ひとりひらひらとは、一体何なのか。
独り言なのだ。
独り言。
そう、独り言。
さて、雪降る山に籠もりて、何思う。
孤独か?
風か。
人間のざわめきか。
空を見上げると、木々の合間に星が見える。
閉ざされた空間に浮かぶ星。その前を風に吹かれた雲が行く。
どんぶらこっこ、どんぶらこっこと。
一体どこに行くのか、白い雲。
流れる風に逆らわず、流れ流れてどこへ行く。
内なる自由
老子。有と無を説く。無とは意味の無いものではないと。コップには何も無い、先々液体を満たす空間『無』があるからこそ、有としてのコップが成り立つ。建物が建っている所、そこに新たなる発展をさせるには、建物を壊してまず『無』を作らねば新しい建物をつくり出す事はできない。つまり無は有をつくり出すと。
無は有をつくり出す。
なるほどほど。
そういえば、インドに破壊の神でありながら、なにやら生み出す神がいた。なんちゅう名前だったか忘れた。まさにこれだ。
タイのトイレ
タイのトイレに入って、困った。神がない。いや紙がない。古いギャグだ。ティッシュがポケットにある事を確認して、さて、座ろうとした。洋式トイレの便座がない。あらら、壊れているのかと思いつつ、なんとか無理して用をたすと、手を洗おうと、あたりを見た。バケツが置かれている。中を覗くと、水。しばらくどうしたものかと考えていたが、このバケツに手を突っ込むと、手を洗い、あたりに振り飛ばし、外に出た。
日々、私はトイレに通った。そして、違った場所のトイレに入った。そこのトイレにもやはり神はいなかった。そう紙が無い。今度は、バケツも無い。あるのは、小さなシャワーが便器の横に付いていた。それを眺めて、この小さなシャワーで、便器にくっついてしまった物を洗い流すのだろうと考えた。すすんでいる。やがて、どこからか情報が入った。タイでは、紙を便器に流さないと。いや流してはいけないらしい。今まで流していた私のお尻を拭いた紙は、今頃どうしているのだろ。知ってしまった以上、今後お尻を拭いた紙をどうすればいいのだろかと考えた。んんん。やがて再び、情報が得られた。タイの人々は紙を使わないと。そして水を使って左手でお尻を洗うのだと。だから左手は、不浄なのだそうだ。そこで、だんだん分かってきた。あのバケツの水。小型シャワー。なるほど、あれでお尻を洗うのだ。
すすんでいる。タイは昔から、手動ウオッシュレットをやっていたのだ。そこで、私も紙を使わず、小型シャワーでお尻を洗った。バシャバシャと。ついでに言うと、タイのトイレは日本と同じ、しゃがみこみ式なのだが、西洋トイレの縁が広がった、高床式和式トイレというような感じで、広がった縁に足をのせて、しゃがむ。ホテルやそれなりの所では、西欧化が進み、便座付トイレにトイレットペハパーではあるが。一般的には、しゃがみ込み式、バケツに水や、すすんでいる所で小型シャワー。ほとんど川に垂れ流し、海に垂れ流しの状態と思われるので、紙を使わないのは、よいと思われる。暖かいので、川や海には、沢山の魚がいる。その餌になる。川や海にトイレットペーパーが浮いていなくて良かった。ところで、私は、小型シャワーでバシャバシャお尻を洗って、お尻はたいへんきれいになったのだが、パンツをあげようとして、動きを止めた。はけない。尻がびしょびしょ。一体タイの人はどうしているのだろう。お尻を振っても限界がある。しかたがないので、ティッシュペーパーを取り出し、お尻を拭き、さてこの拭いたティッシュはどうしたもんかとあたりを見ると、小型ごみ箱のような物がトイレの片隅に置かれていた。そこに、紙を押し込むと、私はパンツとズボンを上げ、戸を開けた。
ここで、神・紙のオチをつけようと思ったが、考えるズクがなかった。
その2につづく
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