◆7◆
「目をつむって、また開いたらクヌギの木の横の長い長い階段の上に
立っていた。ずうっと降りていったらこの部屋にたどり着いたんだよ。
棺の中で眠っていてもよかったけど、退屈でしょう? クヌギに不平を
言ったらしゃべり相手になると言ってくれた。」
ナミは俺の手を生前のようにポンポンと叩いてからかいながら
微笑んでいる。
「なら、お前としゃべっている俺も死んでいるのか?」
光を落とすステンドグラスには、白い鳥と、木の実を豊かに繁らせて
地球を抱く一本の木が描かれている。
「さぁ、どうなんだろう? 少なくとも君の心が“私”としゃべっているのは
確かだよ。」
その感覚も偽物だったらどうする、と問いかけて、俺は先程の事を思い、
やめた。 代わりに、気になっていたことを遠回しに尋ねてみる。
「……死者の為の、地下墓地って、言ったっけ。」
「そうだよ。」
改めて見たその部屋の天井は少し高いような気がした。 両の壁は何度
となくしみが重なって、茶とも灰とも黒ともつかぬ模様を作っている。祭壇
前に見え隠れする御影石の棺は黒光りをやめずに、その隙間からゴボゴボ
と水をあふれさせている。 碧色に澄んだ流れは俺の脚をすり抜け、
祭壇を覆うクヌギの根へ光をはしらせて上昇した。 実に奇妙というより
は、どこか荘厳にさえ感じる眺めだった。
「……随分、水が流れているな。」
「人の想いのつくる流れだよ。 死者は、生者の、あるいは死者が生者に
送った想いの河を流れ下り、自分だけの地下墓地にたどり着く。そしてもう
一度、クヌギと出会うんだよ。」
部屋の中は、棺から響くゴボゴボという水音と、外を流れる水流のつくる
オォ……ンという耳鳴りがどこか妙やかに調和した律動に満ちていた。
もしナミの言葉が本当なら、彼女をとりまく感情はなんと広大で豊かなの
だろう。ナミは一瞬、自分をつかんだ木の根を、きかん気の弟でもあるか
のようにやさしく見つめた。
「クヌギはこの水を吸って、新しい命を現世に送りだす。でも、こう見えて
随分さびしがりやでわがままなんだよ。 時々見回りの墓守が来るけど、
すぐにむずかって水を吸えなくなる。 だからここへ来た人が水を与え
るんだ。話しながら、ね。」
よく注意して見ると、水の放つ散光の粒が、ナミの長い黒髪を伝って木の
根へ消えている。そのせいで、彼女の背は肌色が透けるほど濡れていた。
「クヌギって、お前ん家の前のだろ。 こんなとこまで根を張ってるって
知らなかった。」
地下墓地があることも、だけど、とつけたすと、ナミは俺の手をユサユサ
揺らしておかしそうに、
「当然だよ。 誰だって死んでみなきゃわからないんだから。」と返答を
指先に返した。
「ずっと、ここにいるんだ?」
「まぁね、でも上にいた時と変わりないよ。 クヌギとしゃべってるから。
上にいる君のことも少しは彼から聞いてたんだ。」
「はぁ? 何だよそれ?」
「怒る?」
「当然」
憮然とした俺の顔が笑劇でも観るようにおかしいらしい。 地上にいたとき
みたいに軽く頬をつねってやろうかと思ったが、ナミは涙目のまま、ごめん
ごめんと言って笑いをどうにか収めた。そうして再びクヌギの方を向く。
「……いつもいっしょだった。」
「……え。」
「ナギが風邪をひいて来なかった時も、ほかの女の子と遊んでた時も、
飛び級して工学院に行っちゃった時も。置いていかれたみたいでうらめしく
てクヌギに不平を言っていた。」
半神みたいな雰囲気の消えない彼女から、こんな俗っぽい言葉がとび
だしたのが意外で、今度は俺が吹き出した。
「お前でもそんな事考えてたのな。」
「どうして笑うんだよ。ほんとにさびしかったんだよ!」
ナミはむっとした表情で俺を見上げたが、ぷうと頬をふくらませている
ところは、同年の少女とさして変わりないように見えた。俺の手はそこで
やっぱり彼女の頬をつねってしまった。 痛いよとばかり、ナミが顔を
しかめる。 一瞬おいて、今度は二人同時に吹き出してしまった。
「死んでもお前ってほんと変わらない」
「素直に言えばいいのに。 会えてうれしいって。」
どうやって来たのか知らないけど、とおかしなことを言ったので、俺はナミ
に腕輪を見せて、
「こいつだよ。 こいつがつれてきた。」
と告げた。 いつの間にか俺の手の中で鈍い輝きを増していたそいつを
見たナミの表情に、明らかに影が落ちるのが見てとれた。
「それ(うでわ)をつかって……?」
「そうさ、クヌギの木から聞いてないのか?」
俺はてっきりお前が全部知ってて……、と、皆まで言い切らないうちに、
俺が、そしてナミがいるこの空間全体が……ドクンと、鼓動した。 ナミが
はっとして扉の向こうを見る。
「ナギ、地上へ帰るんだ。」
「……え?」
「今すぐ、帰らなくちゃだめだよ。墓守が来る。……生者を嫌う、墓守が。」
俺を見た黄金色の双の眼は、いつになく厳しくて、反論の余地をかいまも
見せなかった。
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