後付けの行為は好きじゃない。
変わらぬ愛の証だの最後のデートだの、麩菓子をチョコで覆ったような、アバラ屋ペンキで塗ったような、そんなケンキョウフカイな行為。指輪を買うのは心変りがこわいからで、最後の夜にドライブなんかに出かけるのはそれまでのすったもんだをキレイな形に清算しちゃいたいからだ。
人間なんていつだって感情先行で、だからつまり『それについてはまたあとで』と電話を切ったときには、そいつの腹は決まってるってことなのだ。
だから俺が普段なら気にも留めないその赤いパッケージを手に取ってしまったのはただの好奇心で、決して感傷なんかではない。
こんな菓子ひとつで未練が断ち切れるだなんて思っちゃいない。断じて。
「いったいどういう商戦なんでしょうね」
この時期出回るチョコレートなんてバレンタイン仕様か、さもなきゃ受験の願掛けネタでしょうに。
呆れの混じったトーンで普段の1.5割増しに冷たい声が右上方から降り、ついでにひょいと伸びてきた手が箱を奪った。当然のように俺のカバンを床にどかして隣りの席に座ったミズノはこちらをチラとも見ずに、その視線をパッケージへ落とす。
「ちょ、なにお前いきなり。」
「告白にも受験にも見切りをつけろってことでしょうか。」
「知らないよ。買ってから気づいたし。つーか勝手にカバン下ろすなよ、雪やら泥やらで床汚れてんじゃんよ」
「俺、この講義とってるんですよ。できれば先輩の隣りには座りたくないのでそこどいてくれると丁度いいんですけど」
「俺だってこの講義の単位に卒業かかってんだよだから30分も前から来て席を取ってんだよ」
「将来の夢が『詩人』なら大学の卒業なんか関係ないんじゃないですか。むしろ留年でもした方が箔がつくような気もしますが」
「詩人は職業じゃないし、なろうと思ってなれるものでもないんだよ。だからギャクセツ的に俺は職に就くためここを卒業しなきゃならない」
興味のなさを隠そうともしないおざなりな返事ひとつで会話が打ち切られたので、俺は床に落とされたカバンから文庫本を取り出しページを開いた。普段あまり本は読まないが、三島由紀夫はいいなと思う。鮮烈で繊細で、何より淀みなく難解なところがいい。意味を見失うまいと読書に集中できるから。
「ヤギサワ先輩はゲイなんですか。」
箱をこちらに寄越しながらミズノはこともなげに尋ねてくる。A定食とBランチどっちにしますか、とか来週の講義は休講ですよ、とでも言うような、さきほどのおざなり具合のままにポイと投げかけられた質問に俺は思わず正しい答えを返してしまった。
「ついでに言うと年上好みでしょう。」
どうして分かるの、という俺の質問にはミズノはわずかに眉をしかめただけで答えない。
「それでおおかた捨てられて、未練たらたらな気分をこんな物で切り替えようってわけですね」
「だからそれはたまたまd」
「甘いものなんか普段食べないでしょう」
とっさに言葉に詰まったその先を促すわけでもなく、ミズノはどうでもいいことのように卓上にテキストとノートを取り出した。実際どうでもいいことなんだろう。せめて『捨てられて』のくだりには反駁しておこうと、混乱した頭に接続詞や間投詞がいくつか浮かんで消えたが結局俺は黙りこんだ。もう一度本に視線を戻す。でも内容は全然頭に入ってこなかった。そのかわりに洗面所に置きっぱなしの指輪だとか、ヘンプを提げた車の匂いだとかがいまだ新鮮に思い出されて、それを懐かしく感じる自分に腹が立った。後付けするのは嫌なのに。どうしようもなく陳腐なそれらに、俺はもう後生大事な意味づけを与えようとしている。ミズノはひとつ溜息をついた。
「…ずいぶん安直なことだ。」
我ながらまったくその通りだ。そう思った筈なのに、俺の口からは全くべつの言葉が出た。
「おまえに何が分かるんだよ、」
好かれて好きになって有頂天になって、居なくなられて泣き暮れて。単純でありきたりでくだらない。危険に満ちた急展開もないし、あっと驚く結末もない。
でも好きだったんだ。正直言うと今でも好きだ。
「俺の、何が…」
自分の声が妙にうわずって耳に響いた。その気恥ずかしさに顔が熱くなる。ついでに目の前の赤い箱もじんわり滲んだ。ああ俺泣きそう、もう22なのに。こんなに人の溢れた大学の講義室で昼間から。泣きたいのか腹立たしいのか、弁明したいのかここから立ち去りたいのか、いろんな感情がごっちゃになってもうわからない。
ミズノはといえば信じられないようなものを見るみたいに、ぽかんとした表情で俺を見ている。普段は気難しい男前にこんな顔をさせたのはたぶん初めてだ。日頃からミズノは後輩の身分などお構いなしに、傲岸不遜な態度で眉ひとつ動かさず俺に理不尽で非道な要求ばかりする。
中途半端に伸ばされた腕が俺の20センチ隣りを所在無げにさまよい、また元の位置に戻された。
間の悪い沈黙が流れ、俺はてのひらで目を拭いながらその箱をミズノに差し出した。
「……やる」
後付けだろうがまやかしだろうが自己暗示だろうが、この際もう何でも構わない。できるものならこんな面倒な感情、見切りをつけてしまいたい。
白地にクッキリと描かれる赤い文字。中におさめられた情け容赦のない甘さを俺は想像する。
ミズノが口を開いた。
end.
実際の商品とはなんら関係はありません(当たり前)
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