2002年 7月12日
2008年12月25日加筆・修正
釣り人である私には賛同できない「釣り人宣言」とは?
1999年11月、日本最大の釣り関連団体「財団法人 日本釣振興会(以下、日釣振)」の部内の委員会として「ブラックバス等対策検討委員会」が設立された。この委員会はその後の活動内容から、主にブラックバスの公認釣り場増設を目指すために設けられた委員会と言っていいだろう。 私は初めてこの委員会名を目にした時、てっきり「”如何にしてバスの駆除、根絶をはかり、在来生態系を保全していくか”について検討する委員会なのだろう」と感覚的に思ったものだ。が、その期待は大きく裏切られることとなった。 設立から2ヶ月後の2000年1月に当該委員会名義で発表されたのが、以下の「釣り人宣言」である。 |
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宣言にある「私達」とは、いったい誰を指してのものか。私自身「釣り人」の一人であると考えているが、これにはとうてい賛同できるものではない。「釣り人宣言」とはいうものの、文言を見る限りではどうやらバス釣りしか視野に入っていないことがうかがえる。もっとも「ブラックバス等対策検討委員会」として発表した宣言であるから、それも当然といえば当然といったところか。 私は「釣り人宣言」という題目に、あたかも全ての釣り人がブラックバスを欲しているかのような印象を与えかねないものであり、またそれには意図的なねらいがあったのではないか、と感じている。世間一般に対しそうした印象を持たせることは、このあとにつづく公認バス釣り場を求める運動などをやりやすくするため、これに都合の良い世論を形成しやすくするために必要なことだったのではないか。 内容にある「不法放流をしない」ことなどは釣り人としてより先に、人としてあまりに当然すぎることだが、「自然水域を守るため」に「不法放流をしない」ということは、ブラックバスによる影響について承知しているものと理解していいだろう。だがこれ以降もバサーらは「バスが悪影響を与える証拠はない」とか「環境さえ良ければ共存できる」などといった擁護論を展開している。こうした矛盾は誰の目にも明らかなものだろう。 また、北海道における一連のブラックバスの確認は、すべてこの宣言が出された以降に発生した事案である。これに対しては日釣振の北海道地区支部が「釣りによるバスの利用はせず、放流もしない」との方針を既に打ち出しているが、北海道におけるバスの「密放流の可能性」についてはどのように考えているのだろうか。 もし何らかの根拠をもって「釣り人らの関与」が否定できないとしたならば、それは宣言の実効性を根底から揺るがすものである。本来であれば宣言を発表した日釣振が、これらについての反論なり自己弁護などを自主的に発言するべきだったと思うが、そうしたものの存在を私は知らない。 釣り人宣言という題目から、日釣振が釣り人の代表を自認していることがうかがえるが、もしそうであるとしたならばこれらに対して無関係を装うことは、当然無責任以外のなにものでもない。もし、宣言にある「私達」以外の何者か、自分たちとは無関係などこかの不心得者の仕業だとして知らぬ存ぜぬの姿勢であるのならば、それは言語道断な振る舞いである。 果たして───これらについての「けじめ」がつけられぬまま公認釣り場を増やしたならば、いったいどのようなことになるのだろう。その後の状況については誰にでも容易に想像できるのではないか。何しろ自ら発した宣言が守られていないばかりか、それに対して何ら釈明をすることもなく、その後も継続してバスを擁護する発言を繰り返し、強硬的なまでにブラックバスの公認釣り場の拡大を求めている者たちを、いったい誰が信用できようか。 この宣言は当時、日釣振のホームページ内で閲覧することができたが今はもうない。ようやく自らの矛盾に気がつき、都合が悪くなったので削除したというところか。 ところが日釣振が発行する機関誌「日釣振だより No.35」2003年11月号の表紙には「”新 釣り人宣言”ができました」として、以下のような宣言が改めて紹介された。 |
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新しい「釣り人宣言」は、前宣言を発表した「ブラックバス等対策検討委員会」(2001年3月に名称を変更し、この時点ですでに「外来魚対策検討委員会」となっていた)として発表されたのではなく、釣りマナー向上活動の一環として発せられたらしいことが、日釣振のホームページからうかがえる。 また「社団法人 全日本釣り団体協議会」との連名になっているが、こちらも日釣振と共に公認ブラックバス釣り場の設定を求めるなど、バス釣りを発展させるべく精力的に活動してきた団体のひとつである。 まずはブラックバス一色であった前宣言とはずいぶん印象が変わったと驚かされる。この新宣言が純粋に「日本の豊かな自然を守り、釣り人としての責任を果たしていく」ための宣言であるならば、まぁ良いだろう。だがしかし前宣言は著しくバス釣りに偏向したものであった訳だし、同じ団体が発表したこれに続く同名のこの宣言を、ブラックバスなどの外来魚というフィルターを通して見ることは決して的外れではないだろう。そうした目でこの新宣言を見たならば、私にはどうしても「マナー問題へのすり替え」を意図したものではないかとの疑念を抱かずにはいられない。 ブラックバスの釣りを扱った雑誌などを見ると、釣り場でのゴミのポイ捨てや不法駐車、バスボートでの暴走行為などを指して「マナーが悪いからバサーは嫌われ、ブラックバス釣りが認められない。マナーを守って自然に優しい釣り人になろう。」といった意味合いの記事も散見される。 マナーが守られないことは確かに大きな問題だが、問題の本質はこうした釣り人のマナーではない。ブラックバスは魚食性が強く大食漢で旺盛な繁殖力を持つため、我が国の在来の自然のバランスを大きく崩して増えすぎるという生態的側面と、いつの間にか全国に生息しているという無秩序な生息域の拡大にこそ問題があるのだ。彼らの言うマナーの問題は、あくまでそれらを釣りに来る釣り人によってもたらされた二次的な産物にすぎない。 こうした「マナー問題へのすり替え」はバス釣りを振興し、問題のある啓蒙活動をするバスプロらが、自らの意見を主張する際の「常套手段」でもある。だがそうした彼らの主張は妄信的なバサーらに強く支持されている。 そしてまたこうした意見の片隅には「違法放流はやめましょう」とか「キャッチ・アンド・リリースをしよう」と付け加えることも忘れてはいない。違法放流をしないことなどはあまりにも当然の事だが、現在も生息域を拡大しつつあるブラックバスについてどう考えているのだろうか。またバサーらによって「自然に優しい」と考えられているフシのある「キャッチ・アンド・リリース」だが、果たしてそうか。 たしかに「日本の豊かな自然を守る」ことは重要だ。だがこの宣言事項さえ守っていれば「日本の豊かな自然を守る」ことができるのであろうか。失われた環境を取り戻すことができるのだろうか。「日本の豊かな自然を守る」のであるならば、全国に拡散してしまったブラックバスを根絶もしくは抑制するための活動は必要なことではないか。そうなればこの魚のキャッチ・アンド・リリースのあり方についても、バサーら自身によって再考されるべきであろう。 当初の宣言からわずか4年足らずで全面的に内容を改め、前宣言についてはその痕跡すら残していない。そんな簡単に撤回されるような宣言とはいったいどういうものか。改めて別の宣言を発表するならば、その必然性、正当性についての充分なアナウンスは、部外に対しても必要なものではないのか。 こうした新宣言発表は、前宣言の発表以降に交わされた様々な議論や外来魚をめぐる世論などを考えたとき、ブラックバス釣りに著しく偏向した前宣言は都合も悪かったであろうし、当時バス擁護派側にとって旗色のあまり良くなかったブラックバス論争の局面の転換をはかりたい目的もあったのではないか。 新宣言発表当時の日釣振らのブラックバスに係る活動やその前後関係など考えず、外来魚というファクターを無視することができるのならば、そこそこにまっとうな宣言にもとることができる。だが宣言中にある「釣り人としての責任」というのであるならば、無秩序に、もしくは違法に放流されたような魚は釣りの対象とはせず、ブラックバスの場合ならばせめて公認釣り場以外では釣りをしないという姿勢も、責任の果たし方のひとつではないだろうか。 現在も日釣振はブラックバスを擁護し、その釣りの発展を目指すための活動を継続している。 |