◆11◆
___考えれば考えるほど、わからなくなりそうだった。しかし、俺が教授の
言葉に不快を感じた理由だけははっきりしていた。
“…….巻き戻し可能の、ビデオテープ、か。”
確かに腕輪があれば俺は苦もなくナミの所へ行けるだろう。しかし、俺に
とっては唯一の…..大切な幼馴染みだったナミを、そんな安っぽい次元で
語っていいものだろうか。全てが永遠になる、とコウ教授は言ったが、彼の
言う永遠はナミを壊れたら修理すればいい自転車か何かと同レベルに扱う
ということにもなる。腕輪の能力は科学者の端くれとしてすごいとは思うもの
の、俺はその部分については首を縦に振ることはできなかった。
“……おかしいな。俺は教授の言うことに賛成していいはずなのに。”
部屋を飛び出してもどこに行く予定も無いまま、俺は元来た道を戻り、
スラムへと向かっていた。午後の陽射しは体中を釜の中で蒸らすような
熱さで、いつしか首筋をじりじりと汗ばませる。空に立つ曽雲と共に、湿度
も上昇していくようだ。それを忘れようと、俺の足取りは先へ前へと速く
なっていた。途中、角を曲がる時、いつも見るタバコ屋を覗くと、その日は
珍しく午後から店を閉めており、軒先の早咲きの朝顔がみじめにしおれて
壁に寄りかかっているだけだった。あの路地裏に行くと、いつものように
子供達が数人、かたまって遊んでいた。先ほどよりも陽光は少し低くなった
が、気にする様子は勿論無い。あそこに3人、こっちに4人。……そして
その奥に彼らを見守るかのように例のくぬぎが立っていた。風は止んで
おり、暑さだけが広がる中に、しんとして枝葉を垂れている。しかしその時、
そこには一人の少年が立っているのも、俺の目は見逃さなかった。
“何をしているのだろう。”俺の目の中で少年は木の周りを一周した。
もしかしてクヌギのしたに何か見つけたのだろうか。どきりとして俺はクヌギ
の下へ走りよった。築地向こうから漂う線香の煙が僅かに水を含んで頬を
撫でる。少年はよく見ると俺もここいらで何度か見かけたことのある
いがぐり頭の七歳くらいの少年で、俺の顔を認めると、無邪気に微笑み
「こんにちは」
と澄んだ音色の挨拶をよこした。
「………こんにちは。」
どうやら何か見つけたわけではなかったらしい。さりげなくクヌギをを目の
端で観察した俺は心の中で安堵のため息をついた。少年は生前のナミが
やっていたようにニコニコとクヌギを見上げていたが、そのうち俺のほうへ
また視線を戻して
「お兄ちゃん、ナミねえちゃんはどこに行ったか知ってる?」
ときいた。
「え……..」
俺が驚いて眉を少し動かすと、少年は俺の顔色を勘違いしたのか、少し
悲しそうな顔をして、
「やっぱり、お兄ちゃんも知らないんだ……..」と尋ねるように言った。彼の
目の中でクヌギの萌黄色の裏葉がくるくると笑う。
「….いや、そういうんじゃ」ないけど、と言いかけて俺は口をつぐんだ。この
幼い少年にナミの行った場所をどう説明してやればよいのだろう。俺自身
だってまだよくわかっていないことなのに。困った俺は、とりあえず視点を
変えた質問を、逆に少年に返した。
「ナミはお前に何か言っていかなかったのか?」
うん、……言ったけど…、首をかしげながら少年は今度は目の前のくぬぎ
を指差した。
「…….ここだって。」
「……え。」
「…..こういう木が、クヌギがいっぱいあるとこなんだって。」
「…..。」
どきりとして俺は少年を見た。しかし少年は勿論何も知らない顔で話し
続けた。
「このあいだの土曜の夕方ね、ここで縄跳びしてたら白い服を着た
お姉ちゃんが家から出てきたんだ。もう暗くなるのにどこ行くのって
きいたら、クヌギが沢山あるところって言ったんだ。それどこなのって
きいたけど笑って教えてくれなかった。」
静かに話を聞きながら、俺はその土曜の夕方がナミの通夜の葉書の届いた前日であることに気づいた。
「僕もナミ姉ちゃんと一緒に行くって言ったけど、姉ちゃんは君には
行けない所だからって。」
「行けるところだったらついていったのか?」
少年はうつむいて、それからゆっくり言葉を選ぶように返答した。
「姉ちゃんは今までボクが一緒に行くって言ったら、いつもいいよって、
言ってくれたんだ。ダメって、言ったこと無かった。」
………そうだろうな…….と俺は小さくつぶやいた。
「どうして急にそんなとこ行っちゃうのってきいたら、神様に頼まれたん
だって言ってたよ。」
そうなのか、と口を平静で覆っていても、俺の鼓動は急速に速まって
いった。
「神様に頼まれて木に水をやりに行くんだって。でもそれ、すごく大変
なんだ。それに、神様からじょうろをもらわないとだめだから君はいけ
ないよって。」
少年はもう少しつついたら泣くんじゃないかと思われたが、口調はわりと
しっかりした様子で先を続けた。
「そう言ったとき、姉ちゃんはとても悲しそうだった。……姉ちゃんはダメっ
て言わない人だったもの。きっと何かわけがあるんだよね。多分、ボクが
姉ちゃんについて行ったら姉ちゃんが不幸になるのかなって思う。だから
…….だから僕、さびしいけど我慢するよ。それにね…….」
次の一言は俺の心へ広がりかけていた黒い雲の最中を突き抜け、その先
の無意識へ一筋の光を届かせるかに思われた。俺の手の中の腕輪が
一瞬とても重く感じられた。
「姉ちゃんは僕を好きだったこと、宝物にしたいって言ったんだ。僕と、
ずっと友達でいる為に。誰も辿り着けない所で僕とお姉ちゃんの気持ちを、
ボク達だけの“エイエン”にするんだって。……エイエンて何か
わかんないけど。」
___ただ一つしかない、永遠。ナミの涙の答えの欠片はもしかしたら
そこにあるのかもしれない。俺の肺の穴をふさいでいたコウ教授の言葉が、
静かに溶けて落ちるのを感じながら、俺はようやく心の底から安心した顔で
少年を見つめた。少年はしかし相変わらず首をかしげている。
「でもほんとに姉ちゃんどこへ行ったんだろう……」
また会えるのかな、そう呟いた少年の肩をぽんと叩いて俺は会えるさ、
必ずと言った。少年が不思議そうに顔を上げる。
「どうして?」
俺を見上げた顔は少し紅い。曇りの無い眼差しだ。きっと自分の口にした
とてつもない真実をわかってはいないだろう。…でも、今はそれでいい気
がした。俺は口の端を少し上げて笑ってみせた。
「ナミはいつでもどこにでもいるんだ。会いに行こうと思えば会いに行っても
いいんだぞ。」
「本当?」
ああ、勿論、と俺は悪戯っぽい笑みを絶やさずに言った。
「考えてみろよ。この丸い地球のどのクヌギのしたにもナミが眠っていて、
こっそりと水をやっているんだ。すごいだろ。まあ、お前がナミにくっついて
くぬぎに水をやることはできないかもしれないけどさ、会いに行くだけなら
簡単だよ。」
「どうすればいいの?」
「あいたいって願うだけでいいんだ。そうすればきっとすぐにくぬぎの下に
お前にしか見えない扉が開く。」
「ふーん。」
わかったような、わからないような顔で少年が頷いた。そして冗談混じりに
笑って言った。
「あ、でもドアならやっぱ呪文とかいるのかな?開けゴマってアラジン
みたいにさ。」
馬鹿、そんなもん使うなと俺はポカっと軽く少年の頭を叩いて言った。
「扉はお前の心が開けるんだ。変な呪文なんか使ったって開かねえよ。
……特に機械と名のつく呪文は気をつけろ。」
どうして、と少年が目で尋ねる。
「この呪文は、ナミをただの石ころに変えてしまうからな。ナミとお前の
宝物の“エイエン”も一緒にね。」
____俺はまだ、ナミが伝えようとしたことの半分も理解していない
だろうと思う。でもこれが俺なりの一つの解釈だ。エイエンに代用品など
あるはずが無い。だからこそひとたび見失えば、心の飛泉は石となって
あの地下墓地を埋めてしまうのだろう。……..それなら、俺は呪文など
使いたくはない。一人で納得している俺をちょっと不信そうな目で眺めて
いるのに気づき、俺は少年の額を「なんだよっ」と指先で軽く弾いた。
少年は目をパチパチさせながら、でも少し笑った。
“ありがとな、いい事教えてくれて。”
そう心の中で呟きながら俺は再びクヌギの大樹を見上げた。狭間に覗く
空は、少し淡い朽葉色に染まり、クヌギの萌え出た若葉の輪郭も心なしか
空と同じ色のようだ。その明るさが俺の目に、ひどく心地よく感じられた。
____ただ一つの、永遠。________
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