス釣り場造成への願いとなり、それが独自署名というカタチにもなっていったのではないか。

 署名者の重複はあるかもしれないが、北海道からは二つの署名を合わせても1万人足らずで、全体から見ると決して多くはない。道内での署名運動はいったいどのような規模と形態で行われていたのだろうか。

 署名運動を目前にした2000年6月16日に発売された雑誌「North Angler's(ノース・アングラーズ)」(以下、NA誌)Vol.9では、次号用としてブラックバスに関する読者アンケートを募集した。私はこれを、バス釣り空白地である北海道の釣り人の意識調査をしたのではないかと見ている。時期的にもタイミングが良すぎるばかりでなく、北海道の釣りを扱う雑誌で道内に釣り場のないブラックバスについてのアンケートを行うことに、他にはどのような意義を見出せるだろうか。しかもNA誌を発行する「つり人社」は、署名運動を実施した日釣振の法人会員でもある。

 次号(Vol.10/2000年9月18日発売)に掲載されたアンケートの結果を見ると、「(道外で)ブラックバスを釣ってみたい」と考えている回答者は少なくなかったものの、バスの「北海道への移殖」には「反対」、「どちらかといえば反対」という回答が、「97%」と大勢を占めていた。

 実は私自身、この署名運動に関する道内での具体的な活動を知らなかった。おそらく日釣振らはこうしたアンケートなど結果から、北海道での署名への協力の呼びかけを、本州以南のそれに比べて規模の小さなものにせざるを得なかったのではないか。

 もしアンケートの結果などで、ブラックバスを北海道に移殖することを「容認」するという意見が多数を占めるものであったならば、日釣振らは大々的に署名運動への協力を呼びかけたのではないだろうか。

 さて、この署名が提出された2001年は、7月に第19回・参議院議員通常選挙を控えていた。この100万人を超える署名や、300万人超と言われていたバス釣り人口を大きな票田として期待したのか、政党をあげて積極的に公認バス釣り場づくりに尽力するという候補者も現れ、釣り業界などでもこれを後援する動きがみられた。また日釣振会長を務める国会議員が、外来魚を擁護する発言などをしたこともあった。

 こうして政治家らは釣り団体、業界などを体の良い支持母体として確保し、日釣振らもまたより大きな政治的な力を利用できるようになった、というところか。政治家らが支持者のために奔走することはある意味において当然のことなのだろう。だが、釣り場をはじめとする自然環境や、そこに棲む様々な生き物の実情について、彼らはいったいどの程度理解し、どうすべきだと考えているのだろうか。これまでの彼らの言動は、支持者の利益を守るためには自然環境の改変もやむなしともとれる。これらは自然環境の破壊をともなう公共事業などの背景にみられる、代議士と地元ゼネコンらの関係などと何ら変わらぬ構図であり、環境の悪化を憂慮する釣り人ばかりではなく、すべての善良な国民が嫌悪するものだろう。

 たしかに署名運動や政治家の後援をすることなどは、特定の民意を反映させるうえで有効な手段となろう。だが釣りに関わる者が主体となるそうした運動で、必ずしもそれが在来の自然に配慮されたものではなかったとしたならば、それは釣り人自身が自らの活動の場を荒廃させることにならないか。

 私はこう考えている───「釣りという行為は釣り場の風土とともに、その土地で形作られ、育まれたあらゆる生命を感じながら楽しむものである。」と。釣りを文化だと位置づける人もあるが、元々その土地の風土とは縁のない魚を放流してまで釣るという行為は、果たして文化たり得る行為なのだろうか。こうした運動の結果釣り場がつくられることになったとして、それはブラックバスの釣り堀ではないのか。運動を主導した日釣振らは、今一度自らの振興している釣りについて考え、その活動の場である釣り場───すなわち自然というものを見つめ直すべきではないだろうか。

 この署名が提出されてから約4ヶ月後、とうとう北海道でもブラックバスが確認された。果たして───これは単なる偶然だったのだろうか。