札所・寺院の情報と案内


善通寺(横峰寺)
 「遍路」とは、弘法大師の足跡 を辿り巡る修行をいい、「お遍路さん」とは御大師様の足跡を歩いて巡りながら修行を続けている方々を云います。 現在は白衣姿で荷物を背負い、菅笠を被り 金剛杖を手にして、お大師様の修行の足跡を辿りつつ道筋に散在する霊場八十八ヶ所にも立ち寄りながら四国の山野を徒歩で巡り修行の旅を続けている方々を 「歩き遍路」さんと云っています。
 約1,200kmの長距離を歩いて巡る道筋には札所寺院もあります。 歩き遍路の目線から下表にお寺情報をまとめてみました。

志度寺(大窪寺)

 バスやタクシーを利用する「札所巡り」の方々は、天候等にも左右されずに 敷かれたレールに従って引率され、軽々な足取りで札所寺院を巡ります。 団体行動しますので主体性などは無く、参詣した寺院の記憶さえも残らぬままに、気 が付けば八十八ヶ所札所巡りも結願してしまっているという、急ぎ足の気楽な自動車旅行です。 しかし、「歩き遍路」さんの場合は自分自身の脚で歩き、辛苦も厭わず、黙々と昔と変わらぬ本物の「修行」の旅を続けて行きますので、一歩の歩みに凝縮された修行の重みが札所巡り自動車旅行とは全く違います。 しか し、苦労して立ち寄った寺院の情報や歴史などを”知らなかった”とか”見落とした”としても、歩き遍路は徒歩ですから寺院に引き返すことなど簡単ではあり ません。 また、誰かがアドバイスして補助してくれる訳でもありません。 そこで、各札所の情報を歩き遍路さん目線で一覧に纏めて記述しましたので、事前情報として吸収し活用してください。


歩き遍路さん目線での寺情報一覧
札所 寺院名(ふりがな) 御本尊   寺情報・拝観ポイントなど。
1 霊山寺(りょうぜんじ) 釈迦如来 歩き始めの札所、本堂内横側売店に納経所があり。休憩場所に歩き遍路専用のノートが置かれています。 注意、併設の売店で遍路用品を購入すると納経帳などには既に「墨書・朱印押捺」などが施されており、加算料金を請求されることが多いので要注意です。
2 極楽寺(ごくらくじ) 阿弥陀如来 境内にお大師様お手植えと伝わる「長命杉」があります。触れればご利益があると云われているので直接触れてください。
3 金泉寺(こんせんじ) 釈迦如来 大師堂の右側にお大師 様が掘られたという「黄金の井戸」があります。覗いてください。納経所に向かう庭に「弁慶の力石」があり、源平合戦の前日に気勢を挙げる為に弁慶が持ち上 げた岩と伝わります。金泉寺は義経戦勝祈願のお寺です。本堂裏側に長慶天皇陵(98代・南朝3代)があります。納経所窓口の応対は気遣いもあり心地好い寺院です。
愛染院(あいぜんいん) 不動明王 3番金泉寺「奥の院」、初々しい歩き遍路さんの初日お昼前の休憩地点として最適な場所。境内で作務をしている住職との会話も思い出に残ります。刷毛で書く納経は特筆です。住職ご自身が受付け墨書してくれます。刷毛書きの納経はこの寺院だけです。
4 大日寺(だいにちじ) 大日如来 本堂と大師堂を結ぶ回廊に西国三十三観音霊場の観音菩薩木像を拝観できます。先々代の住職は不治の病のお遍路さん達を手厚く遇したお方でした。*現状は傲慢さの漂う対応。
5 地蔵寺(じぞうじ) 地蔵菩薩 御本尊は馬に跨り甲冑を身に着けています。境内には樹齢八百年の大銀杏がそびえています。五百羅漢堂は奥之院(有料拝観)です。
大山寺(たいさんじ) 千手観世音菩薩 別格二十霊場1番札所。標高450mに位置し、大変厳しいへんろ道(遍路ころがし)を往復する。山門から本堂への参道(石積階段)の雰囲気は感動ものです。力餅の発祥の地です。
6 安楽寺(あんらくじ) 薬師如来 1598年阿波藩主に 指定された駅路寺(遍路や旅人の宿泊施設)で、歩き遍路を温かく迎え入れてくれます。本尊の薬師如来像は愛知県の水谷さん奉納で摩訶不思議な難病快癒の奇跡(事実です)の謂れがあります。仏像の多くは松本明慶作です。人気の宿坊、夕勤行の「楠供養」は感動です。
7 十楽寺(じゅうらくじ) 阿弥陀如来 目の病に御利益があるといわれており、大師堂階段横に眼病平癒の地蔵尊が祀られています。参拝者を迎える姿勢には が付き、『愚』や『痴』の不快な臭いを感じます。  四国88ヶ所霊場会に所属していない寺院です。
8 熊谷寺(くまだにじ) 千手観世音菩薩 1687年建立の仁王 門、四国最大級の大きさです。仁王門の二階には極採色の天女姿などが描かれている、駐車場入口付近には陶版画の天女図が掲示されている。7番からの遍路道沿いに客引き用の看板や案内等が置かれ、遍路道を外れて歩くお遍路さんもいる。⇒「お遍路シール」に従って歩いてください。
9 法輪寺(ほうりんじ) 釈迦如来 本堂内部を覗き込んでください。沢山の草鞋が奉納されています。足腰の病に御利益があると伝わります。また、この場で目が見えるようになった方が奉納した達磨もあります。
10 切幡寺(きりはたじ) 千手観世音菩薩 山門と本堂の間に三百三十三の階段がある。一歩目の石柱は写真ポイントです。本堂横奥に「はたきり観音」の銅像があります。このお寺は「女人即身成仏の寺」として知られています。納経所では要注意、記帳作業が極めてのろく、無為に待たされることも多い。
11 藤井寺(ふじいでら) 薬師如来 山門を入り右側に藤の古木がありお大師様お手植えと伝わる。本堂内部天井には迫力の雲龍が描かれていますのでご覧ください。天井の広さは三十畳です。*傲慢さの漂う納経所。
12 焼山寺(しょうさんじ) 虚空蔵菩薩 参道右脇に「山の水」がありますので、乾いた喉を潤おしてください。鐘楼で鐘を撞いてください、後に続く遍路ころがしを歩いているお遍路さんの耳にも届きます。*納経所は 上から目線に因るトラブル事案も多く不評・強欲です。「反面教師」として扱いましょう。
13 大日寺(だいにちじ) 十一面観世音菩薩 明治の廃仏毀釈により、道路向いの一宮神社と分離、神社の本地仏の本尊(十一面観世音菩薩)が移り、大日如来が脇仏となった。その故に大日寺でありながら御本尊は十一面観世音菩薩が祀られている。
14 常楽寺(じょうらくじ) 弥勒菩薩 岩盤の上に建ち、本堂前のに「流水岩の庭」がある。 四国霊場の中で唯一ケ寺、親御さんと縁の薄い子供達を護り育てている社会福祉養護施設「常楽園」を現在も運営している尊いお寺です。
15 国分寺(こくぶんじ) 薬師如来 曹洞宗の寺。手水場の屋根設置及び本堂を始め寺院全体の修理修復等が望まれる。本堂正面土台部分の青石の石組(礎石)は素晴らしい技能技・職人技です。
16 観音寺(かんおんじ) 千手観世音菩薩 近年まで、炎に包まれた女性の描かれた絵馬が本堂内に掲示されていたが、本堂新築後は鍵がかけられ見ることも出来なくなった。旧街道沿いの狭い敷地に在ります。
17 井戸寺(いどじ) 薬師如来 堂々たる仁王門は武家屋敷の門を移設したもの。境内に、お大師様が掘られた「面影の井戸」が在る。覗き込んで自分の姿がうつれば無病息災と云われています。霊水なので喉を潤おしてください。
18 恩山寺(おんざんじ) 薬師如来 大師の生母・玉依御前の小堂が大師堂に隣接している。小山の麓に山門が在り、その山門を通って歩き遍路の上り道が本堂へ繋がっている。⇒道を外れて車道を歩かないようにしてください。
19 立江寺(たつえじ) 地蔵菩薩 大師堂の右横に「黒髪堂」が在り、昔不義をした女性の髪が鐘の緒に巻き上げられ、懺悔をすると皮膚諸共に抜け落ちたとの怖い伝説がある。四国の総関所とも云われている。
20 鶴林寺(かくりんじ) 地蔵菩薩 御本尊を雌雄二羽の鶴が守護していたことから寺名がつき、山門と本堂前には雌雄の鶴が設けられている。遍路ころがしの参道には室町時代の丁石も残っている。寺の朱印は鶴の模様、白衣に朱印を押す方も多い。
慈眼寺(じげんじ) 十一面観世音菩薩 別格二十霊場3番札所、20番鶴林寺「奥の院」。本堂は標高650mに位置し、四国三禅定の一つ「(あな)禅定」があります。案内人に引率され、ローソク1本の灯りだけで漆黒の鍾乳洞を歩いて巡ります。3月〜11月の期間中は入行可能、一度は体験する価値ありです。
21 太龍寺(たいりゅうじ) 虚空蔵菩薩 舎心ケ嶽でお大師様が修行されたことが三教指帰に記されている。余力があれば是非訪ねる価値あり。西の高野とも称され、大師堂の裏側に御廟もあります。山頂とも思えぬ広さを有している。舎心ケ嶽から阿瀬比交差点に繋がる旧へんろ道(いわや道平等寺道)が復活しています。是非、厳しい尾根道ですが体験されてください。
22 平等寺(びょうどうじ) 薬師如来 本堂階段左側にお大師様が掘った「白水の井戸」がある、乾いた喉を潤おしてください。本堂内左側に奉納イザリ車が三台置かれている。これは、ここで脚の治ったお遍路さんが感謝の心で奉納した実物です。
23 薬王寺(やくおうじ) 薬師如来 厄除け寺院として有名、本堂に向かう石段の下には薬師本願経の経文が書かれた石が埋め込まれている。厄除けの為に一段毎にお賽銭を置くお遍路さんもいる。注意⇒このお賽銭を拾うと他人の落した厄を拾うこととなり縁起が悪くなります。本堂裏側には「後ろ向き薬師」が祀られているので参拝してください。
鯖大師(さばだいし) 弘法大師 別格二十霊場4番札所、護摩祈願が素晴らしい。宿坊も併設しており、宿泊者は護摩祈願にも参加できますのでド迫力の「お護摩」を体感してください。きっと思い出に残ります。
24 最御崎寺(ほつみさきじ) 虚空蔵菩薩 室戸岬に御厨人窟あり、お大師様「小悟」の場所、必ず参拝してください。境内に鐘石あり、浄い響きがします。別名「東寺」とも呼ばれます。参道には「喰わずの芋」が沢山自生している。
25 津照寺(しんしょうじ) 地蔵菩薩 山門をくぐると小高い山の頂上に位置する本堂に上る階段へと続く、その中腹に鐘楼門がある。御本尊は「楫取地蔵(かじとりじぞう)」とも呼ばれている。大師堂は本堂と離れ麓に在る。
26 金剛頂寺
  (こんごうちょうじ)
薬師如来 行当岬の山頂に位置し、お大師様修行の地。境内には「一粒万倍の釜(大師の炊かれた米が万倍にも増え、人々を飢えから救ったと伝わる。)」や「天狗問答(悪さを行う天狗を問答で打ち負かし追い払ったと伝わる。)」のレリーフなどがある。別名「西寺」とも呼ばれます。宿坊もあり、人気は高いです。
27 神峯寺(こうのみねじ) 十一面観世音菩薩 麓の唐浜から往復で2 時間弱の道程、境内には鐘楼脇に「石清水」が在り、病気平癒に霊験あらたかとの伝えがある。昔、遍路ころがしは「真っ縦」とも云われ、標石も特異な形状を しており、この参道で愛知県の水谷さんの奇跡が生じています。頂上駐車場売店のうどんはお奨めです。ビックリすると思います。
28 大日寺(だいにちじ) 大日如来 鐘楼から納経所方向に山道を少し上ると奥之院「爪彫り薬師」が在り、首から上の病に霊験あらたかと伝わる。小堂の床下には、穴のあいた石が沢山奉納されている。
29 国分寺(こくぶんじ) 千手観世音菩薩 柿葺(こけらぶき)屋根の本堂は重厚感あり、杉苔の美しい庭園が楽しめる。この付近は平安時代に「土佐日記」の紀貫之が国司として滞在していた地域。
30 善楽寺(ぜんらくじ) 阿弥陀如来 平成6年に30番札所に確定、境内の手水場の石を天邪鬼が支えている。土佐の国では明治維新の廃仏毀釈に因り615ケ寺の寺が167ケ寺にまで減ってしまった。善楽寺もその歴史に巻き込まれた1寺です。
31 竹林寺(ちくりんじ) 文殊菩薩 「よさこい節」の…坊さんかんざし買うを見た…に搭乗する僧純信が居た寺院、牧野植物園に隣接している。境内には五重塔があり、山門から本堂に向かう階段付近には美しい風景が広がる。
32 禅師峰寺(ぜんじぶじ) 十一面観世音菩薩 土佐湾沿いの小山に位置する。境内に奇怪な岩石が露出する。山頂南側から土佐湾全景や桂浜もが見渡せる景勝の地です。
33 雪蹊寺(せっけいじ) 薬師如来 本堂裏側に、長宗我部 信親の墓がある。雪蹊寺は山本玄峰老師(若い時に視力を失い、裸足で七度目の道中で、行き倒れたところを太玄和尚に救われ出家。その後も裸足参りを続け、12番 焼山寺山門で視力を少し取り戻す。後に、雪蹊寺住職を経て臨済宗妙心寺派管長となる。)のお寺です。
34 種間寺(たねまじ) 薬師如来 お大師様が唐から持ち帰った五穀(米・麦・粟・キビ・豆)の種を蒔いたことから名付けられたと伝わる。境内に「子育観音」が祀られ周りには底の抜けた柄杓が奉納されている。 納経所での対応が心地好いです。
35 清瀧寺(きよたきじ) 薬師如来 境内に高さ15mの薬師如来立像が安置されている。この台座の中で八十八段の戒壇巡りを体験できる。なお、参道の道幅が狭いので自動車に注意してください。
36 青龍寺(しょうりゅうじ) 不動明王 お大師様が唐から帰国する折、明州の浜より東方に投げた独鈷杵が奥之院の老松に届いたと伝わる。青龍寺の山号「独鈷山」はこの謂れに起因する。
37 岩本寺(いわもとじ) 不動明王・聖観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩 五体の御本尊が祀られている。本堂天井には五百七十五枚の絵が天井を彩っている。その天井画の中には花鳥風月・仏像からマリリンモンローまである。
38 金剛福寺
  (こんごうふくじ)
三面千手観世音菩薩 前の札所37番から三日の道程81km、「補陀落渡海(海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を目指し、一人で小舟を大海に漕ぎ出したとの謂れ。)」の寺院。足摺岬の突端を巡るように「足摺七不思議」が点在する。白山洞門は一見に値する。心地好い納経所です。
39 延光寺(えんこうじ) 薬師如来 仁王門をくぐると背中に鐘を背負った赤亀の石像が在る。本堂の右手に「眼洗い井戸」が在り、眼病に霊験あらたかと伝わる。寺の朱印は亀の模様、白衣に押す方も多い。なお、鶴の朱印は21番鶴林寺。
40 観自在寺
  (かんじざいじ)
薬師如来 1番霊山寺から最も遠い場所にあることから、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれる。本堂へ向かう途中の左手に八体仏十二支守り本尊があり、お水をかけて願事をすれば叶うと伝わる。境内にはカエルの置物もある。
41 龍光寺(りゅうこうじ) 十一面観世音菩薩 「三間のお稲荷さん」とも地元で呼ばれる。山門は鳥居で、仁王様に代わり狛犬が守護している。何故か? 安らぎも薄く、素っ気なさを感じる処です。駐車場脇の墓地へ続く狭い階段を通り、次の札所へ向かう。
42 仏木寺(ぶつもくじ) 大日如来 茅葺き屋根の鐘楼があり珍しい。仏木寺周辺の道路には四季折々の花々が植えられ、歩き遍路の心を和ませてくれます。何故か、ホッとできるお寺です。
43 明石寺(めいせきじ) 千手観世音菩薩 「あげいしさん」と呼ばれることもある。賽銭箱は床に設えられ大きな口を開けている。寺院近郊の道順が判り難いので道順を間違わないように注意してください。
44 大寶寺(だいほうじ) 十一面観世音菩薩 前の札所43番から久万高原の山中を越えて二日の道程68km、冬場には積雪や道の崩壊も多く、事前の道路情報入手が大切。内子町から大寶寺への道筋では、宿情報入手に注意を払って宿泊場所を選んでください。なお、参道は荒れています。
45 岩屋寺(いわやじ) 不動明王 奇岩奇石がそそり立つ標高700mの位置に在る。本堂横に法華仙人堂跡に登る梯子が架けられている。大師堂奥の参道を上ると奥之院「逼割(せりわり)禅定」があり、納経所で承諾を得て上ることができる。要注意です。
46 浄瑠璃寺
  (じょうるりじ)
薬師如来 境内鐘楼の横に仏手石があり知恵や技能に霊験あらたか、本堂手前に仏足石があり健脚や交通安全に霊験あらたかと伝わる。参道入口に子規の句碑もある。丁寧で心の添えられた墨書御朱印で対応してくださった数少ないお寺です。
47 八坂寺(やさかじ) 阿弥陀如来 小川の橋を兼ねた山門天井には極採色の絵が描かれている。本堂に向かう石段の下から十段目外側に「救いの手」がうっすらと彫られている。捜してください、「九難を去る救い」の手とされ霊験があるとのことです。
48 西林寺(さいりんじ) 十一面観世音菩薩 仁王門の位置よりも境内が低い場所に在る。閻魔堂の前に二種類の竹が混在して生えており、親竹と子竹に見立て家庭円満の象徴として信仰されている。付近にはお大師様が湧き出させたと伝わる「杖の淵」の名水が在る。箒目もある心地好い寺院です。
49 浄土寺(じょうどじ) 釈迦如来 境内入口に子規の句碑あり。念仏聖、空也上人ゆかりの寺院。春、鐘楼横の枝垂れ桜は見事です。
50 繁多寺(はんたじ) 薬師如来 一遍上人ゆかりの寺院。鐘楼天井に極採色の絵が描かれている。山門は松山市街や瀬戸内海を一望できる高台にある。
51 石手寺(いしてじ) 薬師如来 仁王門は国宝、宝物殿には右衛門三郎伝説の「玉の石」が展示(有料拝観)されている。山門前に「渡らずの橋」があり、観光客も多い。仏像に積もったホコリも拭われ、ゴミ・ガラクタ等も片づけられていました。寺院らしい風情に立ち戻りつつあるようです
52 太山寺(たいさんじ) 十一面観世音菩薩 本堂は国宝。聖徳太子ゆかりの寺院。参道途中の「ほてい屋」の庭に「ねじれ竹」の株あり。鐘楼内部壁面に地獄・極楽の図あり、必見です。
53 圓明寺(えんみょうじ) 阿弥陀如来 本堂内部右上の鴨居に左甚五郎作の龍の彫り物あり。大師堂左の塀際に高さ40cmほどのキリシタン唐楼がある。本堂・大師堂の屋根瓦は芸術品です。感動し見惚れると思います。
54 延命寺(えんめいじ) 不動明王 山門は元今治城の城門の一つを移築、境内には「真念の道標」もある。シーズンにはつつじが咲き誇ります。*境内に一歩入ると病的な不安感に包まれます。要注意です。
55 南光坊(なんこうぼう) 大通智勝如来 今治市の中心街に位置する。大三島の大山祇(おおやまずみ)神社の別当寺八坊の一つが明治の神仏分離で分離独立したことに由来し「坊」がついている。御本尊の大通智勝如来は「法華経」に説かれる仏様で大山祇神社を本拠地とする河野水軍に信仰された如来である。
56 泰山寺(たいさんじ) 地蔵菩薩 田園の中に石垣を積み上げた処に在る。本堂斜め前に地蔵車があり、これを回すと六道輪廻の絆を断てると伝わる。六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天などで衆生が背負う六つの迷界を意味するそうです。回してみてください。*虚ろな風情です。
57 栄福寺(えいふくじ) 阿弥陀如来 本堂右の回廊に箱車が奉納されている。これは、昭和8年に歩行障害の15歳の少年が犬に引かせる箱車と松葉杖で巡るうちに、この寺で転倒した。それをきっかけに少年は突然に歩けるようになったので、箱車を奉納したものだそうです。
58 仙遊寺(せんゆうじ) 千手観世音菩薩 山門から急傾斜の参道を上る。本堂には御本尊と繋がる紐が有り、間接だが触れ合うこともできる。宿坊は温泉、精進料理玄米御飯が提供される。この寺が「竹炭」発祥の地です。
59 国分寺(こくぶんじ) 薬師如来 境内に握手修行大師石像があり、握手しながら祈ると願い事を一つ叶えてくださるとのこと、握手してみてください。
60 横峰寺(よこみねじ) 大日如来 冬季は積雪、春には石楠花が咲く。本堂左手前に星供大師(右手に剣、左手に星供野巻物)が祀られている。下り遍路ころがしは約4時間必要。
61 香園寺(こうおんじ) 大日如来 聖徳太子の開基。大きな大聖堂に入ると本堂と大師堂が設けられている。境内には子安大師堂があり、安産・子育てに霊験あらたかと伝わる。
62 宝寿寺(ほうじゅじ) 十一面観世音菩薩 大山祇神社の別当寺として創建、大同年間に宝寿寺となる。 前住職が退き、新たな住職のもとで納経所の受付時間や金額は他の寺院と同じになりました。  最近は、以前の空虚な雰囲気も晴れて寺院の空気も澄んできているようにも感じます。
63 吉祥寺(きちじょうじ) 毘沙聞天 御本尊の毘沙聞天は四天王の多聞天。境内に中央部に穴のあいた1mほどの石があり、目をつぶって金剛杖を通せば願いが叶うと伝わる。又、くぐり吉祥天女の下をくぐれば富貴を授かるとも伝わる。
64 前神寺(まえがみじ) 阿弥陀如来 石鎚山の麓に在り、修験道の根本道場でもある。
65 三角寺(さんかくじ) 十一面観世音菩薩 境内に池があり、その池の中に弁財天が祀られた三角形の島がある。お大師様が三角の護摩壇を築いて修法された場所だそうです。寺院の名前の由来です。別格13番仙龍寺へは本堂の横側、山際に沿ってへんろ道が繋がっています。
66 雲辺寺(うんぺんじ) 千手観世音菩薩 標高911mに在り、最も高い場所に在る。境内には五百羅漢石像が並べられている。讃岐の打ち始め寺ですが、住所は徳島県です。
67 大興寺(だいこうじ) 薬師如来 地元では「小松尾寺」と呼ばれることも多い。境内には「三鈷松」が植えられている。また、参道脇には榧と楠の大樹があり、お大師様お手植えと伝わる。仁王門金剛力士像二体は運慶の作と伝わる。
68 神恵院(じんねいん) 阿弥陀如来 琴弾山頂上に在った琴弾八幡宮が明治維新の神仏分離令により、御本尊阿弥陀如来が琴弾山中腹の観音寺に移り、一つの境内に68番神恵院と69番観音寺が同居する形となっている。神恵院は、観音寺より石段を上った位置に在る。
69 観音寺(かんのんじ) 聖観世音菩薩 お大師様は大同二年(807)、この寺院の第七世住職で入山している。お大師様はこの地に仏塔を建て瑠璃・珊瑚・瑪瑙などの七宝を埋め地鎮を行い、寺院の名前を「七宝山・観音寺」に改めた。68番神恵院の山号も七宝山である。鐘楼天井部分には細やかな彫り細工あり。
70 本山寺(もとやまじ) 馬頭観世音菩薩 本堂は国宝に指定され、境内に五重塔もある。長寿の御守として六文銭(一文銭×6枚)が入手できる。三途の川の渡し賃にもなる。70番本山寺の山号も七宝山である。
71 弥谷寺(いやだにじ) 千手観世音菩薩 お大師様が「真魚」と 呼ばれた幼少の頃、大師堂奥の「獅子の岩屋」に籠り学問をしたと伝わる。山門から本堂まで五百段超の階段を上る。本堂横の岩壁に「磨崖仏(まがいぶつ)」 が浮彫りされている。弥谷寺は死霊の寺としても知られ、恐山や臼杵磨崖仏とともに三大霊場とされ、今も「弥谷参り」という風習が残っているそうです。
72 曼荼羅寺(まんだらじ) 大日如来 本堂前に西行法師の歌碑と昼寝石がある。お大師様お手植えの「不老の松」があったが残念にも平成14年に伐採された。その松の幹を刻んだ「笠松大師」がその場所に安置されている。
73 出釈迦寺
  (しゅつしゃかじ)
釈迦如来 奥之院が捨身ケ嶽禅定(くさり)禅定」、お大師様幼少期の神秘不可思議な仏陀伝説の地です。山門に向かう道筋に「三鈷松」が植えられており、松葉を持てば御利益を頂けるそうです。
74 甲山寺(こうやまじ) 薬師如来 お大師様の満濃池修築にも関わる寺院と伝えられる。大師堂左に毘沙門天の岩窟あり、毘沙門天石像はお大師様が彫ったと伝わる。
75 善通寺(ぜんつうじ) 薬師如来 お大師様生誕の地。父親の名前から「善通寺」と名付ける。東院には金堂、五重塔、赤門、大楠など。西院には御影堂、戒壇巡り、宝物殿、親鸞堂などが配置されている。 御影堂で勤行(翌早朝)に参加できますが、法話らしき内容は希薄です。 宿坊もあります。
76 金倉寺(こんぞうじ) 薬師如来 本堂の軒に祈願念珠が吊られている。念珠を回すと念珠玉がけたたましい音を立てて落ちてくる。この大きな音で仏様を振り向かせ、それから願い事をします。
77 道隆寺(どうりゅうじ) 薬師如来 境内には観音像が数多く並んでいる。本堂左裏側に御堂が在り、眼病に霊験あらたかと伝わる。
78 郷照寺(ごうしょうじ) 阿弥陀如来 境内から瀬戸大橋を眺望できる。時宗の寺院。大師堂左地下回廊に万躰観音洞があります。
79 天王寺(てんのうじ) 十一面観世音菩薩 保元の乱(1156)に敗れた崇徳上皇の霊を鎮めるため崇徳天皇社を造営、明治の神仏分離令により白峰宮と天王寺に分離した。
80 國分寺(こくぶんじ) 十一面千手観世音菩薩 山門をくぐると松の木の間に昔の礎石が点在し往時の大きさが推測される。梵鐘は四国最古の鐘で国の重要文化財です。でも、何と!一打100円の有料です。 防犯の為と称し夕方は早めに閉ざし、朝は7時以降でないと山門は開きません。不審者の一人としてお遍路さんも扱われているようで不快です。*慎ましさにも欠け、無礼で異形な寺院です。
81 白峯寺(しろみねじ) 千手観世音菩薩 五色台の白峰に建つ寺院。雨月物語の崇徳上皇の廟所が頓証寺殿である。
82 根香寺(ねごろじ) 千手観世音菩薩 山門前駐車場左山腹に「牛鬼」の銅像がある。本堂への石段右側に「役行者小角」像あり。本堂回廊には観音像が沢山祀られている。境内周辺に自販機なし。
83 一宮寺(いちのみやじ) 聖観世音菩薩 本堂の左手前に薬師如来を祀る小さな石の祠が在る。この祠に頭を入れると「新境地が開ける」と云われ、さらに深く入れると「地獄の釜の音」がゴーっと聞こえると伝わる。
84 屋島寺(やしまじ) 十一面千手観世音菩薩 鐘楼の梵鐘は鎌倉時代の作で「平家供養の鐘」といわれる。源平合戦古戦場、駐車場横には血洗いの池も在る。本堂の右には大きな狸像、蓑山大明神も在る。下りの遍路道は急傾斜で危険、足元を確認しながら注意して歩かれてください。
85 八栗寺(やくりじ) 聖観世音菩薩 山号は五剣山、昔は五つの峰があったが宝永三年(1706)の大地震に因り東の一峰が崩壊し現在の姿になった。四国霊場とともに境内の聖天堂は歓喜天霊場としても有名。
86 志度寺(しどじ) 十一面観世音菩薩 創建は推古33年(625)で、開基は藤原不比等、謡曲「海人」にも登場する古刹である。志度は「死渡」であり、志度の海辺は極楽浄土に続いていると伝わる。境内に五重塔があり、山門から見る五重塔は写真ポイントです。
87 長尾寺(ながおじ) 聖観世音菩薩 源義経の側室静御前が出家し尼になった寺院、剃髪塚が境内に在る。結願の一歩手前、長い道程を振り返るのも一計です。
88 大窪寺(おおくぼじ) 薬師如来 女体山越えのルートは厳しいが、直接境内に着きます。結願寺、納経所では「結願証」も発行(有料)される。大師堂右に金剛杖が沢山奉納(奉納料は\1,000と高額です。)されている。長尾寺からの道中に前山お遍路交流センターが在り、歩き遍路にのみ「四国八十八ヶ所遍路大使任命書(結願証明書)」が交付されるので、忘れずに立ち寄ってください。

   






  


御朱印御納経等の意味合いって…?  ??…?

 近年、全国的に「御朱印ブーム」が広がっていました。 一般的に、神社や仏閣に参拝した折に参拝者の持参した「朱印帳」あるいは「納経帳」に墨書朱印を授け、志納金を納める有様を「御朱印」と云い、全国的なブームにもなり、なかでも有名な神社仏閣ほどその人気を得ている状況です。 神社系は「御朱印」、寺院系では「御納経」と称されています。
 その意味合いについての説明は 神社系では
神様に参拝し御縁を結んだ“証”として、寺院系では御本尊に参拝し写経・読経を納めた“証”として墨書朱印を授け、参拝者は志納として朱印料又は納経料を納めるとされています。 「神様に参拝し御縁を結んだ証」・「御本尊に参拝し写経等を納めた証」が従前からの権威付けの根拠であり、“ありがたさ”を感じさせる由縁なのです。 神様も仏様も尊く神聖な不思議の霊性であって信仰の原点でもありますし、神仏の御姿・御尊顔を現世で参拝者が拝することもできません。“摩訶不思議の世界”です。 …然しながら、その“ありがたさの証”として現世に生きている人間が現に物質である朱印帳・納経帳に墨書し朱印を施して、金銭(朱印料・納経料)の受け渡しを現世で、現実に目の前で、生きている人間が行っているのです。 この故を以って“ありがたさの証”を担当する朱印処・納経所の方々は、その“ありがたさ”を減じたり裏切るような所作をしてはならないのだと思います。
 
新型コロナウィルス騒動の折、全国で大多数の神社仏閣が納経所を閉鎖し「墨書朱印」を拒絶する状況が生じました。 大多数の神社仏閣がとった一方的な行動は『「神様に参拝し御縁を結んだ証」・「御本尊に参拝し写経等を納めた証」』の権威付けそのものを自己否定する結果となりました。
 
今後、「御朱印」「御納経」の“ありがたさ”が冷ややかに見直されてゆくことになるだろうと感じます。





新型コロナウィルス(COVID-19)騒動の折、全国で大多数の有名な神社仏閣では参拝制限や拝観制限そして朱印処・納経所閉鎖等の措置がなされました。 他との接触等に因る感染拡散を予防する為、参拝や来訪の自粛要請や協力依頼の趣旨でした。 行政組織等の意向に添い、感染拡散予防に協調する姿勢は多人数の集まり易い施設や観光施設運営者の立場としては当然の対応でありますし、批判されるような筋合いでもありません。 然しながら、大多数の有名な神社仏閣が参拝制限や拝観制限を行い、朱印処・納経所等を神社仏閣側俗世間的合理的判断自己都合優先衆生救済理念放棄で閉鎖措置等がなされたと云うことは、従前の“ありがたさの証”権威付け自らが放棄し、“証”の根拠虚しい作り話絵空事であったと云うことを白日の下にさらけ出した、ということになってしまったのではないでしょうか。…?。
 今後、神社仏閣等を参拝される方々は
虚しい絵空事などに惑わされること無く、冷静に“ありがたさの証”について見直してみることも必要なのかな? とも思います。 私ごときには判りませんが、近年に広がりを見せていた「御朱印ブーム」も新型コロナ騒動での神社仏閣側の対応姿勢等から"ありがたさの証”虚言作り話が知れ渡ってしまったことに因って、ブームの沈静化が始まるかも知れませんネ。