お遍路さんの区分・分類 

1、お遍路さんの

 昔、お遍路さんにも上・中・下の区分があったのだそうです。
○「上遍路」とは、他家の門口に立ち勤行を唱え一手一銭の功徳を受けるなどの修行を重ねながら巡るお遍路さんをいいます。
○「中遍路」とは、他家の門口に立つなどの修行を行わず、四国88個所を歩いて巡るお遍路さんをいいます。
○「下遍路」とは、合力を連ね(人夫を雇い)この人達に荷物を運ばせ自分は身軽に楽をして巡るお遍路さんをいいます。

遍路

 最近では、門口に立ち修行するお遍路さん「修行遍路」(1日七軒、他家の門口での立ち勤行を修めつつ巡る。)は見受けられません し、門口に立ち修行を志す僧侶も全く居ません。 また、お遍路から納経料や志納金の布施を受けている立場の札所寺院自体が逆に境内での托鉢を禁じるなど、 修行遍路への支援姿勢や保護意識も薄れており、修行をしながら遍路を続けることへの理解者や居場所などは無くなってしまった状態と思われます。 そして、 修行の上遍路さんは昭和30年代後半以降に居なくなったと思われます。 お遍路の道中でへんろ道の補修保全活動や道筋の清掃活動など「下座の行」と「利他の心」を抱かれて巡るお遍路さんも稀に見受けられますが、現在の上遍路とはこうしたお遍路さんを指すのだろうと思います。

遍路」修行のお手伝いを希望する方はご相談ください。 上遍路とは、菩提と繁栄等を祈り、他家の門口で立ち勤行を修め(一日七軒)つつ巡る修行の遍路旅を云います。

遍路

 自ら発心し、辛苦を厭わず、雨の日も風の日も、自分の脚で歩いて巡られる「歩き遍路」さんが 現在の中遍路さんに該当するのだろうと思います。

遍路

 観光バスやタクシーツアーなどに参加し、「歩くという原点」から遠く離れ去り、リュックも背負わず、引率されるまま納経まで他人任せの「団体さん」は現在の下遍路なのでしょう。 同様に歩く原点から離れ、自動車や二輪車を利用している「札所巡り」さんも下遍路に含まれるのでしょう。


似非(えせ)遍路

 上・中・下以外にも「遍路じゃない遍路姿の人」がいろいろと居るようです。

こじき遍路 他人の善意やお接待を当てにして、然も、それが当然のごとくに振舞う「心のさもしい遍路」を指します。 受けたお接待を自慢げにブログに載せたりするお遍路さん達はここに属します。 残念ながら、心のさもしい遍路は周りの方々への施しや自らお接待する気持などを持ち合わせていませんので、遍路修業とはほど遠い寂しい方々です。 こじき遍路に堕ちないようにご注意ください。

偽物遍路 縁日や催事場などで、遍路姿を真似て布施を媚びる或いは納札を渡して金をせびる等、善意の方々を騙すだけの「偽物の遍路」を指します。 また、道中で時々姿を現すのですが、札所巡りの「錦札」や「先達札」をこれ見よがしに見せたがる様子の傲慢遍路もここに属します。 *「納札入」容器の上に錦札を敢て置いてゆく愚者も居ます。⇔傲慢さに汚れたゴミです。

口毒遍路 功徳を積む振りをしていても、道中で宿の悪口や寺院への不満、少しばかりの知識を振りかざすなど「周囲に口毒を撒き散らす遍路」を指します。 時折り見受けられることですが、数回程度の歩き遍路体験者の中には「謙虚さ」や「素直さ」を見失い、浅はかな経験や少しばかりの知識を押し付ける疎ましい「先達もどき」も存在します。それらの先達もどきがお宿お遍路さんに対して少なからずの迷惑不快感撒き散らしているのです。

無謀遍路 気合だけで遍路を始める人で、準備も知識も不十分、軽率で「周囲に心配を押しつけるタイプの遍路」を指します。

Walker   お遍路の装束も身に着けず、自分の都合で「自分勝手にウォーキングしている方々」を指します。


 昔と変わらぬ本物の「歩き遍路」に関心のある方はこちらもご覧ください。⇒ お四国センター 直心(じきしん)


2、お遍路さんの区分  ⇒「お遍路さん」と「札所巡り」と「団体さん

 最近の四国八十八箇所を巡る方々を客観的に区分すると次のようになると思います。 区分根拠は四国八十八箇 所の巡り方と主体性保持の有無により独断で判定しています。 「お遍路さん」と「札所巡りさん」と「団体さん」に大きく区分すれば整理と理解がより判り易 くなります。 

     体験を土台にして巡り方と主体性の有無を基準にした独自の分類です。
分類 人数区分  区分  交通手段など    概 要 主体性の
3名以下  お遍路さん  徒歩 リュックを背負い、自分の脚で修行の路を巡ります。自由自在・自業自得・自主自立の世界、本物の「歩き遍路」です。*年間で3千人弱のお遍路さんが、本物のお遍路で結願されています。
 お遍路さん  徒歩+公共交通機関 リュックを背負い、自分の脚とバス・鉄道なども利用して修行の路を巡ります。自由自在・自業自得・自主自立の世界です。歩くという原点が不完全なので心残りと云い訳が生じます。
 札所巡りさん  自転車(含二輪自動車) 歩くという原点から離れます。荷物は自転車に載せ運びます。四国に散在する札所を巡りますが点から点への移動旅です。天候の影響を受けますが自分で計画し、自分の脚力にも依るので主体性は有します。
 自動車(マイカー) 歩くという原点から遠く離れます。荷物は車に載せ、身軽です。天候にも左右されず、効率的に四国に散在する札所を巡りますが点から点への急ぎ旅です。スタンプラリーになりがちですが、自分で計画してルートも選び運転もしますので主体性は有しています。
4名以上  団体さん  伴走車+集団ウォーキング 募集ツアー等に参加し、引率され、気楽にウォーキングして います。おしゃべりもしながらなので、自分のリズムでは行動できず、他の参加者の遅いペースに引きずられてしまいます。疲れたり遅れると伴走車に収容され、軟弱者として車輛移動できますので、始める前から「甘え心」も生じ「本来の修業とは程遠い」ものとなります。団体行動ですから時間に追われ、日帰り等の日程にも制約されて主体性等はありません。自由自在・自主自立とは全く異質な「遍路姿での集団ウォーキング」です。
 自動車・ジャンボタクシー 歩くという 原点からは遠く離れてしまっていることから、札所での「参拝形式や装束にこだわる」ようになってしまいます。他の参拝者やお遍路さんに迷惑をかけないよう 注意しながら集団行動で巡ります。しかし参加者にマナーの劣る人がいれば団体のマナーレベルもその人のレベルまで堕ちてしまいますし、参加者個々の存在感 も「参加人数分の一」と希薄です。募集ツアーに参加し引率されて、札所から札所を急ぎ足で訪れる気楽な自動車旅行です。業者の企画通り、時間に追われて従うだけですから主体性等はありません。納経までも他人任せですので札所寺院の名前も定かでなく、旅行内容の優劣や満足度は担当する先達さんの指導や技量水準により決することが多いようです。そして、四国88箇所の札所を巡ったことがある、という記憶だけが残ります。
 観光バスなど

基本事項】  お大師様が約1,200年前(792年)に修行されたと伝わる足跡を辿り巡りゆく修行の旅人を『お遍路(現在は「歩き遍路」と表現されます)』といいます。 「お遍路」はお大師様の歩まれた足跡を辿り巡りゆく修行行為それ自体本来のお遍路なのです。  現在の四国八十八箇所札所巡りの寺院は、江戸時代(1687年)に四国遍路中興の祖といわれる宥辨真念聖が遍路の道筋に散在していた寺院の中から八十八の寺院を選び1番から88番の番号を付けたことに起因して始まりました。 江戸時代以降は本来の足跡を辿り巡りゆく遍路の修行行為に従して、道筋に散在する八十八の寺院にも立ち寄り御大師様をはじめ先人賢哲や聖に畏敬と感謝の念を捧げつつ、四国の山野を巡る修行の旅をされているのです。
 なお、観光バスなどを利用して四国島内に散在する八十八の札所
寺院に参拝することを旅行の主目的として、バスや自動車等で点と点の寺院を足早に車移動してゆく旅行者のことを「札所巡り」さん又は「八十八霊場巡り」などと表現し、それらをまとめて「団体さん」と称して区別しています。 


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