関西廣済堂出版 東日本支社 『LURE FREAK』 1996年9月号 より

筆=LF誌編集長 道下 裕


平成の魔女狩りの行方や何処


再燃する世論

 これまで「釣り」とは無縁と思われた媒体にさえも、バスフィッシングを筆頭にこの二文字が躍ることは珍しくなくなった。併せてわれわれ業界人ですら、もはやその全てを挙げることは難しいであろうと思われるほどの専門誌が次々に創刊されている。
 この現象だけをみると、潜在的なものも含めて釣り人口が急激に増加していることは明らか───つまりはこれら媒体の消費能力が拡大しているといえる。楽観的な見方をするとそれだけ「釣り」が大衆文化として認知されようとしている、といえないこともないのだが、果たして本当にそうなのだろうか・・・・・・。
 前述した「釣り」という単語はそのまま「バスフィッシング」に置き換えることができるといっていい。もちろん、フライフィシングなども流行しているらしいのだが、それにしてもバスフィッシング人口の増加は突出している。若者向け商業媒体の多くが、バスフィッシングを「流行(トレンド)」や「カッコ良さ(ファッション)」の対象としてプロモーションしているのだから、それに敏感な彼らが注目するのは無理からぬ話なのだが、ある種の社会現象ともいえるほどのブームを支えているのが彼らであり、バスという魚ならばこの行方は興味深く、また気がかりなところでもある。
 ところでバスフィッシングのブームを助長する傾向とは裏腹に、これに苦言を呈する報道も少なくないことにお気付きだろうか。ともすれば、かつて記憶にないほどのブームのなかで「害魚」というレッテルを貼られ続けてきたバスという魚が社会的に「認知」されてきたかのような錯覚を覚えるが、現実はそれほど甘くはないということなのだろう。
 さて、そんな辛口の記事、報道のなかでも月刊 ヴューズ6月号(講談社刊)誌上に掲載された「『バス釣り礼賛』に重大疑義あり!」という記事は特に興味深く拝見させていただいた。業界の内外を問わず話題に上る機会の多かったようなので、読者諸兄のなかにも目にされた方がおられるに違いないが、一般の方々が釣り、あるいは釣り人をどのようにみているかを推し量るひとつの試料として改めてこれについて考えてみたい。
 なお、以降の内容が単に同誌の記事を揶揄するためのものではないことを予めお断りしておきたい。確かに私からみても記事自体の論点が定まらず、検証不足のためかいくつかの矛盾点も見受けられる。が、なかには耳の痛い話もないことはない。ここでは本誌が持っている情報を加味しつつ自省すべき点を抽出し、さらには一般の方々の釣りに対する理解を深めるにはいかにすべきかを模索できればと思う。



興味深い内容

 それでははじめに、かかるの記事について見出しの展開順に内容を大まかに整理してみよう。
@中禅寺湖のスモールマウスバスに関する内容
 場面は深夜中禅寺湖組合長宅へ「スモールマウスバス」を移植したとする人物(個人)に関する匿名の電話(つまりタレ込み)から始まる。電話の内容を鵜呑みにしないながらも、当時、同湖にてスモールマウスバスが確認されて問題視されていたのは現実で、それがともすれば同湖の鱒族養殖事業に打撃を与える可能性があることが懸念されていた。早速、地曳き網などでの撲滅作戦を展開し、ワカサギやヒメマスを捕食した13尾のスモールマウスバスを捕獲する。
 その後同漁協が野尻湖(長野県)か檜原湖(福島県)から移植された可能性が高いと推測し、調査を重ねる。結果、檜原湖のペンション経営者から中禅寺湖への関与は特定しないながらも「種魚」の採取らしき目撃情報を入手。
 移植目的はバスフィッシングのフィールドを増やすためのもので、犯人はそれによって利益を得る釣り具メーカー、釣具店、貸しボート業、バス釣り大会での賞金稼ぎを仕事としているバスプロ、およびバス釣りマニアなど「バス釣り業界」の中に潜んでいるに違いないと結ぶ。

A昨年、河口湖で開催された「ジャパン・スーパー・バス・クラシック」に関する内容
 河口湖が芸能人や文化人がバス釣りに訪れる場所であり、TVや雑誌で取り上げられてブームの発火点となった。
 さらに昨年、同湖を舞台に開催された「ジャパン・スーパー・バス・クラシック」はスタッフや観客を含めて約2万人を動員した(関連する団体・企業名、および参加した芸能人の個人名を明記)。
 バス釣りをはじめとするルアーフィッシングが合理性やスポーツ性の高さから欧米で発展した後、日本で流行りだした。その際「キャッチ・アンド・リリース」とセットで導入されたため、「生き物を殺さないオシャレなスポーツ」というイメージができあがり、女性や若者に支持されるようになった。

B「広告塔」としての役割を担った芸能人に関する内容
 バス釣りブームがここまで拡大したのは「広告塔」としての役割を果たした芸能人の存在がある(個人名、さらに執筆に関連する雑誌名を明記)。
 さらに彼らの執筆内容、発言を記載し、その影響力の自覚を促す。

Cバス釣りが抱えている問題に関する内容
 琵琶湖でバスが発見されて以来の漁師の苦悩、同湖の生態系の変遷、琵琶湖博物館の学芸員の言葉で紹介。漁や生態系への影響を憂慮し、バスの排除に苦心していることを語る
 一方、バスを買い上げて放流している河口湖で同魚が「魚種認定」されるまでの流れを検証。「ギャング放流→魚種認定」の流れを認めていくと、ギャング放流自体を容認することになりかねないと警鐘を鳴らす。

Dバス釣り業界の開き直りに関する内容
 雑誌名や執筆者を明記し、それぞれの記事の論調に苦言を呈する。
 さらにバス釣り業界はブームを無責任にあおりたてるばかりで、ギャング放流への実効性のある防止策や有効なバス駆除対策など、自己管理のルール作りについては具体的な行動を行わず「居るんだから仕方がない。それならば楽しんで有効活用しようよ」と開き直る、と手厳しく結ぶ。

E日本人は自然の楽しみ方を知らないとする内容
 著名な作家の言葉により「現在、バス釣りを楽しんでいる青少年たちに必要なのは、自然に対して確かな知識と愛情を持つように教育をほどこすこと」、その必須課題としてバス以外の、日本の在来魚にも関心を持ち、さらには釣り以外にも興味を持つことを挙げる。
 影響力のある人は行動や発言に気をつける必要があり、ブームが去った後のことまで考えて欲しいと結ぶ。

<以上、月刊ヴューズ誌6月号カラー9P分の内容を要約>



補足と考察

 かなり乱暴に要約してみたが、読者諸兄はどのような感想をお持ちになられただろうか。できればぜひバックナンバーを購入して原文を一読いただきたいと思う。それは要約の過程で筆者が主張したい内容が歪曲してしまう危険を伴っているからである。論調への賛否以前に、筆者が意図することをまず理解すべきだろう。
 さて、幸か不幸か記事中で名指しされた企業や団体、雑誌、個人のなかには本誌は含まれていない。だが、本誌とてかかる記事が指摘するようにバス釣り関連の記事の末尾に「むやみなギャング放流は慎みましょう」という一文を免罪符として付け加えることを忘れない姑息な釣り雑誌であることを否定しないし、紛れもなく「釣り業界の一員」である。その立場で補足として述べさせていただきたい。
 まず、冒頭の中禅寺湖のスモールマウスバスに関する件だが、昨年、同湖で捕獲作戦が行われた際に本誌が同行取材した状況と一致している(本誌No.8に掲載)。そのときに確認した「炎症のないハリ傷」、捕獲されたスモールマウスバスのアベレージサイズなどの状況証拠から「檜原湖から移植された可能性が高い」と考えていたこともあり、このあたりの記述にはほぼ納得している。
 だが、「釣り道具販売業を営みながら、釣り雑誌に記事を書いている釣り業界人そのもの」が移植に手を染めたという記述に関しては、もう少し慎重性を期す必要性を感じる。実は本誌でも昨年初夏の段階でこの個人に関する情報を入手していた。が、この個人が販売しているタックルのほとんどがバス関連ではないこと、情報の根拠が不明確であるため「ガセネタ」として処理している。ことバスの移植については釣具店の関与が取りざたされるケースが多いようだが、ショップ同士の軋轢によるリークも少なくないと聞いているからである。
 確かにこのような話の展開になればスキャンダラスで面白味も増すのだろうが、匿名の電話の信憑性を考慮すれば軽率といわれても仕方ないだろう。個人名を挙げてはいないとはいいながらも、少なくとも「業界人」が読めば個人を特定できることも考えなければいけない。
 決してこの文章がバスに対して軽い冷やかしで書かれているのではないと思われるからこそ、ワイドショー的なウケ狙いはしてほしくなかった。釣り業界、特に末端の小売店に至ってはそれほどボロい商売ではない。ひとつの活字が、時に彼らの生活にダメージを与えることも忘れてはならないだろう。
 ちなみに記事が掲載された雑誌が発売されてから、その影響が気になった本誌は本人にコンタクトをとった。記事のコピーを見せて感想を求めたところ
「移植行為に関しては完全に否定できる。しかし、敢えてこれに反論するつもりはない。」
と完全黙殺の構えを見せた。つまり押し問答に無駄な時間は割けないということのようだ。噂ではその後、TVの取材などが入っているようだが・・・・・・。
 しかし残念ながら、スモールマウスバスを移植したのが「バス釣り業界人」であることは完全に否定できない。いや、むしろその可能性は高いかもしれない。
 が、その場合の「業界人」という定義は、明らかに営利目的でバス釣りに関わる人間とするべきだろう。仮に一般のアングラーが移植行為を行ったとしても、少なくとも彼らには業界人としての意識はないはずである。また例外はあるが、バスプロにしてもほとんどが本業を持っており、少なくとも「賞金稼ぎを仕事にしている」と断言できる人を少なくとも国内においては私は知らない。
 敢えて「業界人」という定義をし、それに対して苦言を呈したいのならば、釣具の製造や販売、あるいは関連するサービス業、雑誌社などを対象とすべきであって一般消費者を含めるべきではないと思う。かかる記事の終わりに書いてある通り、釣りをする人間に教育を施すことが必要であるとするならば、業界がその責任において一端を担う義務があることは否定しない。だが、それは釣り人に業界人としての自覚を植え付けるものではないはずなのである。このような定義づけは、例えるならTVの視聴者はみんな放送業界人である、といっているのと大差ないのではなかろうか。業界の責任と啓蒙活動、ユーザーのマナーやモラルは表裏一体が望ましいが、基本的には別のものだろう。この関係はなにも釣りの世界に限ったことではないはずだ。
 それから芸能人に代表される著名人の言動に関する件だが、これに関しては本誌の読者からもいろいろな意見が寄せられている。TVの取り上げ方に関しては以外に否定的なものも少なくない。それはこのブーム以前からこの釣りをしている人たちが、決してバス釣りをファッションやトレンドとして捉えていないことによるものと思われる。考え方に問題がないこともないが「楽しいだけをアピールして、これ以上ファンが増えても釣り場がない」という心配の声も多い。
 著名人がこのブームに影響したことは紛れもない事実だと思う。が、それは著名人自身やそのライフスタイルに関心を持っていた人々にこそ大きく影響したのではないだろうか。少なくとも本誌に寄せられるお便りは「あの人も釣りをするのか・・・・・・」程度の認識であることが多いのも事実。しかし、かつての「害魚論争」を知らない人々に影響する存在であるからこそ、慎重な発言が求められることは仕方のないことだろう。これもある種の有名税といったところか・・・・・・。



ブームの行く末

 懸案の記事に対する反応は業界内でもさまざまだ。しかし、全てとはいかないまでも肯定的な発言を耳にすることも少なくないし、本誌でもこの記事に賛同する部分を見いだしている。
 ただ残念に思うのはスペースの都合もあったのだろうが、やや「焦点ボケ」の感が否めないことである。仮に本誌でこのテーマを取り上げるとするならば

@スモールマウスバスの移植に関する件
A未だ結論が出ないラージマウスバスの存在(害魚論を含む)に関する件
B賞金をかけたバストーナメントに関する件
Cブームを助長したと思われる著名人に関する件
Dバス釣りで利益を得る「業界」の責任とモラルに関する件
Eほか


というように、細分化して考えるだろう。それは各々がリンクしているように見えて、その実は独立した問題であると思われるからだ。
 それからこの内容の大筋(いたずらにブームを煽るべきではないという考え方、移植の否定という点に関して)を支持する理由として挙げられるのは、本文に写真を提供している秋月氏の考え方に対し、個人的に共鳴する点を見いだしているからでもある。
 実は以前、中禅寺湖でスモールマウスバスが発見されたあたりに氏とかかるバス問題についてお話をする機会を得た。
「ラージマウスバスについては『すでにそこに生息しているし、事実上それを駆除することは不可能なのだから仕方がない』という理屈と既成事実で認知させようとする動きがある。スモールマウスバスに関しても、まさにそれを行おうとしているのではないか。同じバスであるが、ラージマウスバスとスモールマウスバスはその性格が異なる。冷水域での適応能力を持ったスモールマウスバスに関しては日本の在来渓流魚に及ぼす影響は大きいことが予想される。現にそれは海外の湖でも例がある。それだけは避けなければならない」
さらに氏は
「淘汰できないほどの繁殖力を持った魚を移植し、それを既成事実としてその魚を『認知』させようとはもってのほか。問題はバスそのものよりも、それを行おうとする人間にこそある」
と結んだ。
 氏はプロの写真家であると同時に、トラウトアングラーにとっては特別な存在といっていい奥只見湖(通称 銀山湖)の「奥只見の魚を育てる会」の会員という立場にもある。だが、氏が論じる魚に関する「生態系」は、決してトラウト可愛さのバス叩きではない。現在、銀山湖には在来のイワナのほかにニジマス、サクラマスが放流され、生息しているが、その協議の席上、氏は強固に反対したと聞く。私が氏の考えを支持する理由の根幹はそこにある。バスの存在、移植に関して否定的な論旨を持った人間は少なくない。しかし、その理由が「その魚が好きではない」というレベルにあることも多い。かかる文章が氏の考えのすべてを表現しているとはいい難いが、そこに息づく「日本固有の生態系を維持する精神」は尊重されるべきものと思う。
 釣り人の多くが「釣りは日本の大衆文化」であるという。果たしてそうか───自分が釣り人であった時分ならいざしらず、こういう仕事をしていると疑問を抱くことも多々ある。法的、行政的な面を考えると「遊魚」が配慮されているとはいい難い現実も直視すべきだろう。
 釣りを文化として後世に伝えるためには、できることなら社会的に正しく認知されることが望ましいと思う。認知という意味では、論旨がどうであれ同誌のような一般大衆にアピールする雑誌で取り上げられることは悪いことではないと考えられる。問題はその取り上げられ方が、釣り、この場合はバスフィッシングのイメージを損なうものであるとするならば、われわれが衿を正してそれを払拭する努力をするべきであろうということだ。世論がバス釣りについて否定的───と嘆く前に一般的に釣りがその程度にしか認識されていないということを自覚したい。
 ブームは必ず去る。それと同時にわれわれ業界も淘汰され、再編されるだろうと考えている。業界が担うべき役割はバス云々に関することだけではない。釣り人口の増加に伴う環境の整備、モラルやマナーに関する意識づけ、ルールの確立など課題は多い。また害魚というイメージを払拭できないバスを対象としたバスフィッシングが現在の釣りブームを支え、それを基幹として釣り文化を発展させようとするならば、社会通念上、世論が納得できるだけの配慮(移植の違法性を認識させる、さらには釣りの(バスの生息)エリアを限定するなど)をすることも必要になると思われる。
 「業界」がブームに狂奔し、目先の利益のみを追求するならば釣りが日本の文化として将来的に継承される保証はない。そのような意味でもバス論争はバス論争のみにあらず、釣り文化そのものを揺るがす課題であるといっても過言ではあるまい。
 本誌は今号で創刊3周年を迎える。これも平素より本誌をご支持いただいている読者の皆さんのおかげと感謝している。本誌ができることは限られているとは思うが、一過性のブームに流されず、釣りを文化として考え、その構築の一助になればと考えている。


 ※ 以上の掲載にあたっては、栢A済堂出版事業部の許可をいただいております。



2002年10月11日
2008年12月25日一部修正


管理者より


 以前、当サイトのBBS(掲示板)で話題にした釣り雑誌「ルアー・フリーク」の記事の全文。

 この記事は当時話題になった日光・中禅寺湖におけるスモールマウスバスの捕獲に関するもので、当時各方面において議論を呼んだ講談社発行の月刊誌「Views(ヴューズ)」1996年6月号に掲載された「『バス釣り礼賛』に重大疑義あり!」という記事に対し補足し、反論する形で、あくまでもバサー、釣り業界の立場から書かれている。

 「ルアー・フリーク」もバス釣りも扱う釣り雑誌であるがゆえ、まずバス釣りありきで書かれてはいるものの、密放流などの行為について厳しい捉え方をし、釣りの世界の内部からバサー、業界に対して警鐘を鳴らし、自省を促している。釣り業界から発信されたものとしては、業界人による密放流の可能性を前提にして書かれた唯一の記事ではないだろうか。これまで釣り業界は密放流への関与を認めておらず、密放流の存在をも否定してきたが、バス釣りブーム真っ直中であった1996年当時から、既に業界内にこうした意見もあったのである。

 ブラックバスに限らず様々な外来魚について我々釣り人が考える上で、決して避けては通れない問題を提起しているものと考え、全文を掲載した。

 なお「ルアー・フリーク」については、現在休刊中である。

 本文中に登場する雑誌記事、「『バス釣り礼賛』に重大疑義あり!」(講談社Views(ヴューズ)1996年6月号)については、生物多様性研究会のホームページ内にて閲覧可。
http://www.ne.jp/asahi/iwana-club/smoc/bass-sub09-02-g.html