心構え その1 →自己を拠所とする修行の路です。
「お四国」は、自分の足だけを頼りとし、見知らぬ山河を独りで歩き越えてゆきます。 未知・未体験の長丁場に畏れを思わず無知・無策で挑戦するのは大怪我の元です。 気迫だけでは無理です。 「痛めた身体は、歩きながら治す」という
凄い気迫のお遍路さんもいるかもしれませんが、お四国は約1,200kmの長い道程です。 自分で自分に無理強いするだけでは持続できませんし、たどり着けません。 「楽を選ぶ気持」に甘えると、お遍路は歩けません。 辛苦を厭わず歩くこと、一所懸命に歩くこと、無言の行を重ねながら、お大師様を真似て、
お大師様とともに自然体で歩いてゆくこと。 「お遍路」を一所懸命に行ずることこそが結願に到る要諦です。
心構え その2 →覚悟の修行です。
遍路姿は覚悟の表現です。 昔、遍路に旅立つ折には家族と水盃を交わしてから巡礼・修行に臨み旅立ったのだそうです。 その覚悟が、白衣に代表される白装束へと引き継がれています。 白装束は、自浄の仏心に目覚め、身も心も清浄潔白へ甦る「へんろ修行の証」であるといえます。 そして、万一の場合に白衣は死装束の「経帷子」、菅笠は「棺」、杖は「供養卒塔婆」として代用されました。
心構え その3 →有り難い、何も無いのが「実」です。
想定外の出来事も、すべて想定内の出来事として受け入れます。 日常生活では「当り前のこと」も、修行の遍路旅では「有り難いこと・無いこと」です。 周りの誰かに相互依存している生活、店舗や地域社会のサービスや手配りを当てにしが
ちな「日常生活」と「歩き遍路旅」の環境とは全く異質、180度違います。 歩き遍路旅は自分の二本の脚で、独りで、未知の山河を歩んでゆきます。 道中では、当てにしていたお宿が突然に休業したり、空腹でコンビニを探しても見つからないことも多いのです。 食堂やコンビニはへんろ道沿いにはほとんど無いのです。 疲れても、疲れた足で前に進まなければ宿にも着けないし、風呂に入ることもできません。 リュックが重くとも、自分の背に担ぐしか方法はないのです。 誰かに文句を言いたくても、愚痴を聞いて欲しくとも、聞いてくれる人など周囲に全く居ません。 だから、予想を超える事態や予定外の現象なども全て受け入れる覚悟で歩き始めてください。
「有って当り前」と思っていること自体が『 虚 』であって、「有ることが不思議。有り難い」環境が『 実 』なのです。
心構え その4 →甘え心の入る余地などありません。
「修行」の路だから、その範疇に「苦行」だって含まれています。 雨は突然に降るもの、足にマメはできるものです。 急峻なへんろ道も数多く歩きます。 大汗もかきます。 くたくたヘトヘトになります。 トイレなぞ必要な時にはありません。 びしょ濡れになります。
…お四国は、お大師様の足跡をたどる修行の路です。 「楽を求める気持」なぞ、最初から捨ててきてください。 ウォーキングや観光気分の札所巡りとは、心構えや覚悟も全く違う別世界なのです。 自ら発心して、自らの脚で、貴方自身が「修行の路」を歩いてゆくのです。
心構え その5 →形や装束からもお遍路に成りきること。
「四国」と「お四国」は違います。 「四国」は地理上の区分であり、日本国土の一 部です。 しかし、『お四国』は「お遍路さん」と「お大師様」と「お四国の住人」と「歴史」の相互作用によって創られる全くの別世界です。 「お四国の住人」は、リュックを背負い菅笠をかぶり、白衣を着て金剛杖を持ちながら歩いて巡られる方々を「お遍路さん」と認識し、お大師様への功徳として接しています。 そしてそこに、お遍路さんとお四国の住人の間に『お四国』の世界が生れ、遍路文化の舞台が開かれます。 だから、四国を巡られる方々も「お遍路さん」と認識される御姿をしていただかないと『お四国』の舞台の主人公として登場できず、相互作用も働きにくくなります。 例えば、山歩き姿であるいはご自分のスタイルやご都合で、自分勝手なスタイルで歩かれても、「お四国の住人」にとっては「お遍路さん」と認識できにくいのです。
心構え その6 →厳しい戒律を遵守します。
お遍路は「十善戒」を守りつつ、お四国を巡ります。 自らが、自らに戒律を課し、その戒律を自らで守り抜きながらお四国を巡る厳しい修行の世界です。
「十善是菩薩浄土」 = 十善はこれ菩薩の浄土なり。 「持戒是菩薩浄土」 = 持戒はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経)
*菩薩とは、自らを高めよう、向上させようと励み、努力し、行動している者をいいます。
*浄土とは、菩薩の目指すところ、その内容や事物をいいます。
不 殺 生 | ふせっしょう | すべての命を大切にする。 | 不 悪 口 | ふあっく | 悪口を言わず、相手を思いやる。 | ||
不 偸 盗 | ふちゅうとう | 盗まず、他人の物を大事に扱う。 | 不 両 舌 | ふりょうぜつ | 二枚舌を使わない。 | ||
不 邪 淫 | ふじゃいん | 邪淫に堕ちず、節度を保つ。 | 不 慳 貪 | ふけんどん | 貪らず、強欲をはらない。 | ||
不 妄 語 | ふもうご | 嘘、偽りをつかず、真実を話す。 | 不 瞋 恚 | ふしんに | 怒りや憎しみを抑え、優しく接する。 | ||
不 綺 語 | ふきご | 虚飾の言を弄さず、飾らぬ言葉で話す。 | 不 邪 見 | ふじゃけん | 邪な、間違った考えを捨てる。 |
心構え その7 →歩きこそ原点。
健脚ペースでの通し打ち所要日数は40~43日ぐらいです。 この日数を時間に換算しどんな割合で費やしているかを考えてみます。 一日の内、夜の8時から翌朝の6時頃迄の約10時間は就寝に充てていると思います。 起床して0.5時間で準備し、朝食に0.5時間を充て、朝7時には歩き始め、夕方の4時半までは歩き遍路中の時間です。 4時半に宿に入り0.5時間で風呂、5時から6時までの間に洗濯や休憩し、夜6時から夕食です。夕食時間を1時間として夜7時から8時までの間に翌日の準備を済ませる。 大凡はこんな感じの時間配分だと思いま
す。 整理しますと ①お宿での時間は夕方4時30分から翌朝7時までの14時間30分、全体の6割を過ごします。 ②へんろ道を歩く時間は朝の7時から夕方の
4時30分までの9時間30分、全体の4割です。 ③体験上から独断と偏見で「歩き遍路」での重要度あるいは御利益を感じるTPOの度合を割り振りまし
た。◎=最重要なTPO、◎=重要なTPO、○=有益なTPO、△=それなりのものもあるのだろうと思いますが、不快な思いをさせられるTPOでもあります。 ④歩き遍路にとって、やはり最重要のTPOは「へんろ道を歩いている」という「お遍路の原点」そのものです。 「お大師さま」は歩き遍路の道筋にこそおわします。
大 区 分 | 分 類 | 活動時間割合 | 総時間割合 | 重要度 | |
お宿での一日当り時間14.5時間 14.5時間×60分×43日=37,410分 【60%】 |
お宿での就寝時間=25,800分 | …… | 41.7% | ○ | |
朝の準備=1,290分 | 3.6% | 2.1% | |||
朝食の時間=1,290分 | 3.6% | 2.1% | ○ | ||
風呂の時間=1,290分 | 3.6% | 2.1% | ○ | ||
洗濯・休息の時間=2,580分 | 7.1% | 4.2% | ○ | ||
夕食の時間=2,580分 | 7.1% | 4.2% | ◎ | ||
翌日の準備時間=2,580分 | 7.1% | 4.2% | |||
へんろ道での一日当り時間9.5時間 9.5時間×60分×43日=24,510分 【40%】 |
へんろ道の内、歩いている時間=19,290分 | 53.4% | 31.2% | ◎ | |
へんろ道の内、休憩・食事等=2,580分 | 7.1% | 4.2% | ◎ | ||
へんろ道の内、寺院参拝時間=2,640分(30分×88寺) | 7.3% | 4.3% | △ |
心構え その8 →本来の自分との出会い、衆生本来仏なり。
「癒し…」とか「自分さがし…」などの空虚で絵空事のイメージを抱くのは止めにしてください。 旅行会社の掲げる「言葉遊び」などに惑わされないでください。 お遍路は、軽々な観光旅行では無いのです。 快適で楽しいだけの旅を求める のならば、最初っから温泉旅館か観光地を選ばれて気楽にゆっくりと遊ばれてください。
現実のお遍路さんは、身を灼く炎天の下、肌をさす寒風の中、横殴りの雨でびしょぬれになりながらも、疲れた足で、耐えて、唯、黙々と歩き続けるのです。
“お四国”では、他から与えられるものなど何も無いと思います。 功徳を授かるとすれば、①辛苦に耐えて歩き続けることで、お遍路さんは長い人生で自ら積み重ねてきた分厚い「我執」の殻を少しずつ捨て去りながら歩みを重ねてゆけること。 ②世俗を離れ無心に歩き続けるから、不思議ですが「本来の素直な自
分」への目覚めを感じること。 ③身体の節々は疲労し足腰はヘトヘトでも、心は日々軽くなり「心地良さ」さえ感じ始めること。 ④歩き続ける道中で、いつの間にか感謝の気持ちに包まれてくることなどです。
…お遍路は歩きを通して素直な自分自身に出会うのです。 この本来の自分との出会い、清浄心に立ち還える「心地好さ」だけが他に類を見ないお遍路の功徳であり魅力なのだろうと思います。 お遍路は「世塵を離れ、唯、飄々と歩く功徳、清浄心に立ち還る修行」の旅なのです。
2014年には四国遍路の開創1200年の行事が催されました。四国遍路には長い歴史があります。長い歴史を重ねる間には、些細な事柄に尾ひれが付いて針小棒大に語り継がれていることも多くあって当たり前だと思います。歩き遍路の道中で「それは何故?」とか「そんな馬鹿な!」等と首を傾げるような言い伝えにも遭遇することがあります。そんな場面ではご自分の判断基準に照らし合わせて、斟酌してから受け止めてください。 頭から拒否したり、迷信だと全てを否定してしまえば「自分自身の煩悩」そのものに堕ちてしまいますので要注意です。
例えば、「橋の上で杖を突いてはいけない。」➟愚かさの言動、迷信です。 正しく表現すれば「十夜ケ橋(大洲市)では杖を突くのを控えましょう。」です。➟(理由)昔、お大師様が十夜ケ橋の下で野宿をしたとの伝承があり、杖を突く音で睡眠の邪魔をしないようにとの気遣いをしましょうと云うことです。 更にです。お大師様は足腰の弱い方々が各地の橋の上で杖を使っている状況を戒め罰することなどあるのでしょうか? むしろ足腰の弱い方々を気遣って杖を使い無理をさせないように諭し勧めるでしょう。 立場を替えて照らし合わせてみれば誰でも理解できます。 浅はかな知識や愚かな言動などに惑わされないようにしてください。 浅はかな知識や無知な言動こそ迷信の根源です。
心構え その10 →「逆打ち遍路」の心構えと留意点。
逆打ちを選ぶ方は、あえて困難を自ら求めて山野に分け入る難行修行の覚悟と心構えを持って臨んでください。 ましてや 初めての歩き遍路で逆打ちに臨まれる方々が、軽々な気持ちで逆打ち遍路を歩き始めると大変な苦労に遭遇すると思います。 以下に自覚・心構えと留意点について記述します。
1.「閏年であること」を主たる理由として逆打ち遍路を選択する方は、「札所巡り(団体バスや自動車等での参詣)」で出かけられてください。 外見が同じ遍路姿や装束を身に着けていたとしても、「札所巡り」と「歩き遍路」とでは全く別次元・別世界であり、「月と鼈(すっぽん)」」の違いなのです。
2.「逆打ちすると御大師様に会える(衛門三郎伝説に由来)」等と云う浅はかな「迷信話」に乗せられないで下さい。→観光業者等のキャッチコピー、集客手段等に過ぎません。
3.逆打ちは、数回は歩き遍路を体験した方が、新たな観点で歩き遍路に臨むために選ぶものです。 「逆打ちは数倍の功徳がある」などの言葉は「逆打ちは数倍の苦労(道に迷う等)をする」との意味であり、逆説の言い方です。
4.以上のことを承知の上で逆打ちにチャレンジされる方は次の事項にご注意ください。
①常に遍路地図と磁石を手元に、道順を確認しながら歩いてください。
②前夜には、翌日の道行やポイントとなる地点を十分に整理しておいてください。
③道を間違えることもあるということを前提として、行程を組んでください。→道を引き返すことに因る時間ロスも考慮に入れてください。
④逆打ち遍路さんの為の遍路シールや道標は道中に貼付されていません。→逆打ち遍路は敢て難行を求めている方と認識しますので、アドバイスや道案内を地域住民も先達達も手控えます。→私も、聞かれない限り、教えません。
⑤難行を自ら選んで歩いている逆打ち遍路が「道を間違えて苦労した----等」の愚痴や弱音を漏らすことは控えてください。→周りからバカにされるだけです。
⑥車道からへんろ道への分岐点では特に間違えやすいので十分に注意してください。
⑦急げば道を間違え、間違えば気持ちが焦ります。 焦れば一層の悪循環に陥ってしまいます。 余裕を持った行程で歩いてください。→無理は禁物です。
⑧夕方にかけて、山道に入るのは避けてください。→危険です。安全第一です。
⑨地域住民やお宿の方々に迷惑をかけないように準備・行動をしてください。→最近の実例です。 山中で道を間違えて、所在位置も分からないような状況の下で救けや道案内を求めてくる逆打ち遍路さんが実際に発生し、しかも増えています。 ⇔ 救援しようとしても 何処に居るのかが判らなければ対処の使用がありません。
5.1番霊山寺での結願後、高野山に向かうには高松自動車道「鳴門西」高速バス乗場から神戸・大阪方面に乗車できます。 また、JR利用で徳島駅からの高速バス便、あるいは徳島港からのフェリー便(和歌山港経由)で高野山に向かうこともできます。
6.逆打ちの参拝順序として、13番大日寺⇒12番焼山寺⇒11番藤井寺を経て10番切幡寺には向かわずに、11番藤井寺⇒1番霊山寺⇒2番極楽寺⇒3番金泉寺⇒4番大日寺⇒5番地蔵寺⇒6番安楽寺⇒7番十楽寺⇒8番熊谷寺⇒9番法輪寺⇒10番切幡寺のコースをたどり、10番切幡寺から88番大窪寺に歩くルートも検討されてください。
それでは、覚悟を持ち、お気を付けて、お四国・逆打ち遍路にお出かけください。
昔と変わらぬ本物の「歩き遍路」に関心のある方はこちらもご覧ください。⇒ お四国センター 直心(じきしん)
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