同 行 二 人    …お大師様の志と供に      

 “お四国 はお大師さまに出会う旅。  …お大師様はお四国のへんろ路に、今もいらっしゃいます。

 お大師さまに出会えることを念じ、お遍路さんは菅笠や杖に同行二人と記してお大師さまの足跡を巡ります。 →お大師さまに出会えます。  すれちがう子供たちの笑顔や挨拶、ポケットからあめ玉を握り出しお接待くださるお婆さん、道の間違いを追いかけてきて教えてくださるオヤジさん、みんな皆お大師さまです。 疲れを忘れさせてくれる路傍の花、これだってお大師さまが形を変えたお姿かも知れません。 お四国の、お遍路の道筋の、いろんな所で お大師さまはお迎えしてくださっています。



お四国清浄心に立ち還る路。  …素直な自分に出会う旅です。

 お大師さまが一緒に同行してくださるといわれていますが、お大師さまも超御多忙のお立場ですので、あまり頼ってもいけないと思います。 長い人生の過程で、自分で積み上げ、自分に積ってしまった分厚い我執エゴなどを捨て去りながら、本来の素直な自分(本来の自分自身)に立ち還ってゆく路。 「我執だらけの自分」と「本来の素直な自分」、この二人が一緒に同行しながら「本来の素直な自分一人」に還る修行の路、これがお大師様の諭される同行二人の教えかも知れません。 お遍路は、歩きを通して自分自身に出会うのです。 當に、清浄心に立ち還る修行の路です。


 お四国では袋にほころびができます。   …持ちきれぬ荷物も、捨てれば軽くなります。

 歩き遍路されるお遍路さんには、其々にいろんな人生があります。 持ち切れないほどの我慢や願事そして語りえぬ哀れや苦悩などをご自分の「我慢袋」等に一杯詰め込んで歩き始められます。 でも、「お四国」って不思議なんです  歩き始めるとお大師様がお遍路さんの袋の角に「ほころび」を付けてくださいます。 そのほころびから、持ち切れなくなっていたものが、そのうちにボロボロ とこぼれ落ち始めます。 持ち切れないほどに膨らんでいた袋も一歩一歩の歩みと供に少しづつ少しづつ軽くなり、やがて空になってゆきます。 足腰は疲れますが、その疲れとは逆に心の重みは薄らいでゆくのです。 ふと気がつけば手を合せ素直に合掌しているお遍路さん、すれ違う方々に満面の笑顔で挨拶をされているお遍路さん、……いつの間に、これほどやさしく素直なお遍路さんになられたのだろう‼……と不思議にも思います。 お大師様は、そのお遍路さんに合わせてほころびを付けてくださるのです。 こころの重荷が軽くなるにつれて、その人本来の仏性が目覚め、素直な自分自身が甦ってまいります。 だから、お四国って「捨て去 り・忘れ去りしながら巡る修行の路」・「しんどいけれども気分のいい世界」・「素晴らしい甦りの場」なのだと思います。


お大師さまの座右の銘   …お大師様に親しみを感じます。

 お大師さまは「他人の短を言うこと勿れ、己の長を説くことなかれ。施したるは心(念)に残さず、施受さるるは忘れること勿れ。」を忘れないように意識されていたんだそうです。 お大師さまの銘を自分の銘としてお四国を歩いてゆきたいものです。


仏をまねて生きる教え  …お大師様がお四国のへんろ路で、今も導いてくださいます。

 仏様には三つの教えがあるんだそうです。 一つは「仏の教え」。 二つは「仏になるための教え」。 三つは「仏をまねて生きる教え」だそうです。
  仏をまねて生きる、というのは、仏になったつもりで仏のまねをして生きていこうと発心すること。 言い換えると、毎朝、目が覚めた時にちょっと発心する。  そして、お大師さまのように顔を洗い、お大師さまになったつもりでご飯をいただき、挨拶をする。 もちろん始めはよちよち歩きのお大師さまだから、なかなか巧くまねることはできないけれど、「お四国」を歩きながら、少しづつ上手にまねをしてゆけば良いのだそうです。 …なるほど、お遍路さんは、お大師さ まになったつもりでお大師さまのまねをして歩いてゆけば良いわけです。 …だから、お遍路さんは、お大師さまと同行二人の修行旅なんですネ


笠ほとけ 杖は大師よ 春の風  …さあ、“お四国”へお出かけください。 

 感謝の学びです。 「お遍路さんがお大師さま」です。  ただ一所懸命に一歩一歩あるいておられる御姿、何の力みも抜け切った御姿、素直に感謝の気持ちを表している御姿、素直な眼差しと満面の笑顔、当り前の有り難さに感動し感謝しておられる御姿……  皆々、神々しく輝いている。
 ふと気が付けば、手を合わせ合掌されているお遍路さん。 いつの間に、こんな素直なお遍路さんになられたのだろう。 お大師さまがお遍路姿に身を変えて、お遍路さんになろうとしているお遍路さんに同行し導かれている。 “お大師さま”って、“お四国”って凄い! “お遍路さん”って素晴らしい! …
お遍路さんはお大師さま”です。 …やっぱり、お遍路さんはお大師さまと同行二人なのです。
 
一切衆生悉有仏性衆生本来仏なりです。         合掌


弘法大師略年譜

和暦 西暦 かぞえ年   事 柄 等 時代 天皇  出来事
宝亀5年 774 1歳   讃岐国屏風ケ浦(現善通寺)に生誕。 父は佐伯直田公善通、母は玉依御前。 奈良 光仁  
宝亀11年 780 7歳   幼名を真魚、捨身ケ嶽(現出釈迦寺奥之院)で捨身誓願されたと伝わる。 桓武 781万葉集
延歴10年 791 18歳   大学に入る。 後に中退。 784長岡京に遷都
延歴11年 792 19歳   伊予石鎚山、阿波太龍ケ嶽、土佐室戸岬など四国の邊地を巡り求聞持法修行。  
延歴16年 797 24歳   迷いは解け、日は新(小悟)。 「聾瞽指帰」著。 平安 794平安京に遷都
延歴23年 804 31歳   出家得度(空海)、遣唐留学僧として入唐。  
延歴24年 805 32歳   青龍寺恵果和尚に師事、大悟。 真言密教第八祖として「遍照金剛」の灌頂名。  
延歴25年 806 33歳   明州の浜より投じた三鈷は高野山、五鈷は東寺、独鈷は土佐に留まったと伝わる。 帰国。 真言宗を開く。 平城  
弘仁元年 810 37歳   東大寺第十代別当。 嵯峨 810薬子の乱
弘仁6年 815 42歳   四国88ヶ所霊場を開創されたと伝わる。 四国邊地を巡る修行僧が増える。  
弘仁7年 816 43歳   高野山開創の勅許を得る。 819金剛峯寺。   
弘仁12年 821 48歳   讃岐満濃池築池別当。 3ヶ月で竣工。  
弘仁14年 823 50歳   京都東寺を得る。 淳和  
天長5年 828 55歳   四十八文字の「いろは歌」の仮名文字を作る。  
承和2年 835 62歳   3月21日寅の刻、高野山で御入定。 仁明  
延喜21年 921 ……   醍醐天皇より「弘法大師」の諡号を賜る。 醍醐  

Top

 昔と変わらぬ本物の「歩き遍路」に関心のある方はこちらをご覧ください。⇒ お四国センター 直心(じきしん)


Copyright (C) 2009 Eiji.shirahama. All Rights Reserved.