お 接 待…“お四国お接待文化” ご理解の一助に。  


 “お四国”では、貴方もお接待を受けることがあります。 そんな時、自然と手が合わさり合掌している自分に気付くこともあります。 お接待する人もお接待される人も共にお大師様なのです。

  究極のお接待は「行き倒れ遍路」の埋葬です。

 昔も今も、多くのお遍路さん達が四国の地 を訪れます。 そんなお遍路さんの中には江戸時代から戦前にかけて、不治の病に罹り、お大師様の功徳にすがろうとして巡り続けていたお遍路(病い遍路といいます)も多くいました。 記録によると、嘉永4年(1851)国府の早渕地区(現、徳島市国府町早渕)では22名の行き倒れがあり、村人達は捨往来手形に基づき埋葬しました。
 客観的に考えてみます。 行き倒れたお遍路は、村人にとっては全く無縁の他人であって、しかも業病に罹っていた死骸を埋葬することなど、誰だって嫌で関わり合いたくもありません。 地域にとっても大きな迷惑であり、災いです。  しかしながら、長い年月にわたって私達のご先祖はお大師様への功徳として続けてこられたのです。 そして、難渋しているお遍路さんに乏しい生活の中から食物(米や麦など)を施し、時には宿の提供や金品の施しも行って、お遍路さん達の無事結願を支え続けてこられました。
 ご先祖様達の続けてこられた与えて報いを求めない行為与えっぱなしのこころ、「お大師様への功徳お大師様への供物」などお接待の習慣が今の時代にも受け継がれているのです。
 お祖母ちゃんもやっていた、お母ちゃんもやっていた、周りの皆もやっている、だから子供の頃から私もやっています。 …… これって「文化」です。 そして、これこそが時代の変化にも不変の本物の「文化」なのです。


  お遍路休憩所(へんろ小屋) 

(おやすみなし亭)
 歩いて巡るお遍路さんが気兼ねなく休憩できるようにと、お四国のへんろ道沿いに「お遍路休憩所(へんろ小屋)」が地域の有徳者の好意により設置されています。
 汗だくでへとへとに疲れていてもお遍路さんは、周囲に迷惑が掛からないようにと気を遣いながら歩いています。 そんな
お遍路さんを気遣って、地域の住人や有徳の方々がお遍路さん専用に設けてくださっているお遍路休憩所、その中には触れ合いと気遣いと感謝の心があふれています。
 どうぞ、感謝の気持ちをもってご利用いただき身体の疲れを少しでも軽くしてください。

(おやすみなし亭=室内)

  善根宿(ぜんこんやど) 

(柳水庵善根宿)
 善根宿は、修行のお遍路さんや僧侶達に、無償で一夜の宿泊を提供することを云います。 お大師様に功徳させて頂く気持で、今宵の宿に困っている修行の歩き遍路さんを対象として、有徳の個人が家屋や自宅の一室を提供し、宿泊のお接待をしてくださっているのです。
 一般に、風雨を凌げ、水・トイレ・畳敷きで布団などの用意もあり、修行のお遍路さんは自由に利用することができます。 ⇒ 火の用心・清掃・整頓・後始末などは利用者が守る最低限のマナーです。
 お接待には出費が伴っています。 
善根宿の維持にも当然に出費が伴い、それらは全てお接待者の個人負担で賄われています。 お接待をさせていただいて良かった!と感じるお遍路さんも居れば、そうでない方も居ます。 お接待を受けるお遍路さんも心して一夜のお接待を受けて欲しいものです。

(寿康康寿庵内部)

 昔と変わらぬ本物の「歩き遍路」に関心のある方はこちらをご覧ください。⇒ お四国センター 直心(じきしん)


“お接待文化”の区分と当事者分類

お接待される側」 と 「お接待を施す側」 と 「お接待を求める側」
 立場や意識の区分  こんな方々  状況・説明等
お接待される側
お供えされる方
歩き遍路さん 辛苦を厭わず世塵を離れ、唯、飄々と歩いているお遍路さん。 雨の日も、風の日にも一歩一歩と前に歩んでいる姿は「お大師さま」に重なるがごとく目に映ります。 アメ玉一個でも自然とお供えさせて頂きたくなります。 
歩いている「おんな遍路」さんや
「夫婦遍路」さん
お遍路は本来「歩くことが原点」です。 楽を選ばず修行の路を歩いている姿は、周囲の方々の仏性を目覚めさせます。 特に、女性やご夫婦連れのお遍路さんには、声を掛けたり、僅かでも応援したくなります。
お接待を施す側
お供えをする方
施して報いを求めない方
お四国の住人の皆さんへんろ道沿いの小母さんやオヤジさん達) 昔からのお接待文化の伝承者、担い手です。 お遍路さんを見守ってくださるお大師さまは、お遍路の道筋におわします。 “施して報いを求めない姿”、“与えっぱなしのこころ“これが「お四国お接待文化」です。 子供達の挨拶だって、凄い“お接待”です。
歩き遍路体験のある先達さん 歩き遍路の気持や苦しさや嬉しさ等が肌で、実感でわかるから、温かな気遣いやお接待・慈しみの思いが自然と湧き上がってまいります。 歩き遍路の体験者でないとわからない世界です。
歩き遍路体験のある先達さんって、ほんの僅かな、本当に僅かな、ごく少数の一握りなのです。 殆どの先達さんは歩き遍路体験も無く、お接待の心なんて全く理解できていないのですよ。
個人宿泊者を大切にする宿坊や遍路宿 ヘトヘト・クタクタの疲れを癒し、回復させてくださいます。 家庭的な応対や人情味がお接待です。 ホテルや観光旅館では味わえないようなやすらぎと心遣いそして親しみがあります。
お四国病に感染しているお遍路さん 感謝しているから、感謝の心を持って、感謝の念いを周りの方々に施すことができます。 お接待させていただける我が身の有り難さに目覚めています。
お接待を求める側
好意に甘え、善意を弄ぶ方
慳貪な心を抑えられない方
こじき遍路
“癒し・自分探し”等ブーム言葉のお気楽遍路
観光パンフレットなど表面的で意味不明な言葉に踊らされ、安易に「お接待」等を期待し、受けた接待を自慢げにブログに記するなどの利己主義者でさもしい心にとらわれている若年層や乞食遍路をさします。
一部の札所寺院や札所関係者 衆生救済の志を忘れ、 利他に目を背け、我欲に勤しみ、建物改築などで尊厳を造形しようとしているが、原点となる「尊敬」を周囲から失っているのかも知れません。 狭い宗門世界の中に安住し、世襲で僧侶という職業に就いたからでしょうか、生きている人間の苦労や心の痛みや喜びなどを理解できず、傲慢にお遍路さんを見下している 方々にも稀に出会います。 愚かさに気が付く感性さえも、見失ったのでしょうか。
観光気分の団体遍路さん
歩き遍路体験のない先達さん
お遍路の「歩くという 原点」から遠く離れて「札所の存在する場所」を形式重視で足早にバスや自動車等で巡るだけですから、お接待に巡り会う機会はほとんどありませんし、訪れる札所自体もお接待をしません。 そして、荷物も背負わず気楽な観光気分ですのでお接待の対象者でもありません。 ワイワイ・ガヤガヤと騒がしく集団で動きますが、それでも外見上は一人前のお遍路さん姿です。 だから、折角来たのだからお接待を受けたいと望んでいます。

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 昔と変わらぬ本物の「歩き遍路」に関心のある方はこちらもご覧ください。⇒ お四国センター 直心(じきしん)


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