お四国の道標

お四国の大先達  宥辯真念中務茂兵衛                                             

宥辯真念(ゆうべんしんねん ?~元禄五年)

「四国遍路中興の祖」といわれる大先達。 江戸時代初期の高野聖。20回以上お四国を歩く。
「四国邊路道指南(1687)」を記す。 標石の造立、遍路宿(真念庵)建設、霊場記などその功積は非常に大きい。 八十八の数字の由来を定め、札所番号・詠歌を制定した。
【左写真】6番安楽寺から7番十楽寺に向かう遍路道に残る真念法師の「標石」、現存三十余基。
【右写真】84番屋島寺から85番八栗寺に向かう遍路道沿いの須崎寺境内に残る真念法師の墓。

中務茂兵衛(なかつかさもへえ 1845(弘化2年)~1921(大正10年))

周防国(山口県)大島郡生、本名:中司亀吉、法名:義教。22歳(慶応2年・薩長連合、竜馬暗殺の時代)よ り四国遍路に出る、生涯一度も生国に帰らず遍路道を住まいとした。 280回四国を巡り、茂兵衛が建てた標石は現存237基、明治政府の廃仏毀釈・神仏分 離令の時代に「生き仏」と庶民に慕われていた。 寺院が廃れていた時代に、お遍路の苦難を想い、道標を再構築した。 87番長尾寺付近で没。
【左写真】茂兵衛の標石
(20番鶴林寺山門前)です。 

見上げれば美術館  

11番本堂に描かれている雲龍天井画。 30畳ほどの巨龍が描かれています。 見落とさないようにご注意。 37番岩本寺本堂には575枚の天井画が彩られています。 その中には、モンローの絵もありました。 捜してみてください。
47番八坂寺の屋根付き橋の天井画です。 小川に架かる橋を渡って境内に入ります。 その橋の天井に極楽図が鮮やかに描かれています。 50番繁多寺の鐘楼に極採色の天井画が描かれていました。 新しくて眩いばかりでした。 鐘を撞く折にお楽しみください。

見忘れのないように! 

九番法輪寺「絵入りの額」

法輪寺本堂軒下にわりあい大きい額が掲げら れています。額縁に大正九年五月一日とあり、額に「京都市内山口庄太郎脳病のために唖者の如く言葉の自由を失い、百方手を尽し、名医霊薬も其効なく、四国 巡礼の途に上る。はからずも五月一日九番霊場に於て俄かに卒倒し、夢中のごとき中に、不動の三昧地に入り給う高祖大師さまの不思議の利益を蒙り、不自由困 難なりし言葉も自在になり、病気も立ちどころに平癒して、その喜びたとうるものなし。同行三人眼前にこれをみて、霊験の今更ならぬを深く感銘す。ここに、 今報恩報謝のため額面を画かしめて当寺大師堂前に納め奉るものなり。」と書かれています。

二十二番平等寺「奉納イザリ車」

平等寺本堂内にイザリ車(歩行障害者用の箱車、当時は車輪が付いていました。)が 三台奉納されています。一番大きな屋根付きの箱車は大正時代に徳島の大工さんが奉納したもの、他に、高知県土佐郡地蔵寺村の方などの箱車が置かれていま す。いずれも、足の自由を失い、医者にも見放された絶望の中にあって、四国遍路を巡り、この平等寺で歩けるようになった方々が歓喜・感謝の気持で奉納され たものです。最近も、ご親族の方が参拝に訪れたとのことです。こうした奉納品が多いお寺は、その当時の住職達が困窮していた人々の手助けやお世話を常日頃 に施していたことの証でもあります。

へんろ道の風景! 

波打ち際のへんろ道「大岐海岸」と4番に向かう「畦道」

へんろ道にはいろいろな味わいが在ります。 急峻な遍路ころがしも在れば、温泉街も歩きます。 そうした中、写真のようなへんろ道も在ります。
○左は足摺岬まで17kmの地点、「大岐海岸」の波打ち際の歩き遍路道です。 白砂青松の美しい風景に疲れも忘れ、サクサクと砂浜に足跡を残しながらを歩んでゆきます。
○右は3番金泉寺に向かう昔と同じ歩き遍路道です。雨日和の中、足元に注意を払いつつ「畦道」を進んでゆきます。
歩き遍路にしか味わえない至福の時間、昔と変わらぬ歴史の道です。

 昔と変わらぬ本物の「歩き遍路」に関心のある方はこちらをご覧ください。⇒ お四国センター 直心(じきしん)


   

歩き遍路の道先案内シール、信頼できる味方です。

お遍路シール  歩き遍路さん専用の道先案内です










 最も信頼できる歩き遍路さんの味方です。 地図などには限界がありますので、お遍路さんが歩くへんろ道沿いの電柱や適当な箇所に、歩き遍路体験者達が判り易い位置に貼付して進む方向を示しています。 主にへんろ道の分岐点などでお遍路さんが道を迷わないよう、進路を示しています。 この数年以前から、遍路シールの貼付がストップしていまう。 大多数の歩き遍路さんが道中で道順を間違い、苦労し、難渋している状況です。

注意①、自動車用の案内板や石柱など多くの案内表示がされています。 もし、多種類の方向案内がある場合には、「お遍路シール」を信頼してください。
*自動車用の交通標識や案内板は自動車遍路用のものであって、歩き遍路用ではありません。
*手書きの案内標識の中には、店舗などへ誘おうとする看板もあります。

注意②、お遍路シールには貼付する主体別に種類があります。 写真に掲載しているのは「遍路とおもてなしネットワーク
(注、現在は貼付活動停止」のシールと最近に各行政体が貼付した案内シールです。 他に「へんろ道保存協力会」のシール等があります。

注意③、歩き遍路のへんろ道を外れると、遍路シールはありません。 だから、30分も歩いている途中に「お遍路シール」が目に映らない場合には道を間違えている可能性が高いです。 現在位置の確認をお奨めします

注意④、歩き遍路の体験者は非常に少ないです。 地域の方々もお寺の関係者も、歩き遍路の未体験者がほとんどです。 だから、お遍路シールを見つけながら迷わずに歩いてください。

注意⑤、道を間違えるのは、遍路シールを見落としたことに因ります。

なお、これらの「お遍路シール」も全て有徳者や個々人の費用負担と貼付ボランティア活動で支えられ、歩き遍路さんへのお接待として貼られています。


急告 行政が案内シールを貼るときに既存のお遍路シールのほとんどを剥がし棄て去りました。 その影響により「お遍路シール」が極端に少なくなっています。 行政の案内シールは行政目線で貼られているためなのか、歩き遍路さんの目線に映りにくい場面や場所も数多くあります。 歩き遍路さんにとって頼りになる「お遍路シール」が少なくなってしまいましたので、方角や道順を間違うお遍路さん最近大幅に増加しています。 当分の期間は磁石と地図を活用し、方角や道順を誤まらないように注意して歩かれてください。




 昔と変わらぬ本物の「歩き遍路」に関心のある方はこちらもご覧ください。⇒ お四国センター 直心(じきしん)


心に響く言葉集

お遍路の道中や資料類から心に響く言葉を紹介します。

お遍路の 誰もが 持てる不倖せ (森白象) 笠ほとけ 杖は大師よ 春の風
ひょいと四国へ 晴れきっている (山頭火) 月夜あかるい舟があり その中で寝る (山頭火)
おちついてしねそうな 草枯るる (山頭火) 濁れる水の 流れつつ澄む (山頭火)
道の辺に 阿波の遍路の 墓あはれ (虚子) 出会いを通して、自分に出会う (中山靖雄)
焼山寺 越えてまた湧く わが命 (71歳 男性遍路Oさん) 挨拶は 素直な自分の よみがえり
元々、お遍路修行には 回数 も 位 も無いのです。 お経は、ただ声を出して読むことが最高、それが読経という行です。
お大師さん 何とかしてよ 足のマメ (マメに苦しむ男遍路さん) 努力の扉の向こうには、また次の努力の扉がある。
それ仏法 遥かにあらず、心中にして、すなわち近し。 (空海) 観音さまとは余人にあらず、汝自身なり。 (天桂禅師)
この一歩 つぎの一歩とへんろ道 前に向かって われも亦ゆく お遍路の神髄は 「捨てる行」・「無言の行」、独りで歩く。
己こそ 己の寄辺、己をおきて 誰に寄るべぞ、よく整えし己にこそ洵、得難き寄辺をぞ得ん。  (法句経160)
雨降れば雨、風吹けば風と、歩くというよりは 歩かせていただくという感謝の気持で、一歩一歩お四国を遍路する。
お遍路を発心したのは私、遍路修行をさせていただきたいと発願したのも私自身です。
ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けない、自分の心も自分の心でしか磨けない。 だから、懸命に打ち込む。
歩き遍路の修行を重ねてゆくと、苦しみには変わりはないのですが、でも、苦しみ方が変わってくるのです。
すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること。 これが仏の教えである。  (七仏通誡偈)
止まれば 同じ風景、 歩けば 歩いただけ 風景が その姿を変えて 迎えてくれる。 (室戸岬への道筋) 
語り得ぬ 哀れも秘めて 鈴の音 人それぞれの 笑顔の陰に。   お遍路の誰もが持てる不仕合。(森白象)
楽な巡り方をしては、人も自分も嘘事だと思います。 安易な詣り方を選べば 後に悔いが芽生え、自分の心に嘘が残ります。 苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。 遍路の道には訓えが込められている。 難路も避けずにゆくように…。 
苦しみの涙で蒔いた種は 喜びの涙で花開き 実を結ぶ時を知る  (太龍寺石板)
朝は 「十月十日」 (十 と 日 と 十 と 月)。 毎朝、命が甦る。 (中山靖男)   夜明け前が一番暗い。
時とかね使って歩むはへんろ道 この疲れこの痛みこそ有り難き哉  (木製道標の記載文)
慈はよく楽を与え、悲はよく苦を抜く。 抜苦与楽の基、人に正路を示す、これなり。 (空海)
一つの道を二人にて行くことなかれ。 教えに出会えたなら、淋しくとも自分でトボトボと行きなさい。 自分ひとりであってこそ自分自身の途を開いて行くことができる。 ほかの誰人にも頼ってはいけない。
お四国には医者にも見放された難病の人、悩 みを持つ人など、多くの方々が巡拝している。 敬虔な濁りなき心に基づいて巡っているうちに、自らに訓えられ周りの方々に支えられながら悟らせていただ き、考え方も変わり、不思議に病気が治ったり、生きてゆく光を見出し、更生をしてゆく。 幸福は不幸の床より芽を出す、信仰心あれば不幸も亦感謝である。 
菩薩の用心はみな慈悲をもって本とし、利他 をもって先とす。 仏を目指して努力する人を菩薩という。 その菩薩の常に心がけなければならないことは、大いに慈悲のこころを持つことであり、自分のこ とはさておき、他人のことを主に考えるという生活態度を持ち続けることである。 しかし、これはなんとむつかしいことか。 しかし、可能か不可能かを考え ることなく、ひたすらに心がけるのが重要なのである。
お四国を巡るうちに信仰が深まることは事実、奇跡に似た御利益をいただく人もあるが、お遍路をしていただく功徳の一番根本的なものは、だんだんと我執のけがれが除かれてゆくことである。

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