梅雨入りを果たした6月の雨にしては随分と冷たく、その夜はまるで春の初め頃に逆戻りしたかのように冷え込んだ。
とうに寝巻きをTシャツとハーフパンツとに衣替えしていた俺はどうにも寒さに耐えられず、つい3日前に早々と夏仕様にしてしまった(ずるずると先延ばしにしてちっとも片付かなかった引越し荷物のことを反省したのだ)寝具―要するにタオルケット一枚である―をもってしても問題が解決しないという事実を不承不承認めた。午前1時のことである。
一度潜り込んだ布団から身を起こすのは億劫だったが、やはり暖かくしてぐっすり眠りたかった。
暗闇のなか手探りでデスクスタンドだけを点けて箪笥の中を探る。布団だけでなく夏物以外の衣類もほとんど押し入れの中に仕舞い込んでしまっていたが、何かしら残っているだろう。
…と思ったのだが。
……ない。
部活で使ってたジャージの上下──そういえばだいぶ前からロッカーに入れっぱなしだ。
割と気に入ってる黒のパーカーは──この前ドレッシングこぼしてクリーニング中だった。
オレンジのボーダーの入ったカットソーが──ここ1週間くらい洗濯物溜めてたっけ…
カーキのロングTシャツは?──あ、小野に貸したままだ。
一番下の段の底の方に畳まれたニットを発見したが、さすがにこれを着て寝る気にはなれない。
かといって、押入れから封印された衣服を取り出す気にはもっとなれない。それらは布団と共にひとまとまりの超巨大真空パックとなって─以前俺が通販番組を見ながら「コレいいな」と言った翌日スズキが作ってきたのだ─収まっているからだ。
──どうしようか。
俺はしばし途方に暮れた。ザアア、と雨の音がひときわ大きく室内に響く。暗い窓の外では向かいの家の庭の木々が、激しく雨に打たれて項垂れていた。
仕方がないのでジャケットと例のニットをタオルケットの上に重ねて掛けてみると、割と暖かい。これならなんとか眠れそうだ。深く潜り込んでライトを消そうとしたとき、
「……あ、」
思い出した。グレイのカーディガン。あれはどこだ?
自分でももういい加減にしたかったが、中途半端に目が冴えてしまって頭から離れない。ただ再び部屋を探し回る気力はなく、適当な服が出せなかったのはスズキのせいだという半ば八つ当たりめいた気持ちもあって。(しかもたいていの俺の失せ物の行方はスズキが知っている。)
まあその程度の軽いノリで奴に電話をかけてみたのだ。
「──…はい、もしもし…」
「ああ、スズキ?俺…カジだけど、」
「──うん?どした?」
普段なら例の研究とやらに没頭しているはずの時間帯だったが、どうやらスズキは寝ていたらしい。珍しいこともあるものだ。
「寝てたのか、悪い。別に大したことじゃないんだけど…スズキ俺のカーディガンとか知ってたりしねえ?灰色の。」
「ああ…衛星システム追跡装置通称“ガーディアン”なら…つい2時間前に…完成して…」
「いやそっちのことじゃなくてっていうかそっちがどっちなのかも俺よく知らないんだけど多分それじゃない。ごめん、起こしちゃったみたいで。自分で探してみるわ」
スズキの言動は起きているときも意味不明なので、まあ特に驚くには値しない。口数も少なくペースもゆっくりなぶん分かりやすいくらいだ。わざわざ眠っているところを悪いことをしたなと思い、早々に切り上げることにした。
「─まだ…試作品の段階だが…NASAとの約束の期日には…とりあえず…」
「今回は随分とグローバルだな…そうかそれは大変だったなしっかり休め。それじゃあ…あれ?」
電話をしながら何気なく眺めていたソファの端の方―肘掛とクッションとの隙間あたりに、見覚えのある布が覗いていた。
「あった!」
「何だって?──あれ、カジ?」
俺の大声で完全に目が覚めたのか、スズキの声は先刻よりもはっきりとしている。
「起こしちゃってごめんな。なんか妙に気になっちゃってさ。でもまさかなあ、気がつかなかった」
「?」
「灯台下暗しだな。こんなのをずっとこんなふうにしたまま傍で生活してたんだから」
「??…こんなのって何?どんなのだ?」
「どんなのって…知ってるだろ?」
それは一昨年の秋口あたりに買ったもので、今では部屋着として使っているから俺が着ているのをスズキは何度も見ているはずだ。ああそういえば、俺が気に入って購入した理由のひとつでもあるその青が混ざったような独特の色合いを見て確か、
「スズキ好きだって言ってなかったか。」
「………」
「……?」
おかしい。また眠り込んでしまったのだろうか。おいスズキ?と呼ぼうとしたら、
「いつから。」
ひどく真剣な声が返ってきた。電話を首に挟んで両手で広げてみると、くしゃくしゃと皴だらけになってしまっている。
「たぶんずっと前からだろうなー…俺もうっかりしてたんだな。よしこれで眠れる。遅くに突然悪かったな。おやすみ」
電話の向こうで「えっ」とか「ちょっと待てまだ聞きたいことが」、とか聞こえた気がしたが、スズキから再び電話はかかってこなかった。今度こそスタンドを消し、慣れた肌触りの柔らかい生地に身を包む。
「あったけー…」
雨は激しく降り続いている。
その音を聴くとはなしに聴いていると、すぐに瞼が重くなった。
明日は晴れるだろうか。
その夜の夢には、人工衛星が出てきた。
人工衛星に乗ったスズキと、ケータイで話している夢だった。
翌日大学で、真っ赤になったスズキと顔を合わせるのはまたあとのこと。
その理由が判明するのは、更にもっとあとのこと。