2〜3年前にあげてた菊川作文を発掘したのでにぎやかしに再up
にぎやかしレベルとしてはハンバーグの脇のアスパラガス級です

菊川で遊んでみよう1の後の話だったんだろうな多分



「ほらもう遅いし、今から帰るのも大変だろ」
「10時前だし、電車あるよ」
「食事はまだ、」
「済ませてきた。あとは帰って寝るだけ」
「そういえばこの前お前が読みたいって言ってた本さ」
「それ先週借りただろ。あそうだ、今日丁度読み終わったから返す。ありがとな」
「…あ、だめだろエイミー毛がついちゃうだろ?でもそうか、そんなにお客さんに居てもらいたいのか困ったやつだなもう」
「……エイミー?」
「……………──名前だよ猫の…」

 上の会話は菊川の家の玄関先で行われた会話で、更に注釈を加えるなら会話の冒頭は妙な焦りの表情を隠しきれない菊川、末尾は痛烈な悔恨の表情を隠しきれない菊川のものである。
 どうも様子がおかしい。
 珍しくまだ洗われずにシンクに入れられていた食器は一人分には多く、先程まで来客があったのだと知れる。俺はソファに腰を落ち着け、自分の居るリビングとその向こうのキッチンを、そしてデスクトップに向かった菊川の背中を見遣った。
 今日立ち寄ったのは以前置き忘れた万年筆を取りにきただけで、それは夏の時分のことだった―─夏期講習の何日か目、拘束時間の長さにうんざりして気分転換にとここに仕事を持ち込んだのである―─から、この家の中に入るのは数ヶ月ぶりになる。
 相変わらず全てのものがあるべき場所に整えられた室内に大きく変わったところはないが(今しがたジャケットを掛けたハンガーの場所もおそらく。)、目に新しいとすればこの、ソファの前に置かれた足の低いテーブルだろうか。中央にガラスが嵌め込まれたこのテーブルは確か二階にある菊川の自室に置かれていたものだ。元からこの場所にあったテーブルの方は、所在無げに部屋の隅に置かれている。
「どうしたんだ、このテーブル」
「ああ、山内が来て一緒に夕飯食べたから。」
ソファに座っている人間が使うにはこのテーブルは低すぎるが、二人の人間が食卓を挟んでフロアに直接座るなら丁度いい高さだ。二人でソファに並んで食事をとるという図も妙だし、この配置なら例えば、ソファの左正面に置かれたテレビでDVDでも鑑賞しながら食事ができる。
しかし山内君が来ていたなら尚更、この落ち着かない様子は一体どうしたことか。
「─それで、何やってるのお前。」
 彼なりの恋愛観を尊重した俺は「家に入れておきながら食事だけして帰したのかこの甲斐性なし」などとは今更言わず、「どうした落ち着かないな遂に手でも握れたのか」とからかうこともせず、とりあえず当たり障りのない質問をしてみた。
「論文。明日までにサマリー説明できるようにしとかないと。和訳手伝ってくれないか、専門だろ」
「やだね。それこそお前の専門用語がちりばめられたそんな文学的要素の欠片もない無味乾燥な文章は読めないし読む気にもならない」
 菊川は眉を下げて「だろうな」と小さく苦笑した。薄い、形のよい唇がこころもち持ち上げられる。
 ──その男前をどれだけ持て余してるんだお前。
足にその丸い頭をすりつけてくる猫を抱き上げ俺はソファに戻った。
そういえば菊川と付き合っていた頃、こんな風にここで一緒に夕食をとったことはあっただろうか。
ダイニングで朝食を食べたり、このソファで酒を飲んだりした記憶はあるが、このリビングで食事をした記憶は見当たらなかった。夜はなにかと出歩く機会が多く、夕食を菊川ととること自体が少なかったからだろう。
「寝るのか?」
 菊川がこちらを振り返る。
「いやまだ。テレビつけてても構わないか」
「全然。コーヒーでも淹れようか」
「飲みたい」
 菊川といるのは楽しかった。聡いわりに優しすぎる気質も物静かな仕草も、コーヒーを淹れるタイミングも、全てが心地よく幸福だった。いっそ俺には不釣合いなほど。
 間もなくマグカップを手にした菊川が、俺に一方を差し出した。
「はい、先生。」
 いまだに菊川はふざけて俺をときどき「先生」と呼ぶ。
「どうも。──…どうした?」
 菊川の顔からは笑顔が消え、硬い表情でテレビ画面を見つめていた。
「これ…」
「ああ、確かこれお前も見たよな。DVDになってたから借りてきた。」
 どちらが言い出したかは覚えていないが、昔に見に行った映画のDVDだ。主題は人間愛だが、終局に至るまで随所に盛り込まれたホラーめいた展開に、エンドロールが終わる頃菊川は感動と恐怖が見事に混在した表情を浮かべていた。
「うんそうだった。…懐かしいな」
 そう言いつつ、画面に登場した無残な姿をした死霊から菊川はさりげなく――だが素速く確実に──視線を外した。

 その様子に、俺の中で何かがつながった。

 ははあ。
 今日のこいつの妙な様子はひょっとして。
「やっぱり気が散るか?」
「いやまさか…!俺そういうの、気にならない方だし」
 何度も首が左右に振られる。髪、また伸びたな。
「なあ菊川、」
 コトリ、と受け取ったカップを身を屈めて例のテーブルに置き、立ち上がる。
 左手に自分のカップを持ったままの菊川を、そのままゆっくりと壁際まで追い詰めた。
「…何、」
 額にかかる髪をそっと手で払いキスをした。離し際に唇を食むようにゆっくりと外し、二度目は首を傾けて深く交合するように。不承知を伝えるように右手がシャツの背中を掴んだが、左手のカップとその中身を諦めでもしない限り俺を引き剥がすことはできないだろう。
 歯列の向こうに探り当てた舌は、抵抗もしない代わりになんの反応も返さない。しかしその淡白な様子と裏腹な口内の熱さが先を促した。
 菊川のことだ。山内君を好きになってからずっと、キスさえ誰ともしていなかったのだろう。
 追い詰めるために壁に当てていた手をその首に添えると、菊川の身体がピクリと揺れた。さんざん一方的に口腔を蹂躙してから、菊川の口端から唇を離さないままで俺は告げた。
「日本語吹き替え版で流すぞ。」
 洋画であるその作品をそのまま流すくらいなら気にもならないだろうが、その音声が日本語となると話は別だ。ましてや一度見たことのある作品なら、ストーリーの展開が分かってしまう分だけ尚のこと。
「──…何なんだよまったく…」
 覚悟を決めたように菊川は右手で俺の頭を引き寄せ、自分も顎を引き上げて更に交合を深くした。

「よくできました。上手になったな、菊川」
 菊川といるのは楽しかったし、今も楽しい。
 だから早く菊川、存分に優しくできる相手を手に入れるといい。俺が妙な気を起こす前に。
 まったくもって納得がいかないといった態の菊川を残し、俺は洗い物をしてやるべくシンクに向かった。







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