勢いよく閉まったドアで舞い上がった枕の羽根 今夜はついに彼女を怒らせてしまった
昔の恋人のくれた目覚まし時計を 何度言われてもずっと使ったのが気に入らない
飛び出した彼女の手の中でチクタクまるで時限爆弾
近くの空き地に違いない 今すぐ追いかけよう
「──走る君の髪で…シャツで…揺れるたくさんの白い羽根…」
…確かこんな歌詞だったような。それとも「たくさんの」じゃなくて「まっさらの」だったっけ。荒い呼吸の下では、キイの上がった「白い」が上手く出なかった。
──こんな彼女可愛いよな……。
夜道を必死に駆ける自分のこの状況に、ふと昔持っていたCDの歌を思い出したのだ。ただ詞の中の「僕」と違うのは、今が午前4時という「今夜」とは呼び難い時刻であるということと、俺が追いかけているのが「目覚まし時計を持って飛び出した彼女」ではなくあろうことか自発的に飛び出して行った狂った目覚まし時計のみであるということ。それでもって目覚まし時計がその古式豊かな両側ベル部分に俺の大事なDIESELの鞄(本日提出期限のレポート入り)を引っ掛けたまま疾走しているということ。
「──君はきっと…どうしようもない…僕に」
「君」? 「君」って誰だ。
「…降りてきた天使…」
嗚呼、ベルの音が遠くなる。
──それは春休みが間近に迫ったある日の第5講義室。
「カジ大事な話なんだけど」
「ナニ?」
真面目くさったスズキに向かい合った俺も負けず劣らず必死だった。
「俺たちのこれからに関わること」
「うん」
ひとつ前の席に座った女の子2人が勢いよく振り返り、斜め後ろの席からは「ごふッ」という音が聞こえた。多分小野がコーヒーを噴いたのだろう。だが気にしてはいられない。スズキは俺の目を見つめ、俺はスズキもといその左手、正確に言えばその下のレポート用紙を見つめ返した。
「俺はカジともっと話してたいと思うし、この偶然にすごく感謝してる」
「…スズキ…」
「──だから…もしカジさえよかったら…」
頼むからそこで頬とか染めないでもらえますか。前の女の子たちはそれまでのお喋りをぴたりとやめ、1人は手を膝の上に置いて何やら恐ろしいくらい神経を研ぎ澄ませてるし、もう1人は携帯を取り出して猛烈な速さでキーを打ち始めた。後ろからはガシャンという音と共に、「おい小野?!どうしたんだよ?!」という数人の声が聞こえてきた。チクショウしょうがないだろあのレポートに俺の単位かかってるんだよ。
「…スズキ、俺は何をすればいい?」
スズキは頭が回る割に利己的な部分は全くと言うほど持ち合わせていない(ように思われる)ので多分交換条件など提示する筈もないのだが、こうやって自主的に申し出てしまうあたり俺のもって生まれた性質の哀しさだ。
「…えーと、あ…その…あのな、」
口ごもるスズキなんて初めてかもしれない。例の実験絡みのときは、いつもムダにキラキラした笑顔で直球に突っ込んでくるのに。俺から外された目線が暫くの間あてもなくさまよい、突然心を決めたかのように前方の一点で止まった。
言ってみろよスズキ、そのレポート貸してくれるなら何だってするから。
「──実は…」
俺は死に物狂いでそれを断った。代わりに奴の試作品「カニカマボコ風味カニ」を一ヶ月試食し続けることをふたつ返事で約束した。
つきあってもうすぐ一年でずいぶん仲良くなったから キスしたって抱きしめたって挨拶みたいに思ってた
……えーとそれでどう続くんだっけ。
午前3時33分に突然けたたましく鳴りながら俺の部屋を飛び出した目覚まし時計(と鞄)を追いかけ始めてから丁度一時間が経過しようとしていた。どういう仕掛けになっているのかまるでスキップをするようにぴょんぴょん弾みながら結構な速度で逃げる目覚まし時計は、人ひとりがやっと通れるほどの狭い路地裏に入ったり公園の砂場の中に潜ったり、駅の駐車場隅の茂みに飛び込んだりして俺を縦横無尽に引きずりまわすくせに、俺がその姿を見失いそうになるとご親切にもそのベルで誘導してくれるのだった。
「──…夢だったとしたら…随分…疲れる…夢だよな…」
その距離は大分縮まっていたが、届きそうで届かないのがひどくもどかしい。
「ったく……部活でもこんなに走ってねぇっつーの…」
突然時計が一際大きく跳ねて、ぴたりと止まった。つられて立ち止まると、それまで視界の隅を流れ続けていた周りの世界も停止した。
「…あ」
途中からうすうす予感はしていたのだが。
さんざん回り道をさせられて辿り着いたそこは、見覚えのある―というか俺の通う―大学の校門前だった。
やっぱり空き地で見つけた君はなんだか他人みたいに 僕におじぎをして見せた
“愛をかんちがいしないで下さい”って
──おいスズキ、どういうつもりだ。
スキップを停止した後一度くるりとこちらを振り向いた(!)目覚まし時計は、チャンスとばかりに伸ばした俺の手をするりとかわして校門を飛び越えた。慌てて俺も校門に手を掛けるが、それは自然にギィと開いた。もしかしなくてもやっぱりスズキか…。
(多分あのカニのことだろうな…)
心当たりはあった。一ヶ月毎日つけるようにと渡された問診表(チェック項目1〜145)をここ2日ほど出し損ねていたのだ。
(いや、でも…ッ!渡す機会がなかっただけでちゃんと食ってるし!チェックもしてるし!)
適当に埋めてもばれないものを何故か毎日食って回答を吟味してしまうあたりも持って生まれた(以下略)。いや、毎日こまめにカニの脚からカニカマボコ味の身を出して食うというのもかなり虚無感を呼び起こす作業なのだが。でもそれにしたってこの状況に何の意味があると言うのか。スズキは一体俺に何をさせたいのだろう。アレか、嫌がらせなのかスズキよ。目覚まし時計だけなら諦めるのに、わざわざ大事な鞄付きでなんて。それとも何だ、別口の実験なのか?
構内に侵入した時計は桜並木の植えられた芝生を、更に速度を上げて一直線に横切った。体力の限界に達していた俺は、建物の陰に飛び込んだその姿をまたも見失った。
「…なんで…そんなに速くて…鞄落とさないんだよ…」
思わずアスファルトにしゃがみ込む。桜の枝越しに見上げた月はもう大分白んで、空は群青色に染まり始めていた。俺はそのまま腰を下ろして目を閉じ、やがて聞こえてくるだろうベルの音に耳を澄ませた。冷たすぎる筈の2月の早朝の空気が、火照った身体には心地よかった。
君が両手を空に上げて、
耳元でその音が鳴った。いつの間にこんな傍まで戻ってきていたのか…いいやそんなことよりも。
──いける。
「取っ……!」
目覚まし時計は飛んでいった
──2階の窓へと。
「…っなんでだよ!!」
まるで誰かを見送るように そっと微笑んで…
その窓に続いていたのは、いつかの第5講義室。よじ登ろうにもとっかかりがなく、講義棟の入り口(やはりそこも開いていた)に回ってようやくそこへ辿り着いた俺は、暗幕が下ろされているために一筋の光も入ってこない暗闇の中で必死に目を凝らした。
──スイッチどこだったっけ…?
情けないことに講義室に入ってから闇雲に動いたせいで、扉の取っ手はおろか壁さえも探り当てられない有様だった。
──落ち着け。
俺は立ち止まり、深呼吸をひとつした。とりあえず目が慣れるのを待とう。
だが目が慣れるよりも先にベルが鳴った。
「!」
しかもその方角で蛍光塗料の塗られた文字盤がご丁寧にぼんやり光っているのを微かに確認できる。階段教室であるこの部屋のかなり上のほうだろうと見当をつけて、見えづらい階段を踏み外さないよう慎重にそちらへと近づいた。
あと5m。
あと1m。
…30センチ。
時計はしんとして動かない。今になって初めてその秒針の音が聞こえた。はっきりと。
まだ僕の髪でシャツで揺れるたくさんの白い羽根
壊れた目覚ましよりもっと痛かった君の気持ち
がしり。
そんな音がしそうなほどにしっかりと鞄を抱き締める。
「やっ…た…」
その途端、時計が再び騒ぎ始めた。
──ああもうこれさえ戻ってくればなんだっていいよ。
鞄の中身を確かめながらいつもの習慣で俺は停止ボタンへと手を伸ばした。
かちり。
──?
音は鳴り止まなかった。押し損ねたのかとそちらを見ると、折りよく暗幕が開き柔らかな光が射し込んできた。外はもうすっかり朝だ。
「…え?」
ボタンのあるべき位置にちょこんと乗っていたのは、ごくごく小さな銀色のマウスだった。そのコードは液晶画面を向こう側に向けていたこれもまた小型のノートパソコンへと行き着き、俺はなんだか例のお馴染みの嫌な予感に襲われた。恐る恐るそれをこちら側に向けてみると、
『お客様ご氏名:カジ エツト様
番号:090−××××−××××
メールアドレス:kajietsuto1201@t.vodafone.ne.jp
お申し込みサービス内容:LOVE定額サービス
(相手番号:090−■■■■−■■■■
相手メールアドレス:gajetno.1@t.vodafone.ne.jp)
サービス開始日:2006年3月1日
上記の内容で間違いございませんか? 決定
「はよーっす!カジ!!」
「!!スズキ!おま!これ!!」
「いやーやっぱり諦め切れなくてさ」
教室後面とつながる講義準備室のドアから顔を出したスズキはパソコンを持ち上げ、先程の画面が『少々お待ちください』と表示された手続き画面に移るのを目を細めて満足げに眺めた。
「あれはカニで決着ついたんじゃなかったのかよ!」
なんで。何が悲しくてこのサービスを─初めてCMを見たときいつか彼女と申し込みたいと夢見ていたのだ─をお前と受けなきゃいけないんだ。
「ほら見てよ、カジ」
奴は例のムダにキラキラした笑顔でぱちん、と自分の携帯を開いて見せた。ああやっぱりお前実験が絡むとそういう顔するんだな。
「俺のケータイ、着信も受信メールもカジでいっぱい。」
お前もだろ?と覗き込んでくるが、…やっぱり納得がいかない。
「──それにしたって…レポート入れた鞄使うなんて反則だろ。」
「? …あぁソレは違う。このまま俺んちで朝飯食って、一緒に学校に来ればいいなと思ったから。俺の方が大学近いし。だから鞄要るだろ」
…朝5時の講義室に何の用もない男2人が朝日を受けて突っ立ってる図はなんだか馬鹿みたいだった。ていうか馬鹿だ。
帰ったら部屋の掃除は僕が全部やるから 一緒に帰ろう
携帯のことやらイカレた目覚ましのことやらカニのことやら言いたいことは死ぬほどあるのだが、
「…俺ジャージだっつーの…」
とりあえず飯を食って少し眠ってから考えることにした。
すいません私はauです。捏造です
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