◆10◆

___そんなはずは無い。ついさっきまで何とも無い腕輪だったのだから。
俺の頭は3分ほど真っ白になっていたらしい。近所から喧しいほどに響く
大工の金槌も、配達のバイクの音も、その間何も耳に入ってこなかった。
しかし、クヌギの葉から昨日の雨露が俺の頬に落ちて、ようやく外界の
景色が戻りだすと、今度は忙しく腕輪を分解することに専念し始めた。
“だめだ……全然、わからない。”
中はまるで俺の知らない部品でいっぱいだった。そもそもその部品の材質
すら、地球上にこれが存在するのか疑わしいような不思議な感触がする。
髪の毛より細いようなコードも有り、そしてそれは草の根と絡みあいながら
よじれていた。コードの張りは緩く、まるで草の言いなりに殺されたみたい
だった。その向こうにふと、先ほどの牧師の不可思議な微笑がともる。“あいつが………….でも…"
誰の作とも知れない腕輪。そこからいつのまにか生えた草の芽。幻のように
消えた見知らぬ青年。何かを暗示するような事象の数々が俺の体の
隅で手をつなぎだすのを感じながら、それ以上に俺の中の理性はこの
腕輪を元に戻そうとフル回転で立ち回っていた。
”工学院にとりあえず行こう。行けば、誰か何か知っているかもしれない。“
まだ雫の落ちる前髪をふっと一息かけて目から払い、俺はバラした腕輪を
かけらも落とすまいときつく掴むと、子供達の遊ぶ輪を盛大に突き抜けて
走り出した。

コウ教授の研究は実に広範囲で生体工学的なものから電気機器の開発
まで、一体どうしてそんなにいろいろやれるか知らないが、おそらくこういう
ものには詳しいだろう。俺自身はあまりよくは知らないが、腕輪の中に
あった部品の1つ、K102〜15とナンバーのある部品は、よく似た性質
(おそらくは、だが)のものが確か、研究室内にあった。代用できない
だろうか。戸の表面が既にへこんでいる、旧いスチールの戸棚をごそごそと
探っていると、教授が不信そうな顔で俺の肩を叩いた。俺が抜けて実験が
徹夜になったせいだ。ただでさえ毛深くて黒い顔に、無精ひげがひどく
荒れている。俺を見下ろした目は案の定、単なる寝不足を通り越した
不機嫌な暗赤色だった。ちょっと俺の背に気まずいものが走ったが、
戸棚をかき回す手はそれどころではなかった。皮肉たっぷりに教授は
言いかけた。
「珍しくまじめに何してるんだね、一体。急に帰ってきたと思ったら。今日は
都合が悪いんじゃなかった…..」
「教授、この間ヨシハラ研から共同研究でもらったS12チップの余り、無かった
ですか?」
「S12?はてそんなものあったかな……….」
「有りましたよ、ほら、部品で一番小さいので、余りここにしまったじゃない
ですか。」
俺が珍しく勢い込んで話したせいか教授は慌てて首をひねってくれたが、
そのうちに思い出したらしく、ああ、あれか、確かにしまったが………しかし
どうするんだね、そんなもの、と聞いてきた。何に使うのか説明しなければ
貸してくれそうに無かったので、俺は仕方なく教授の手に壊れた腕輪を
乗せた。教授は太い首を左右に振りながら、こんな材質見たことも無いな、……..このチップも今の主流とは全然形が…..とかぶつぶつ呟き、掌で
腕輪を調べ、やがて、
「これは一体どうしたのかね。」
と言い、振り向いた。
“どうした………..か。”
ナミからもらったものに決まっている。しかしそれを話したらこの教授は、
腕輪をどうするのだろうか。大体、話して信用してくれるかどうかも
わからない。冷笑の種にされるだけだと思い、俺は黙って目を伏せ
しゃがみこむと、先ほどから机の隅から垂れ落ちていた液体を床に
転がっていたぼろ雑巾で拭き取り始めた。透明の液体は、拭くと少し
粘っこくて油分が感じられる。毀れた液は教授の足元近くまで伸びて
いた。足元を見て、教授が俺の態度を誤解して少しまごつくのがわかった。
顔に似合わず慌てたような態度が少しおかしかったが、ふと、別の興味が
湧いてきた。“こいつだったら、何て答えるだろう……”
「いや、すまなかったナギ。しかしこの部品、実に変わっているね、もしか
すると…」
「教授、教授は、もし死ななくても死んだ人に会いに行ける道具があったら、
それを使いますか?」
「……..?」
教授が不可解という顔をしているのが、うつむいた俺の後頭部に感じ
られる。それでも、何となくナミに遭ったことは喋れないな、と思い俺は
知らん顔を決め込んだ。そしてその一方で別れ際のナミの涙を思い起こし
ていた。
「…………俺だったら、使う。使って………….会いに行く。」
「珍しい質問だな、…..何が言いたいのかね。」
「言葉どおりです。」
摩滅してさめた緑色の床タイルの上に俺の声は幾分冷たく響いた。確か
にそうだ…….お前にしては珍しいが……..、しばらく顎を撫でていた教授は、
やがて、
「……そうだな、私も会いに行くだろう。」
と言った。
「…….何故、そう思います?」
俺は教授があっさりと自分と同じ答えを出したことに多少疑問を感じ、
そっと教授を盗み見た。教授は窓際で向こうを見つめながら、手の中で
腕輪の部品を転がしていた。
「教授…….?」
「勿論、死者の住む根の国なぞというものが御伽話でなければの話だ
がね。」
ガクッと俺は心の中でこけたが、そんなことを言った割に教授の目はマジ
のような不敵な光を灯していた。そうして相変わらず外の晴れた空を壁の
影から覗きながら、こんなことを言った。
「この世の科学は随分と進歩したからな。今度はあの世に手を出す日も
来るのかもしれん………今の私には想像もつかないがね….」
しかし、…….とそこでごほんと一つ咳をしてから、教授は大きな伸びをした。
そして意味深ににやりと笑った。
「しかしもしそんなものが本当にできたとすれば、それはすばらしいことじゃ
ないか。古来から死は決して人の開けられない未知の扉だった。これの
ために可能性だけ残して消えてしまった知はどれほどあったろう。数千年
の魂の歴史を持って開けられなかったドアが、科学の力で開ける事ができ
るんだ。もう霊能力者も呪術も関係ない。すべての人が等しくあの世とこの
世を行き来する。いや、そんなちっぽけな話じゃない。そうしたら、死など
もう存在しないということなんだ。この人類最大の敵がわかってしまえば、
我々の中のつまらない思い出や妄執を、死がわしづかみにしてひきずり
まわすことも無い。そんなものはもう巻き戻し可能のビデオテープに過ぎ
ないのだからね。すべてが永遠になるんだよ。魂の世界も、遠い未来には
入って楽しむレジャーランドと変わらなくなるという訳か。」
“….何かが違う。”嫌なものを感じ、俺は少し眉をひそめて教授を見た。
しかしその視線を無視したまま、教授はむしろ恍惚とした表情で窓ガラス
に向かって喋りつづけた。
「そればかりじゃないぞ。死がわかるということはそこに同居する生の世界
もわかるという事だ。そうしたら宇宙は九割方わかったも同然だよ。いつか
我々は人の生命も、運命すら神の手からもぎ取れるようになるのかも
しれない…..」
みなまで聞かずに俺は立ち上がった。おや、という顔で我に返った教授が
振り返る。
「どうした、ナギ….、まだ…..」
「つまらない質問をして申し訳ありませんでした。……きいてみたかった
だけですから………失礼します。」
教授の返答を待たずに、俺は背を向けてドアの方へ向かった。その俺に
いつになく強い声で教授が待ちなさい、と声をかけた。
「………何ですか。」
振り向いて見たコウ教授の顔は、異様な興奮を少しは収めていたものの
、どこか愚かな人をあざ笑うような陰気さを目の端に見せていた。
「この腕輪にそっくりのものを、数年前に学会で発表した変わり者が
いるんだよ。」
びくっとして、俺は少し顔をコウ教授の視線に近づけた。目の端にかすむ
教授の口の端は、奇談をちらつかせながら俺の中で必死に収めている
秘密を狙っているのが、簡単にみてとれた。しかし、彼の興味の格好の
餌食になるのも、何となく腹立たしかった。俺は努めて平静を装うことに
して、ただ一言、「そうですか」とだけ答えた。俺がのる事を期待していた
教授はあてが外れたというようにすこしたじろいだが、それ以上俺に持ち
かけることはなかった。つけいる機会を与えないように俺はゆっくりと背を
向けて扉を開けた。涼しい廊下へ出た耳に、ただ一つ、教授のわざと
らしい独り言が、ちらりとかすっていった。
“……全くの変わり者さ。学会を追放されて自殺してしまったがね。”
ドアの隙間に見たコウ教授は、他人事とでも言うように、大きな鼻の上に
嘲笑のしわをのせていた。


              
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